サドル狂騒曲(番外編)青葉と恭平のオフィスラブ37 灰色の空

 エレベーターを降りたら雄太さんはホールで両手を広げて待っていてくれた。ダークグレーのスリーピースがすごくクールで似合ってる。さっき見た恭平さんとは色が対象的だけど、同じデザインを着ていることが今はすごく気になって上手く笑えない。濡れたコートを気にする仕草で体を離そうとするけど、彼は強く抱きしめる腕を緩めようとしない。
「 スーツが汚れるわ 」
「 青葉の体に汚れるものなんて何もないよ。部屋に入ろう 」
 カードキーをかざして開いた扉の奥に大きな窓とリビングセットが見える。左側にベッドルーム、右手にバスルームが見えるけどとにかく広い。窓辺に置かれたデスクにはパソコンと書類の山がある。雄太さんはソファに私を座らせると、コートを脱がせてキスを繰り返す。冷えた頬に温かい唇が当たって心が落ち着いていくのがわかる。
「 だめ、お仕事中でしょ 」
「 いいよ。北米は夜中だ。10分後に最後のミーティングをしたら今日は仕事を終いにする 」
「 コーヒーを淹れるわ 」
せっかちに体をまさぐる手から逃れると,壁際のバーカウンターへ行ってコーヒーサーバーに水を入れる。窓の外は重い鉛色の雲が広がって昼の陽気さを感じさせない。もう年末か、早いな… フィルターにコーヒーをセットしながらまだ半袖を着ていた頃を思い出す。買ったばかりのサンダル、美味しかったトマトの冷たいパスタ、江の島の浜辺で波打ち際を歩いた熱い砂。眩しい太陽があって… 私は笑っていて…

全部、恭平さんがそばにいた。

 三条専務の後ろで私を見ていた彼の顔が思い出とダブって、体から温もりが引いていく。こんな日が来るなんて、考えもせずにいたあの頃に戻れたら…

 いや、もっと傷つき別れひとりぼっちになる事になっていたかもしれない。こうして優しい雄太さんと一緒にいられる今を幸せに思わなければ。私はコーヒーの甘い匂いに苦い記憶を少しづつ溶かす。忘れよう。忘れて新しい年を迎えよう。恭平さんと過ごした時間なんて、長い人生のほんの一瞬よ。白いマイセンのカップに注ぐ黒い液体に最後の後悔を一粒落として、それでおしまい。トレイのソーサーに乗せると、私は恋人のためにとびきりの笑顔を見せる。雄太さんはコーヒーを啜って私を優しく見上げた。
「 うん、美味しい。また俺のために作って 」
トレイがカランと音を立てて床に落ちる。雄太さんは私の手を引っ張って膝に乗せると、耳に熱い息を吹きかけた。着ている濃いグリーンのニットは薄手で、無骨な指先の感触を素肌に生々しく伝える。荒々しくブラのカップを押し下げて乳首を露出され、私はのけぞって喘いだ。雄太さんはストッキングと一緒にパンティまで一気に引き下ろすと、私の膝を左右に押し開いた。
「 あ、あああっ!嫌あ! 」
 恥ずかしいポーズを取らされた私は必死に足を閉じようとする。雄太さんはそれを楽しそうに眺めて色づいた裂け目をいじり続け、敏感な蕾から熱い雫が溢れて襞を濡らしていく。私の体に慣れた雄太さんは、意地悪な仕草でポイントを外しては私の性感帯を刺激していく。いつのまにか私は甘い声でヒップを彼の凶器に押し付ける。スーツの下で、それは唸り声を上げて解き放たれる瞬間を待っている。
「 見ろよ、あと5分でアメリカのディーラーがサインインする。青葉の可愛いプッシーを見たら、ひっくり返るぞ 」
「 やめて… ここからおろして… 」
 ラップトップの画面に私たちの淫らなシルエットが映る。少し前は、恭平さんが触れていた場所を今は雄太さんが受け継いで、慈しみ蹂躙しテンポが少し違うだけの似たような音楽を奏で続ける。美しくぞっとするほどの旋律を聞きながら、私は喘いで、泣いて、笑って、そして苦しむ。

 いっそ、音楽が終わる前に息絶えてしまいたい。もうこれ以上、記憶の中の彼と現実の彼との間で軋み続けるのは、耐えられない。

 私の目に浮かんだ涙の粒をキスで拭うとやっと雄太さんは体を解放してくれた。私を抱き上げてベッドルームへ連れていくと大きなダブルのリネンに座らせて抱きしめる。彼のスーツから香るスパイシーなトワレに揺れた心が甘く緩んで、固いシャツのカラーに手を回し軽く頬を摺り寄せると荒い息遣いがうなじを火照らせる。痛いほどの期待を感じて、私の胸はまたカタカタと音を立てて震え始めた。

