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兄のこと

    金色の光を放つ無数の糸が限りなく広がる宇宙の隅々までもを埋め尽くすように放散し、夕日に照らされた驟雨が寄せては返す波間に落ちてそれらを煌めかせるように宇宙を覆う暗黒の全てを一斉に浄化した。なにごとにものめり込むタイプの兄が頻繁に外出するようになってから半月ほど経過した頃のことだ。

    兄は家では何も話さないがなにかその時のめり込んでいるものごとがあるとその余波がこちら側にも影響する程度までのめり込むので、そうした段になると家族はそれとなくのめり込み過ぎることへの注意を促したりしていた。しかし今回は家の外での活動がメインになっていたので兄が今度は何にのめり込んでいるのか、家族はあまりよく知らないでいた。

    そうして一週間が過ぎた頃、兄は家中の電池をかき集めてカバンに詰め込んで家を出た。それ以降兄は帰ってこなかった。そして宇宙は光の糸に包まれた。

    地球上のあらゆる人々は予想外の出来事に混乱していた。しかし私たち家族はそれが兄ののめり込んだものごとの結果だとなんとなく予感していた。パチパチと拍手のような音とともに光の糸は地球上に降り注ぎ、いつまで経っても夜は来なかった。

    暖かく晴れやかな光に包まれて人類は衰退していった。それは宇宙に存在するあらゆる生命に等しく訪れた終焉であるようだった。生命の終焉のあまりの煌びやかさに悲嘆の想いは洗い清められ誰しもがその衰退を受け入れていた。

    兄が家を出てからちょうどひと月が経過していた。人類の大半が穏やかな眠りについた。残された者たちはその想いを石に刻むことにした。光の糸の降り注いだ聖なる夜の出来事を、あらゆる言葉とあらゆる象形的絵画的な表現によって生命無き後の黄金と化した宇宙そのものの終焉に向けて、石に全てを刻み込んだ。

    最後の日、兄は地上に降り立っていた。私たち家族を含む人類と地球上のありとあらゆる生命の大半がその終焉を迎え入れようといういう時に、兄は帰ってきた。文明を失い荒れ果てた野原に眠ろうとする私たち家族の前に、兄は静かに寄り添うとゆっくりと口を開いた。

「とりあえず、もういいわ」

    兄がのめり込んで取り組んでいたものごとに飽きたことを示す言葉だった。兄は終焉の創造主となることに飽きたようだった。私たち家族は力無く笑った。

    それから三回目の夜が訪れた頃、兄は風呂上がりにアイスを食べながら何やら考えごとをしていた。すると、兄の手元に光の糸が渦巻き、数メートルはあろうかと思われたあの聖夜の奇跡を表した巨大な石板が何故か数十センチほどに縮小されて兄の手元に現れた。兄は静かにそれを眺めると僅かに微笑んで透明の涙を流した。それ以来、兄の存在は私以外の全ての人々の記憶から失われてしまった。兄の手の中にあった石板が光りながらほつれていき、兄の身体もそれに伴って風に舞う糸くずのようにどこかへ消えてしまった。

    流れ星の降る夜になると私は兄を思い出し、兄がのめり込んで取り組んだ眩いほどの生命の終焉の夜を思い出すのである。

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