あと何回春の桜を見上げることが できるのだろう そう思うと桜の花に 手をのばして 届くはずのない その花に 触れてみたいと 心が動く そんな子どものような 自分に気づき 一瞬を 大切に 愛おしみたいと 心に吹く 春風を 深く吸う ゆっくりと 吹く吸う
武蔵国分寺が史跡認定100年を記念して、資料館を無料開放中と聞いていたので思い切って足を運んだ。 東京名水100選のお鷹の道を散策し、かつての武蔵国分寺の姿を思いつつ過ごす秋の午後、農家の蜜柑や柿の味を間近に眺めて、縄文時代から人が生活していたという国分寺界隈の地の力を味わった。 東京での生活が長くなり、しかも23区内で20年近く過ごしていたので、食べ物はほとんど店で見かけるだけで、生きることに欠かせないものなのに、遠くから運ばれてきたものばかり食べていたことに改めて気づく。
戦いに出かけるように暑い中の勤務の日々を続けているうち、ふと風が秋めいて感じられる日がありました。 思い切って昼休みはお弁当を持って出て善福寺公園へ。 およそ二カ月ぶりの善福寺公園。睡蓮で溢れていた水面は、豊かな緑で覆われて、夏空から秋空へと色を変えつつある空をその隙間に映し出していました。 世界で、日本で、心塞ぐニュースが絶えない中、この場所に座ると生きていることそのものがなんてありがたいことだろうと思えてきます。 どうか深い悲しみにある方の心にもこの空や緑を通して得
オリパラに関する過去のいじめの記事を少し読むだけで、吐き気が否めないのは、多くの人が過去に見たいじめの姿を思い出すからではないかと思った。 あれほど人権を蹂躙する言動では無くても、少し周りより理解が遅かったような子がいじめのターゲットになって様々な嫌がらせを受けていた。 私は、そういう時には出来るだけ、「やめなよ」と声を上げ、せめていじめられていた子と一緒にいるようにしていた。 こう書くとさも正義感の強い子のようだが、心の奥から罪悪感が消えないのは、2学年下の弟が、まさ
この見事な芍薬を、自分の葬儀の時に使って欲しいと言っておられた、と大先輩の葬儀後に2輪いただいた。 そのふくよかさと優雅さに故人の精神性を覚えた。 私なら、と思ったが、コロナ禍の今はただシンプルに家族だけに送ってもらえれば十分だと思う。 もし、私の訃報を聞いて私と過ごした時間を思い出して少しでも、楽しかった、出会えて良かった、と思っていただけたなら、本当に十分。 いつでもそんな気持ちで毎日を過ごしたいと思う、コロナワクチン接種前夜。
緊急事態宣言中だが、仕事で久しぶりにバスに乗った。 1番後ろの席には誰も居らず窓も開いていたので窓際に腰を落ち着かせた。 バス最後尾の心地よい揺れを受けながら初夏のような光のあふれる車窓の風景を眺めていると ソワソワと心がだんだんウキウキするのを禁じ得なかった。 小さな頃から路線バスが好きだった。車窓の流れる風景を見ながら様々な想いが流れていくのも。 こうして綴っていてもバスの風景と共に様々なことを思い出す。 市民プールに行ったはいいが、水着をあらかじめ洋服の下に着
3回目の緊急事態宣言が今週はじめの予測より1日早まることが決定的になり、仕事関係の連絡にストレスを覚えたからか夕方微熱が出てしまった。 数日前からちょっと喉も痛むので、とうとう? と気持ちが焦って、とにかく早く入浴して布団に潜り込んだ。 その後何回測っても平熱なのだが、こうも自分の身体にビクビクしなくてはならないのは、本当に情けない。 ほとんどの人が重症化していないのだが、怯えてしまうのは、2度の出産後に何度も肺炎を繰り返し、苦しんだ日々を経験しているからだと思
7年前に今の家に引っ越した際、いただいたクレマチスの鉢植えを庭に地植えした。 ところが2年目までは綺麗に花をつけてくれたのに、土が痩せてしまったのか、手入れもしないからか花をつけなくなって寂しく思っていた。 細い蔓を切らないで待っていたけれど、毎年あまり茂るようすもなく、もう咲くことはないのかな、と諦めていた。 今年の春に向けて私がした変わったことといえば、クレマチスの横の薔薇の剪定を思い切って大胆にしたことだった。細い枝を間引くようにして風通しよくしていたせい
「つくしのれんげ」という名前は、何年も見ていない春の花、懐かしい幼い頃の春の風景を思ってつけました。 毎春、どこかでつくしやれんげを見ることができないかしら? と思いながら東京では実現できずにいたので、昨年、思い切って「れんげ草」の種をネットで購入して、庭に無造作に蒔いてみていたのでした。 桜の季節も終わり、花大根の紫の花も咲き始めましたが、れんげの可愛い花の姿を中々見ることができません。そこで、ネットでれんげの葉っぱの画像を探して、もしかして、れんげの葉が出てる!?
