手を動かして心を整理するとき
初めて手芸を習ったのは父方の祖母からでした。裕福な家庭に育ち、地元では1番に自転車に乗った女性、テニスもしていた、と新しもの好きで活発な逸話の多い祖母でしたが、孫と暮らす頃にはすっかり手芸と家事の手伝いに時間を使っていました。
そんな、いつも手を動かして毛糸小物やフェルト人形を作っていた祖母に、小学校の時にかぎ針編みと棒針編みを習ったのでした。
案外飲み込みの早かった私は、すぐに本など見ながら小物を作れるようになりました。
子育てに忙しい時は、子どものための手芸以外しなくなっていましたが、私のストレス発散はいつも手芸だったように思います。
今、祖母のことを思い出して、もしかして祖母は、本来心に秘めていた冒険好きや好奇心を手芸で解消していたのではないかと気付きました。
お嬢様だった祖母が結婚して満州に渡り、引き揚げて来たら財産も奪われていて、その後は貧しい教員の妻として生きていたことを幼い頃に耳にしていました。お嬢様育ちで子育てはどちらかというと苦手。子どもたちにも苦労は多かった、と。
晩年は、祖父が別の女性と暮らし始め離婚。紆余曲折あって父の元に身を寄せていました。祖母は滅多に愚痴をこぼすことはなく、ただ静かに手芸をしていましたが、心にはどんな思いが渦巻いていたのだろうと年を重ねた今、今さらのように心に様々な感情が溢れてきました。
一度だけ、祖母を連れて箱根一泊旅行に連れ出したことがありました。いつも籠ってばかりの祖母との旅行。背中も曲がり足の弱った祖母に怪我をさせてはいけない、と緊張していたこと、旧街道の木立に入り、少しだけその空気を2人で吸ったことだけが思い出されます。
ジェンダー平等が叫ばれる昨今、祖母の静かな佇まいに、言葉にならない女性の置かれた生きづらさと孤独を強いられた人生を改めて読み直すように思い出しました。自らの手で生み出す手芸作品は、せめてもの生きていることの証だったようにも思えてきます。
今日も昼間の仕事こと、いただいた電話の主の心の叫びやメールで共有した悩みなど、今も私の心の中でアップアップしている一言一言と、発した方の思いを整理するように、編棒を動かしたのでした。
手芸とこうして文章を綴ることを、自分の人生の彩りに加えられていることにささやかな感謝を覚えつつ。