「 先にシャワーを浴びてもいい? 」
「 いいよ… 俺も終わったらすぐに行くからゆっくり待ってて 」
  体を離すと、雄太さんはすぐビジネスモードに切り替わって部屋を出て行った。

 窓の外を見た。相変わらず灰色の雲に包まれた空に高層ビルが無機質に突き刺さる。氷雨の粒を見ていると温かいはずの部屋に冷気が流れてくるみたい。でも落ち着かないのは寒さのせいじゃない。恭平さんの顔が、遠く窓越しに私を見つめているせいだ。ああ、髪の毛のほつれ具合も顔の輪郭も何もかも覚えているのに、思うほど虚しく辛い。それは、あるべき心の絆が無くなってしまっているからだ。もう彼は私を愛していない事なんてわかっているのに、恭平さんに慈しまれた体と心はまだ彼を忘れてくれない。新しい恋人に抱かれながら記憶の隅で恭平さんの声と温もりが私を呼ぶ。かき消そうと声を上げれば、覆いかぶさるように波が襲って私は二重の嵐に引き裂かれる。いつまで続くのだろう。時の砂が全て埋め尽くすまで、私は2つの影を追い続けるしかないんだ。

 リビングから歯切れのいい雄太さんの英語が聞こえる。早くシャワーを浴びなきゃ、このままベッドに押し倒されてしまう。何もつけていないスカートの下に気づいて、私は慌ててバスルームへ向かった。



「 今日、ホテルで経友連の会合があるとあの子に教えたのはあなたなの?」

 緋呂子は飲みかけのティーカップをデスクに置き煙草に手を伸ばした。目線は応接用のテーブルで書類をファイリングしている恭平に向けられているが、恭平はその険のある視線を無視して膨大な量の資料を高速で読み飛ばしていく。反応を見せない事に納得しながら、緋呂子はなぜか今日に限ってイラつきを隠せない。それはエレベーターホールで青葉を見つめる恭平の横顔が、ほんの一瞬だが緋呂子の繊細な琴線に激しく触れたせいだ。

「 先週気にしていらっしゃった東アジア向け投資の最新情報が届いていますが、ご覧になられますか」
「 質問をしているのは私よ 」
「 … 今は職務中です 」
「 帰ってベッドの中で話したい話題じゃないわ 」
 恭平は立ち上がって緋呂子のそばにいき、口に挟んだシガーを抜いて灰皿に落とした。
「 10分後に来客があります。あまり匂いをさせるのは礼を欠きます 」
「 言えないのね 」
 恭平は緋呂子を見た。怒っているのか、こちらを探っているのか見当もつかないフラットな目が、軽い嫉妬に身を焼く年上の女を無遠慮に見据えていた。緋呂子は飲み干したカップを恭平に差し出すと、挑発するように唇を軽く釣り上げて笑った。その手を、恭平は無言で包む。途端に緋呂子の顔から淡い恥じらいが浮かんだ。カップを抜き取る仕草は優美だが有無を言わせぬ迫力があり、緋呂子の中の女疼かせるには充分だった。
「 もう彼女とは連絡を取っていません 」
恭平はきっぱり言うとカップをサイドテーブルのトレイに乗せてテーブルの書類をさばき始めた。緋呂子は触れられた手を軽く撫でて立ち上がるとジャケットを羽織った。黒いシルクのブラウスの胸元で、赤いルビーの玉が妖艶に光っている。
「 お化粧を直すから、代わりに電話を取って頂戴 」
「 わかりました」
 バスルームへ向かいかけた緋呂子は、恭平の横で立ち止まった。反応しない恭平だったが、緋呂子にはそれも想定内で寧ろ嬉しいくらいだった。

「 進藤は決算が終わったら海外勤務になるそうよ 」

 わずかに恭平の目が動揺したのを、緋呂子は見逃さなかった。

「 近々、結婚するらしいわよ。先週本人から海外事業部長に報告があって来月内示を出すんですって。寿人事は久しぶりだわね 」

 緋呂子はそのまま仕切りの奥に歩いていった。振り返らなくても。恭平の表情は見て取れる。ドレッサーの前に立つと、緋呂子は長い髪を手櫛で整えながら小気味よい笑いを浮かべていた。

 私の勝ちね。いい気味。あんな切ない顔をして昔の恋人を見るからよ。残酷だけど、これで諦めなさい。

 ゴージャスな色のリップグロスを手にした緋呂子は、鏡に向かい辛辣な笑顔を見せた。


 書類をめくる恭平の手が一瞬止まって再び動き出した。事務的に動く指先とは裏腹に、目は虚ろと狼狽がせわしなく交錯して、動揺の深さを物語る。途端に声を上げそうになるのを止めようと、恭平は意味もなく歯を食いしばった。 

 南向きの窓の外の灰色は恭平の泡立つ胸に重く垂れこめて、浅い息すら詰まらせていく。



 

 

 


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