サドル狂騒曲(番外編) 青葉と恭平のオフィスラブ39 冬の屍 

 パウダールームから出てきた雄太さんは白いシャツとグレーのスラックスに着替えて換気扇のスイッチを押した。天井のエアコンから少し冷たい外気が入って来る。温かい余韻が消えて, 急に雰囲気がよそよそしくなり気持ちが落ち着かない。何よりも、恭平さんがここに来る。エレベーターホールで専務と一緒にいた時は私の事なんてまるで無関心を決めていた顔だったのに… どうしてこんな夜更けに会いにくるの?ローテーブルの食器を片付けながら色々考えるけど心はうわついて何も考えられない。代わりに雄太さんが重ねたカトラリーを受け取ってミニキッチンのシンクに置いた。
「 青葉も着替えておいで。最初だけ二人で話をさせてくれたら、後は青葉に全部任せるよ 」
「 任せるって… 何をですか 」
 雄太さんは手を取って私をソファに座らせた。私を見る目は穏やかだけど、覚悟を決めたような真剣さが結んだ唇の端に浮かんでいる。
「 この日が来ると腹は括ってた。俺を取るか恭平を取るか。最後に決めるのは青葉だ 」
「 そんな… 恭平さんはもう… 」
 雄太さんは黙って頭を振った。
「 あいつは、まだ青葉を愛している。だからここに来るんだ。それに青葉だって… 」
「 やめて。私はもう彼とは関係ないのよ 」
「 俺に嘘はつかないでいい。青葉の気持ちはわかってる。だから、俺は青葉に本当に幸せになってほしいんだ 」
「 雄太さん… 」
「 青葉が、本当に好きだから 」
 雄太さんは私を抱きしめた。薄手のナイティ越しに伝わる彼の体温がす
ごく熱く感じる。私は彼の背に手を回した。ミントのシェービングクリームが爽やかに鼻をくすぐる。それと甘いブランデーの香り、軽いテイストの煙草の匂いは私に気を使って銘柄を変えたから。こんなに愛してくれているのに、優柔不断な私の心は彼を苦しめる。雨粒が窓ガラスを叩く音が響いた。凍る雨の中人込みを縫って、恭平さんがここへ向かっている。どうしたらいい… どうすればいいの…
「 着替えておいで。後5分もすればあいつは来る 」
 私はベッドルームのドアを開けて振り返った。雄太さんは笑って片手を上げた。ほんの数秒見つめ合った後私は何か言おうとしたけど、後ずさる私の体を押し込むようにドアは閉まった。


 呼び鈴が鳴った。雄太はリビングのソファに座ったまま動かない。ドアガードの金具を外側に折り出してあるので鍵はかかっていなかった。雄太は黙って漆黒の夜景を見つめていた。
 ゆっくりドアが開いて恭平が入ってきた。濡れた前髪を手で払い、来ていた黒いコートを脱ぐとネクタイの結び目を軽く緩める。凍てついた外を歩いて来たとは思えない程、頬と唇は紅潮していた。雄太は立ち上がり振り返ると、かつての親友の姿を視界に収める。同性だが溜息をつくまでに全てが美しい。だが奥底に隠す狂気など微塵も感じさせない風情が、返って雄太の警戒心を無性に刺激して来る。
「 座れよ。何か飲むか 」
「 酒はいらない、コーヒーをくれ 」
「 もう仕事は終わったんだろ。お前の好みのスコッチがあるぜ 」
「 青葉がいるんだ。女の前で余計な血は見せたくないんだよ 」
 雄太はキッチンへ行きポットのスイッチを入れた。恭平はソファに腰かけるとポケットから出した赤のウィンストンに火をつけた。押し殺した空気の中で二人は無言を突き通す。
  
  俺たちの終わりが始まる。あの雨が止む頃に、きっと全ての決着はついているだろう。いや、着けてやる。頼りない運命の神が持つ天秤など、俺たちの手で叩き壊してしまえばいい。

  最期に引導を渡すのは、青葉だ。

 コーヒーメーカーから立ち上る湯気に、雄太は獣の屍を思わせる臭気を感じて低く笑った。



 

 

 

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