サドル狂騒曲㊻ 幸せの澱

 如月チーフの唇は、柔らかくて吸い付くみたいな弾力があったけどサラサラして気持ち良かった。

 進藤チーフは少し硬くてヒヤリとした冷たさに緊張する。軽く触れては離れて、また触れてを繰り返しているうちに、私の体温がチーフの唇に移ってちょっとづつ馴染んでいく。気づいたら、私は自分からチーフを求めて顔を摺り寄せている。

 チーフの舌が、私の唇を押し分けてそっと入ってきた。

「 あ、あん… 」

舌は絡み合って、私の声を飲み込んでいく。チーフの鼻が私の頬に触れると薄荷の香りが目元を走って、首筋と胸元を熱く染めていく。

これが、大人のキスなの?2人とも全然違うけど、すごく素敵。

愛されてる、大切にされてるって、言葉にしなくても伝わってくる。でも私は慣れてないから、どうやって受け止めていいか分からない…… ああ、全身を痺れていく… どうしよう、変になっちゃいそう……

「 痛て、痛ててててててててててて!」

チーフの大声で私は目を開けた。如月チーフが進藤チーフの耳をひねって引っ張り上げてる。

「 何調子こいて、いつまでもディープやってんだ、バカ 」

 ドスの利いた漢声。ぼうっとした頭が急に冷めて、猛烈な恥ずかしさがこみあげてきた。私は咄嗟に如月チーフの胸に飛び込んだ。少しいがらっぽい煙草に合うスパイシーなトワレ。ああ, 落ち着く… 

「 何だよ、俺ひとり悪役かよ 」

「 キス初心者には刺激強すぎ。まだ子どもなんだから 」

「 今時のJk上がりは強者揃いだぜ。まあ、いいか、純粋培養の社会人デビュー記念日だ。恭平、今夜は一緒にいてやれよ。俺は邪魔っぽいから先に戻るよ 」

「 あの… 私に脅迫文を送った人は、誰なんですか 」

 進藤チーフと如月チーフは目を合せた。

「 年配の女性会員だったよ。俺の馬場コースの所属だから北岡さんは面識がないと思う 」

「 そんな人がどうして私に…… 」

「 色々あって、ちょっと病んでたみたいだ。今部長クラスから事情を聴かれてるが、もう倶楽部に戻ることはない。安心しろ 」

知らない会員さんから脅迫されるなんて、信じられない。何か深い裏があるんじゃないかしら、それに他に関わっている人がいたらまだ怖い…

「 事情が分かれば部長から説明があるよ。とにかくもうこの件は解決したから心配しないで 」

如月チーフが笑って私の頬を撫でた。進藤チーフは立ち上がってドアへ向かった。

「 恭平、明後日は公休日だから俺のとこに来るだろ… 飯の買い出し、後で連絡しろよ 」

「 コーヒーが切れそうだから買っといて 」

うわあ、何だかすごいナチュラルに愛し合って羨ましい。私もあんな感じでさりげなくお喋りできる恋人がいればな… 恋人、そういえば私、今日ファーストキスをしたんだ。2人同時で職場の上司で、それに、二人はゲイのカップルで…… 

なんか、これっておかしくない?付き合ってる二人の間に私が入って、どっちからも告白されてなくってそれでいて公認で今晩は一緒にいるって、

あ、今日如月チーフ、また私と一緒に寝るの?

私は如月チーフの胸からそっと顔を上げた。今日の瞳の色は、いつもより深く落ち着いた雰囲気がある。

「 歯ブラシと髭剃りだけ買ってくるから先に休んでいいよ 」

「 私は一人で大丈夫です。 」

チーフは私を抱えてベッドに連れていくと、意味深な顔を至近距離まで近づける。…鼻と鼻がくっつきそう…

「 もしかして、また乳首狙ってる?」

「 いえ、そんな、私、乳首なんて触ってないです!」

大きな声を出して、更に恥ずかしくなる私。如月チーフは笑いながら出て行った。一人になると、また2つのキスが頭の中でリアルに再生される。彼氏でもない人とキスなんて、以前なら考えられなかった。でも死のうとしていた私を蘇らせたキス。その私がまた2人の命をつなぎとめて、運命で出会った3人と言われて2回目のキス。これから私はどうなるんだろう。

 でも、もうひとりじゃない。だって、これからあのドアを開けてこの部屋に帰ってくる人がいる。それだけでもこんなに幸せ…

 私はベッドにストンと横たわった。すごく心地いい眠気が襲ってくる。起きてなきゃ。チーフが帰ってきたら、笑って言うの。

おかえりなさい。

 そうしたら、もう一度キスしてくれるかな…

船がゆっくり港を離れるみたいに、私の意識は甘い波に揺られて遠のいていった。



 日付が変わる5分前に雄太はベッドに入った。サイドテーブルの煙草に手を伸ばし、火をつけたと同時に携帯電話の着信が鳴った。ラ・カンパネラの低い音色。電話を取り、雄太は紫煙を一筋吐いた。

「 もしもし…… 、 ああ、まだ起きてた… 歯ブラシ買って戻ったら寝てたって? はは、せっかくお前の立派な息子とご対面できたのに…… そっちも寝たままか。俺とベッドにいる時とは別人だな 」

煙草を灰皿を置くと、雄太は照明の灯りを1段落とした。

「 さっき相本部長から連絡があった。明日あさイチで岸谷の事情聴取をするそうだ。…… ああ、あいつの事だからしっぽなんか出さない。だが何も知らない素振りで行こう。泳がせるんだ。いつか必ずまた行動を起こす。押さえるなら、その時だ 」

雄太はしばらく携帯電話に耳を傾け、穏やかな笑みを浮かべた。

「 そうだな、あいつには岸谷の事は伏せた方がいい。俺から部長に伝えとくよ…… おやすみ、愛してるよ 」

電話を切ると再び煙草を吸い、ほの暗い部屋の片隅をぼんやりと見つめる。ベッドで眠る青葉の唇を奪う自分の姿が、浮かんでは消えていく。

俺たちは3人は、すんでのところで命を拾った。運命の神様が俺たちに何をさせたいのか見当もつかないが、俺と恭平の間に、北岡青葉がふわりと舞い降りた。しかも先に心を揺り動かされたのは俺だ。だが、肉体的にも精神的にも女を受け付けない恭平が、青葉を受け入れた。あいつは、男とか女を超越した何かを持っている。それが何かはわからないけど。

 だが、もう後戻りはできない。互いに守りあった命、行きつく果てで何が起ころうと、恭平とあいつは、必ず俺が守る。

 ピアノの音が聞こえる。母さんの弾くノクターン。スイートの窓から差し込む陽を受けて、母さんは笑いながら俺を見ている。

 雄太は目をこらして暗がりを見た。喜んでくれよ、母さん、俺に大切な人がもう一人増えたよ。相変わらず母は笑っている。雄太は煙草を消して灯りを消した。運良く母が夢に現れたら、今日の出来事を話して聞かせよう。

 青葉の横で恭平が眠りにつく様を想像すると、雄太の中に安らぎが満ちる。この不可思議な喜びに甘え、少し怯えながら、雄太は眠りの澱に身を沈めていった。


 




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