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過去のいじめ報道で思い出したこと

オリパラに関する過去のいじめの記事を少し読むだけで、吐き気が否めないのは、多くの人が過去に見たいじめの姿を思い出すからではないかと思った。

あれほど人権を蹂躙する言動では無くても、少し周りより理解が遅かったような子がいじめのターゲットになって様々な嫌がらせを受けていた。

私は、そういう時には出来るだけ、「やめなよ」と声を上げ、せめていじめられていた子と一緒にいるようにしていた。

こう書くとさも正義感の強い子のようだが、心の奥から罪悪感が消えないのは、2学年下の弟が、まさにいじめられていた様子を見ても、見ないふりをしていた自分の姿を知っているからだ。

今思うと誰もが弟と私のことを知っていただろうに、少し愚鈍に見える弟の存在を知られたくない思いさえあったのだ。

本当に自分の立場しか考えていない偽善者ぶりを小学生の私は自覚していた。

今二児の母になり、その当時の自分が十分にいじめの加害者だったのだと感じている。けれども、どんなに間違っていたとしても、小学生の自分を裁くことはできない。赦すこともできないが。弟に赦しを乞うこともできない。

だからこそ、自分の加害者性を見つめながら、せめて苦しんでいる人のそばに、たとえ不思議がられようと、誰にも見られなくても、そっと居られる人でありたいと思う。

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