サドル狂騒曲55 血に染まる前菜
目隠しをされて、真っ暗で何も見えない。両手を後ろで押さえられ、私はドスンとベッドの上に放り出された。
「 何するの!やめて!」
首筋にヒヤリとした感触が当たった。… あの包丁だ。私は息を吞んだ。
仰向けになった私の手首にベルトのような何かが巻かれて金属で繋がれる音がした。片方の腕も同じように繋がれ、両腕を頭の上で固定されたまま凍り付いたみたいに動けない。右足が乱暴に引っ張られ、私は思わず抵抗して体を左右に振った。鎖骨にシュッと灼けるような痛みが走った。刃先が、当たったかもしれない…… 怖くて全身が震える。両足首も開かされて動けない。どうしよう、助けて、助けて… 熱い涙が頬を濡らす。
「 誰ですか、何でこんな事するの… お願い、答えて… 」
返事はない。さっき切れたところにどんどん強い痛みが走る。私はどうなるの?殺される?嫌だ、殺さないで…
首の辺りに感じる重みが無くなった。包丁が取れた?私は首を左右に振って辺りを伺う。足の下で何かガサゴソ動く音がする。誰かいる。私を縛ってこれから何をするつもりだろう。お金を取るなら早く持って逃げればいいのに。いや、この場所でそんな事をする人はいない。だとしたら、何かのいたずら?こんな趣味の悪い仕掛けをする意味があるの?そもそも、私を縛ったのは誰?
「 お願いです、目隠しを外してください 」
小さな声で懇願した。気配がしない。もしかして出て行ったの?
どうにかして、この鎖を外さないと…
私は思い切り両手を引っ張った。でもびくともしない。 そうだ、目隠しを外したら少しは状況がわかるかも。私は頭をシーツにすりつけて布をずらそうと試した。後ろの結び目さえ緩んだら何とか……
誰かが私のお腹の上に跨った。重さで鎖が引っ張られスカートがはだける。声を出そうとした瞬間、着ていたボレロが左右に引き裂かれた。
「 いやあああああ! やめて! 触らないで !」
私を無視して、ブラウス、スリップ、スカートがビリビリと破られていく。使っているのはあの包丁だ。怖い、動いたら刺される…
父さん、おじいちゃん、助けて…
如月チーフ、進藤チーフ…
意識が遠のく。私はそのまま気を失った。
事務所でパソコンを打っていた恭平が顔を上げた。目の前には若い男性のインストラクターがいるだけで室内は静まり返っている。
「 今、誰かの声がしなかった?」
「 いいえ、特に 」
叫ぶ声が耳を掠めたような気がしたが… 考えすぎか。恭平はパソコンを閉じると息を吐いた。
「 主任、私はそろそろ退勤しますが… 」
「 いいよ。最後は俺が施錠する。お疲れ様 」
恭平は煙草を持って事務所の外に出た。暗いが寒さはない。丁度いいパーティー日和だ。
青葉、今頃何をしているのかな。何の音沙汰もないけど、後でちょっと連絡してみようか。
ポケットからスマホを出そうとした時ドアが開いて若い男が顔を出した。
「 獣医さんから電話です。来月の全頭検査の事なんですけど、私ではわからなくて、お願いできますか 」
「 いいよ、すぐ行く 」
恭平は出しかけたスマホをしまうと事務所へ戻った。馬場を挟んで東に見えるクラブハウスきのらびやかなイルミネーションが闇を焦がすように浮かびあがった。
駐車場で雄太はエンジンをかけたバイクの傍らで煙草を吸っていた。今日は帰って早めに休み、明日は早朝からゆっくり練習に専念する予定にしている。未だ謹慎中で対外試合は出られないが、来年2月の関東障害選手権には間に合う。久しぶりの試合で無様な姿は見せたくない一方で、関東一円の猛者が集まる独特の緊張感が待ち遠しくて年甲斐もなくワクワクする。雄太は改めて乗馬の魅力を噛み締めていた。
あいつも何か大会に出れば良いのに。先週模範で障害飛越をやったけど、センスは抜群だった。俺がちょっと教えたら、勝ちに行く飛び方はすぐに身につく。
あれこれ考えながら雄太は青葉の寝顔を思い出していた。セクシーな下着姿もいいが弾けそうに若い肌と艶のある唇はいつまでも見飽きない。いずれ本当に愛し合う誰かを見つけて全て捧げる日まで、俺と恭平で守ってやりたい。そんな雄太の父とも兄ともつかない不思議な青葉への思いはかつて母が注いでくれた愛情と重なった。
煙草を消してバイクに跨りながらクラブハウスを見やった。明るい光と華やかな空気が周りの山も包み込む。
青葉はいいか。恭平がいるから大丈夫だろう。
雄太はエンジンを軽くふかすと車体を軽々とターンし、通用門から外へ飛び出して行った。
続
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