サドル狂騒曲59 宴の後~激動の始まり
幣原はベッドを離れて、テーブルに置いたシガーケースから葉巻を出すと火をつけた。
「 お前は如月と関係を持っていると天雅から聞いている。同性愛者なら処女なんぞ買って何をする?剥製にして家の壁に飾るのか 」
雄太と恭平に近づき優雅な仕草で煙を吐き出す。タイを外した胸元は広く逞しい。
「 私はそんな妙な趣味は持ち合わせておりません 」
「 下らん時間稼ぎのつもりかしらんが、たかが50万上積みした位で私が興味を示すと思うか?馬鹿にしおって!不敬の極みに値するぞ!お前一人の命闇に消すなんぞ、造作ないわ!」
空気が震撼するような咆哮に、雄太と恭平は背筋に冷たいものが走った。だが雄太は目を逸らさない。何が何でもこの賭けに負けるわけにはいかなかった。
「 これは投資です 」
「何だと?」
今度は幣原が驚く番だった。今だ、雄太は一気に畳みかける。
「 この娘の処女の資産価値を見積もると、せいぜい5,6万が関の山です。容姿、教養、人生経験どれをとっても未熟な上に、大人の女性としての気品はゼロに等しい。そんな田舎娘に200万を投じるのであれば、私が買い取って20歳の誕生日までにその金額にふさわしい処女に仕上げて見せます 」
「 私も、250万出します 」
恭平がすかさず応戦した。幣原は紫煙の奥で沈黙を続ける。
窓の外で車が数台止まった。笑い声が響き、大人数のゲストが玄関をくぐっていく足音がする。室内に張り詰めた空気に合わない華やかな宴のムードが広がり、幣原の口元が緩むと突然大声で笑いだした。
「 500万か、面白い。よかろう、丁度1年後の今日まで時間をやる。もし私が小娘にそれだけの価値があると認めたらこの勝負お前たちの勝ちだ。ただし、私の目にかなう女でなければ投資は失敗したことになり、その場でこの娘の処女は私がもらう。万が一、1年以内に処女を喪失した場合は 」
幣原は、雄太と恭平に近寄った。
「 お前たちは、クビだ。娘は私が引き取って、非合法クラブで見世物として消費する 」
「 全て、仰せの通りに 」
雄太と幣原はしばらく睨み合った。1階のホールから軽やかなBGMが流れてくると、幣原は上着を取って葉巻を灰皿に置いた。
「 ゲイのカップルに調教される田舎の猿娘とは楽しい余興だ。せいぜい励めよ 」
「 その言葉、どうぞ1年後までお忘れなきよう 」
雄太は語気を強めて慇懃に返した。
幣原は恭平を見た。
「 君は内も外も完璧に整っているが、唯一の欠損は付き合う男の趣味が最悪なことだ。残念だな 」
恭平の鋭い視線は幣原の灰汁の強いオーラに脆くもかき消される。
葉巻と強い香水の残り香を残して、大股で幣原は部屋を後にした。雄太は緊張から解放されると、初めて全身が汗でびっしょり濡れていることに気づいた。やはり幣原卿はすごい。ただの粗野粗暴とは違う百戦錬磨の厳しさと生まれながらに与えられた風格がある。あの男を敵に回してこれから1年戦う。逃げはしない。徹底的に戦ってやる。雄太は固く自分に誓った。
恭平は青葉に駆け寄り首輪と手錠を外して抱き起した。
「 青葉!青葉!目を開けろ、青葉 !」
ややあって、青葉の目が開いた。生気のない虚ろな瞳にまだ恐怖の名残が見える。
「 もう大丈夫だよ。心も体も無事だから心配しないで 」
状況が飲み込めず、怯えた顔で見つめる頬にそっとキスをすると恭平は青葉を抱きしめた。
「 チーフ、助けに来てくれたんですね」
「 そうだよ、ちゃんと青葉の声が聞こえたよ 」
青葉の両腕が恭平の背に回ると、小さな嗚咽が漏れた。雄太がブランケットを青葉に巻き付けると、恭平は抱き上げて頬に流れる涙を唇で掬った。
「 ユウ、顔の傷、どうした 」
言われて雄太は天雅に打ち込まれた包丁の跡を見た。半分に折れた真鍮が生々しい。そうだ、このブルゾンを選んでくれたのは恭平だった。デートで行った横浜のバイクショップで渋る俺に半ば強引に勧めてくれたライダーズジャケットが全ての運命を決めた。
「 恭平、お前は命の恩人だ 」
「 え? 」
「 また今度話すよ 」
3人は狂宴の終わった部屋を後にした。階下の宴はますます活気と華やかさを増し、先程までの鬼の所業は木の床に吸い込まて消えていく。そしてこの倶楽部で繰り広げられる様々な魑魅魍魎の歴史に、また新しい秘密が一つ刻まれた。
恭平の腕に抱かれ深く眠る青葉は大きく運命を変える激動の1年を迎える。青葉、雄太、恭平を出会わせた神の顔はベールに包まれ、その口元に浮かべているのが幸福か邪心か見せぬまま雄太の投げた賽の行方を見つめ続けていた。
厩舎の奥で闇を切り裂くような悲鳴が響いた。寝ていた馬たちが驚き興奮した嘶きを上げる。獣の唸りと重なる天雅の叫び声は地を震わせて長く短く気のふれたリズムで延々と流れ続ける。
宿直室の隅で体を縮めて顔を覆い隠す天雅は慟哭を上げながら這うように部屋の外に出た。血にまみれた手でドアを掴んで立ち上がると通路に出るが脚がもつれて砂と藁のこぼれる地面に転がった。
天雅の顔には細い切り傷がいくつも刻まれていた。頬、額、顎のいたるとことにナイフで薄く切りつけた赤い直線が見え、深紅の玉が顔全体を真っ赤に染めていく。地面を這いながら呻く様はかつて華麗で甘い仕草で多くの男たちを翻弄した天雅ではない。常軌を逸した、哀れな狂人でしかなかった。
騒ぎ出す馬たちの声に押し出されるように天雅は外の闇に消えた。甲高い声が、次第に遠ざかって夜空に吸い込まれる。
その夜を最後に、倶楽部の関係者で天雅の姿を見た者は誰一人いなかった。
続
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