サドル狂騒曲65 時をかける二人

 「 前と後ろを教えてくれたら自分で着ます。迷惑をかけてごめんなさい 」

 更衣室のソファに座ってにっこり笑う顔は白くて小っちゃくて外国のお人形がそのまま人間になった, いやもっと神々しい、天使が人間に化けて下界に遊びに来たような二次元の世界観。もう見とれてしまう造形美に自分の脱毛行為が恥ずかしくなる。

「 何かあれば声をかけてを下さい 」

そう言って更衣室のカーテンを閉じた後、速攻スマホを出して恭平さんにメッセージを送る。

 「 すいません、残業でビジターのお客様の相手をするんでエステいけません 」

 送ってホッとしながら、頭にチラつくのはお姫様だっこの凛々しい雄太さんとうっとり抱きつく天使のツーショット。雄太さんはいつもの俺様キャラが消えて完全に姫を守るナイトに変わってたもの。絶対他人じゃないよなあ。「目が見えない」って言われて少し驚いたけど、ある程度輪郭はわかるみたいで靴の自分で履けるみたいだし普通っぽくみえる。雄太さんとどんな関係なのか知りたいけど、聞いたら怒られそうだから取り合えず言われた事だけやっておこうっと。

 スマホが鳴る。恭平さんからのレスかな?

「 こんな時間にビジターって誰? 」
「 進藤チーフのお知り合いみたいです 」
「 女? 」
「 はい、若い女性です 」
「 目が見えない子?」
「 そうです 」

「 どうしてこんな時間に来るの?」

「… わかんないです… 」
 恭平さんは何か知ってるっぽいけど… お姫様だっこの事話すとブチ切れそうで怖いから、黙っておこう。

「 着替えました 」
声が聞こえてカーテンを開けると薄いグリーンのシャツとアイボリーのキュロットに着替えたお姫様が立っている。

何、胸、超デカい…… Gカップはあるな…

顔も腕も華奢なのにバストが前にせり出して、どうしても目がそこへ行く。お姫様は手櫛で髪を整えるのに余念がない。私は顔をそらせてわざと足元を見ながら近づいた。
「 あ、髪は結んだ方がいいですよ。ヘアゴムがありますから使って… 」
「 嫌、髪はこのままがいいの 」
結構な大声で否定されてびっくり。よく見るとメイクもナチュラルだけどバシッと決めてる。濃い目に引いたアイラインが色っぽい。
「 北岡、終わったか 」
雄太さんの声がドアの外から響く。私は慌ててドアを開けた。王子様の登場に姫様、ウェルカムモード全開で微笑んでる。
「 寒いからこれを着ろ 」
来ていたジャンパーをお姫様に被せると、さっと抱き上げて… じっと見つめ合う二人。 

ちょっと、なんかヤバくない?この雰囲気。

「 北岡、悪いが終わったらまた彼女の着替えを手伝って… 」
「 ううん、雄太君がいい。雄太君手伝って 」
お姫様のキッパリ口調に、全くつけ入る隙なし。雄太さんはしばらく考え込んで頷いた。
「 北岡もう帰っていいぞ。ありがとう 」
「 はい、じゃあ失礼します 」
 私は一刻も早くその場から退散すべくろくに振り返りもせず部屋を出た。

 雄太君? 馴れ馴れしい口調に加えて甘えモードが著しいし、あの鬼チーフがほぼ言いなりなんて、ありえない光景だ。一体どういう事?

 ロッカーで着替えてタイムカードを押すと早々に倶楽部を出る。恭平さん怒ってないかしら。悪いのは私じゃないんだけど、追及されたら怖いなあ。
とっとと帰って早く寝ようっと。最近仕事の後も恭平さんと出歩いて、少し疲れたからね。


  スキップしながらアパートの入口に着いた私は、思わず固まった。

 駐車場に恭平さんの赤いスカイラインがエンジンをかけたまま止まっている。私が近寄るとすぐに中から私服の恭平さんが出てきた。後ろの席から大きな袋を出して満面の麗しい微笑みで予想外のお出迎えだ。
「 お疲れ様。寒いからお鍋の準備してきたんだ。時間も空いたし、二人でご飯食べようよ 」
「 … ハイ 」
「 あ、それから今晩俺泊っていくから 」
「 …… 」

絶対、絶対事情聴取だ。間違いない。お姫様と雄太さんの一部始終を自供させられる…

 表向き上機嫌で食材を抱える恭平さんの後ろを私はどん底気分で歩く。

 怖いよ~。 追及されたら、逃げられないよ~。でもお姫様だっことお着替えの手伝いは、何としてでも内緒でいかないと…

「 青葉!早く来て鍵を開けて! 」
「 はい!今行きます !」

 恭平さんの特製鍋が早く食べたい食欲と取り調べの恐怖に挟まれて、私はアパートの階段を複雑な気分で駆け上がった。


 特別会員専用の馬場に通じる小径をサラブレッドが静かに歩く。道の脇に灯るライト以外は暗く、鞍に座った美奈子の後ろで立ったまま手綱を操る雄太は前方を見て慎重に歩を進めていく。美奈子は前橋のホルダーを握って時折上を向いて軽く深呼吸をする。時折冷たい風が吹くが、ピンク色に染まった頬は明らかに気分の高揚を表していた。
「 寒くないか 」
「 いいえ、馬ってこんなに大人しいのね。最初は怖かったけど慣れたら可愛いわ 」
「 こいつは大人しくて聞き分けがいい。暗いと嫌がって動かない馬もいるけど、俺が乗っているから安心しているんだ 」
「 急に押しかけて、ごめんなさい 」
「 いいよ。俺が会いに来ないからおば様達がしびれをきらしたんだろ 」
 美奈子は俯いた。予定の騎乗時間は間もなく終わり、次のカーブを曲がれば出発した管理棟の裏口が見える。雄太はゆっくり鞍に腰を下ろした。途端に体が密着し、美奈子は体を固くする。美奈子を包むように手綱を持つ腕を馬の首に寄せると、馬は静かに止まった。
「 着いたよ。俺は降りるから美奈子はこのまま動かないで座ってろ 」
「 嫌よ、離れないで 」
美奈子は後ろを向いて雄太に抱きついた。咄嗟に片手で美奈子の腰を支える雄太の胸に美奈子は体を摺り寄せる。
「 わかってるの。私が何故、あなたの妻に選ばれたか。私の体はあなたの後継ぎを産むために買われたのよ 」
「 美奈子、それ以上はやめろ 」
「 いいの、私はそれで構わない。だから、お願い、私に役目を果たさせて 」
 美奈子の黒髪からは儚げなそれでいて絡みつく甘い香りがする。幼い頃、二人で夏の高原を走った思い出の影を愛おしむには、この瞬間はあまりに残酷すぎる。雄太は回した手に力をこめた。

 一陣の風が、馬のたてがみを揺らす。雄太は美奈子のか細い温もりが消えないように、小さな背中をただ抱きしめるしかなかった。




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