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卒制【キャバレー流行】

卒業制作で椎名林檎がコンセプトである【キャバレー流行】を制作した。椎名林檎がキャバレーを開いたら、という体で、働いている女の子やお店のツールをデザインした訳だが、実際のところ出来たものは私の愛の吐き溜めな気がする。そしてそこで、椎名林檎へ対する気持ちを多分初めてしっかりと言語化した。こんなに毎日毎日好きでも改めて言葉にすると自分でも知らなかったような自分と出会うことが出来た。
2023年、21歳の私の椎名林檎への思いを書き留めておきます。


【以下卒制より抜粋】

14歳の時に椎名林檎を見つけてから7年が経とうとしている。毎日のように声が聴きたくて音楽を再生し、少しでも思想に触れたくてインタビューを読み漁り、生きている実感を得るためにライブ映像を見る。そうやってコツコツと貯蓄され続けた愛はいつの間にか自分でも抱え切れないくらいに大きなものとなってしまった。この卒業制作という絶好の機会に椎名林檎がいつか作ってくれるであろう 「キャバレー」 を題材として、世界でただ1人私だけが持っている 「私なりの椎名林檎への愛」を形にしようと思った。
椎名林檎といえば、まずはその唯一無二の世界観を連想する人が多いのではないだろうか。ジャンルを問わない多彩な音楽性、自分の気持ちを代わりに言語化してくれるような哲学的で美しい歌詞、類を見ないファッション、デザイン性…。「椎名林檎」というコンテンツの表層をなぞるだけでもこれらの魅力はすぐに感じ取ることができる。
しかし彼女の魅力はそれだけではない。音楽を通して伝わるリスナーに対する誠実さや愛情深さ、考え方といった本質的な部分にこそ私が椎名林檎を愛してやまない、伝えたい魅力がある。
まず椎名林檎というと初期の頃の新鮮さやインパクト、ルックス、ストレートな表現からメンヘラだとか過激的だとか、色物じみた評価を見ることがある。否。それは私から言わせるとまったくの正反対だ。椎名林檎の深い深い愛と優しさはむしろ私たちを健康で健全な方向へと導き包み込んでくれる。
 彼女は以前から、曲中で描くのは「女の子がブスになる瞬間」だと明言している。「ブスになる瞬間」とは勿論造形の話ではない。それは誰しも思い当たる節があるはずの 「自分が嫌いな自分」になる、あのネガティブでじっとりとした瞬間だ。これは人間なら多分ほとんどの人が経験しているはずで、死ぬまで付き纏うものではないだろうか。「ブスになる瞬間」について「女性は好きな人の前だとブスになる」だとか 「嫉妬」を例に挙げているのだが、それは必ずしも色事だけではないと思う。私にとって椎名林檎は、日常に潜む自分が認めたくないような嫌な自分だとかどうやってもうまくいかない瞬間だとか、そういう毎日誰にでもあるような劣等感ややるせなさに絶大な効果を発揮してくれる。大丈夫、私は分かっているから。と感じるスタンスはこれ以上ないくらい安心するし椎名林檎がついてる私は絶対に大丈夫、不思議なほどそう思えてしまう。音楽を受け取る不特定多数の 「私」 が助けて欲しい瞬間へ向けて歌うからこそ多くの人の心の深い部分に真っ直ぐ突き刺さるのだろうし、心の一番深い部分を見られているような感覚なのだから椎名林檎のファン (愛好家) に思想強め愛重め (決して悪い意 味ではなくあくまで健康的に) な方が多いと感じるのも頷ける。好きで好きで堪らないんですよ本当…!自分が認めたくない自分まで優しく定する椎名林檎の仕事は愛以外の何ものでも無い。
2018年に行われた椎名林檎20周年ライブ 「(生) 林檎博18不惑の余裕」MCで彼女はこんな発言をしてくれた。
「20年経って今こうやってお会いしてるって事は、 私の選んだみなさんなんだなと思ってすごく感極まっております。」
ぼろぼろ泣いた。あまりに、あまりにも椎名林檎を聴いてきた「私」に優しすぎる。ここで会場が大きく沸くのだが、わかる。会場いないけど、興奮がわかりすぎる。私は家で1人号泣しました。ネガティブで嫌な自分を認めてくれる彼女を選んで聴いてきた我々リスナーに向かって 「私が選んだ」って、あまりにもファンのこと全肯定じゃないですか!椎名林檎を選んだ私たちが報われちゃうじゃないですか!自分が好きじゃない自分だとか自信がないところだとか、そういうのを大好きな人が認めてくれるなんてもう堪らないじゃないですか!自信がなかったり上手くできなかったり、自分が肯定したくない自分だからこそ自分の代わりに大丈夫だと言ってくれる彼女の曲が私には絶対に必要で、それを肯定されるのだから、本当に椎名林檎好きだ。好きです。
「ファンが椎名林檎に選ばれたことに誇りを持つことができる」ことや 「椎名林檎という存在を通して自分を認めることができる」。これは本当にすごいことで、それまでやってきた音楽や届けてきたメッセージに絶対的な責任と自信があって、尚且つそのメッセージをしっかり受け取っている。そんな双方の信頼があってこそ成立する関係だと思う。そんな覚悟を持ってファンに愛を届けている椎名林檎、もう本当に愛おしすぎる。
愛は知性にしか宿らない。相手本位で物事を進めていけば自ずと自分のことも赦してゆける。そう語り常にたくさんの 「女の子がブスになる瞬間」 を救い続ける椎名林檎は誰よりも愛情深い。一つ一つの行動に受け取る相手を見据え丁寧に向き合う。誰かと関わらなければ生きていけない世の中で絶対になくてはならないものだと思うし、強く憧れる。
毎日のようにあたためた愛は膨らむ一方で、卒業制作という機会にこのやり場に困る椎名林檎への大きな気持ちを形にした。椎名林檎はいなくても愛好家が満たされるくらい彼女を感じることができる、そんなキャバレー。「椎名林檎」はとてつもなく大きなコンテンツであり、愛好家1人1人に解釈があると思う。私のキャバレーを見て違和感を覚えたり自分の感じ方と違うと思う方ももちろんいらっしゃるはずだしそもそも曲の意味を自分なりに噛み砕いて表現し直すこと自体ナンセンスなのかもしれない。
でもだからこそ、私が思う椎名林檎を込めた。私が思う、愛好家に納得してもらえるような林檎愛で溢れた空間。私だけが表す頃ができる椎名林檎への愛。一愛好家による愛好家のための、椎名林檎コンセプトキャバレー。
美味しいお酒と煌めくステージ、かわい子ちゃんに囲まれて、椎名林檎を感じながらときめいて帰ってもらいたい。

【𝐈𝐧𝐬𝐭𝐚𝐠𝐫𝐚𝐦】
@1998.5.27s
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