初めて手芸を習ったのは父方の祖母からでした。裕福な家庭に育ち、地元では1番に自転車に乗った女性、テニスもしていた、と新しもの好きで活発な逸話の多い祖母でしたが、孫と暮らす頃にはすっかり手芸と家事の手伝いに時間を使っていました。 そんな、いつも手を動かして毛糸小物やフェルト人形を作っていた祖母に、小学校の時にかぎ針編みと棒針編みを習ったのでした。 案外飲み込みの早かった私は、すぐに本など見ながら小物を作れるようになりました。 子育てに忙しい時は、子どものための手芸以外しな
「これからは、時間と労力をかけて『後ろに進む』ことをまずやらなければならないと思います。これまで見過ごしてきたものを取り戻しにいく前向きな旅は、後ろに進むのです」(『弱さのちから』若松英輔著) 弟の亡くなる少し前に友人から借りていたこの本をそろそろ返さなければ、と読みかけの続きから読み始めました。その中で心に留まったのが、引用した言葉。 大切な家族を失ったのですが、生きている間は仕事や育児の忙しさを言い訳に離れて暮らす家族のことを一度も考えないような日々も多くありまし
中学二年生まで住んでいた家の庭には、ゆうに三階分はある高さのメタセコイヤの木が一本植えられていた。国道沿いの田んぼの向こうにすっくとたつメタセコイヤは、我が家の目印だった。 メタセコイヤの傍には櫨の木があり、葉に触れるとかぶれるから、とその二本の木には近づけなかった。 幼い頃に大きな木を見上げて育ったからか、大木のそばにいると心が落ち着く。 「おおきな木」という絵本がある。 小さな頃から見守って、いや共に成長した男の子は、木の恵みを次々ともらって、最後には切り株だけに
20年ほど前に住んでいた町で、子どもの保育園に向かう路地の角に見事なヤマブキが塀を覆うほどに咲き誇る家があった。 子どもの歩みに合わせていると、時々その家のご主人と顔を合わせるので、挨拶を交わすようになった。失礼な言い方になるが、鬼瓦のような浅黒いというか赤黒いというか、黙って睨まれたらちょっと怖い顔なのだが、挨拶するうちに、子どものような笑顔で大声で話しかけてくれるようになった。 ある時、新年早々の頃、登園を待っていたように呼び止められて、綺麗な羊の🐑絵の金の栞を、娘と
高校から大学時代にかけて、語学堪能で知性があるにもかかわらず、いつも奥ゆかしい態度で淡々と仕事をこなしている社会人の女性に憧れの思いを抱いていました。 まだ進路も定まらない私でしたが、そのような雰囲気の女性でいたい、と思っていたことを思い出します。実際には様々な経験を経て奥ゆかしいにはほど遠い女性として歳を重ねていますが。 昨日、新宿御苑で葉桜になりつつあるソメイヨシノや満開の八重桜を満喫した私は、最後に、蛇の目エリカの花に出会いました。 先ほどの憧れの女性に、誕生日プ