青木まりこ現象
私はこの現象について一度、書かなくてはいけないような気がした。
朝、電車を降りた途端にポップコーンの匂いがした。甘ったるいキャラメルの匂いは私の中で映画館を想起させる。目の前にはスクリーン。私はどちらかの手にポップコーンを抱えている。嗅覚は自分の記憶と勝手に関係を持ってしまうものだと思う、きっと五感全てそうなのかもしれないけれど。今日は嗅覚にまつわる話がしたいんです。
青木まりこ現象
この言葉を聞いたことはあるか。
本の雑誌社が出版する「本の雑誌」40号にて、こんな投書がされていた。
発言
『私はなぜか長時間本屋にいると便意をもよおします。三島由紀夫の格調高き文芸書を手にしているときも、高橋春男のマンガを立ち読みしているときも、それは突然容赦なく私を襲ってくるのです。これは二、三年前に始まった現象なのですが、未だに理由がわかりません。
(中略)
長時間新しい本の匂いをかいでいると、森林浴のように細胞の働きが活発になり、
排便作用を促すのでしょうか。それとも本の背が目で追うだけで脳が酷使されて消化が進むのでしょうか? わからない! 誰か教えて下さい。最近、私はこの現象を利用するようになりました。便秘気味の時は寝酒をした翌日本屋へ行くのです。でも成功しても、街の小さな本屋にはトイレはありません。だから本屋から十メートルほどの駅構内のトイレを使うため、定期券とチリ紙は必ず携帯するように心がけています。』
青木まりこ(会社員29歳・杉並区)
この投書は共感が共感を呼び、空前の大ブーム。当時は、様々な研究者がこぞってこの謎を解こうと躍起になった。
いやなにこれ。なんか可哀想だな。なんて最初はなんとなく同情。だって、雑誌の投書欄にちょっとした疑問を投げかけただけの一介の会社員なのである。青木まりこさんは。
にも関わらず「本屋さんや図書館に行くと何故か便意をもよおすという現象。」それ自体に彼女の名がつけられた。
でも何故なんだろう。私もそう思う。
私はこの現象に何故かとても共感してしまうのだ。
小さな頃、私は本が大好きだった。
図書館の新書の"のり"と古書のカビ臭さが入り混じった匂いを嗅ぐと不思議と落ち着いた。図書館の本は色んなおうちに持ち帰られ、また同じ場所に戻っていく。たまにポテチの残骸が栞のように挟まっている。
きったねーと思いながらも、その度に本の重みが増していくような気がして、好きだった。
中でも私はやっぱり匂いが好きだった。
本の中にも生きている動物がいて、生活している。
本の外側にも生きている動物がいて、その生活の中に本の中の、内側の生活がある。
内側の生活は誰の手に渡っても永遠に同じ起承転結があるけれど、本に描かれていない生活は外側の人間の想像によって容易く変えられる。
沢山の人の人生の中を通り抜けていくその生活達はとても懐かしくて新しい匂いがする。
それは実家を思い出すようで少し違う、久しぶりに帰った場所がまるっきり変わっていたけれど、なぜか懐かしい気持ちになるような匂いなんです。
私の語彙が驚くほど皆無なので、意味がわからない。だからとりあえず、上記の一文だけを理解してくれればそれで良いのです。
青木まりこ現象。
それは、本から漂う懐かしさや安堵さを嗅覚が錯覚して起こりうるものなのではないかとずっと確信しています。