彼女は大きな虎を飼っていた【フィクション】
彼女は、大きな虎を飼っていた。
「まつ毛が長くてな、肉をバクーって食べんねん」
ボクは餃子を皮に包みながら、へーと頷いた。そろそろ100個目。手を匂うとニンニクのにおいがした。1つまた1つ手を進めるボクを横目に、彼女(ユミカ)はボクらが小さい頃にやっていたドラマの再放送を観ていた。
「虎ってさ、餃子何個食べるん?」
「んー、500個くらいかなー」
クシャッと笑う彼女の顔は、猫みたいだった。
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ボクたちは同じ専門学校でデザインを勉強し、卒業した。ボクは地元の印刷会社に、彼女は大阪市内の動物園に就職した。
「だってユミカ、動物好きやもん」
そんなことを言っていた気がするが、ボクがデザインの話をすると露骨に面白くなさそうな顔をした。次第にボクは彼女の前で仕事の話をしなくなっていった。
そんなボクたちも社会人3年目。できることも増えてくる。ボクは会社の広報誌を任せてもらえるようになり、ユミカは虎の飼育員になった。
「大出世やろ?」
「ユミカ大出世パーティ」と名付けられたその晩。ボクたちは赤ワインで乾杯した。お互いお酒なんてロクに飲めやしなかった。
「虎の飼育員ってな、檻の中の入んねんで!」
「バケツに、こーーんな肉詰めんねん!」
お酒の弱いユミカは楽しそうに話した。
「動物園業界のことはよう分からんけど、すごいやん」
「よう分からんってなんよ、
ユミカにしたらデザインのこともよう分からんわ」
静かになったワンルームには、隣の部屋のテレビの音と笑い声が微かに聞こえていた。
ボクは一言、ごめんとつぶやいた。
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「これ最後?私やるわ」
ユミカは、まだ慣れていないような手つきで具を皮に包んだ。皮から具がはみ出している。でも何も言わないのが吉。
「ユミカ特製餃子完成〜!」
150個の餃子がテーブルに並んだ。
「ナカガワの餃子はきれいやけど、おもんないな」
2人の作った餃子は2人そのもののような気がした。生意気で目立ちたがりで強がりな餃子と、小さくまとまったちっぽけな餃子。
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「地球滅亡の前日、何食べたい?」
専門学校の新入生歓迎会。1つ年上の先輩が1年生に質問している。やっぱり普通のご飯と味噌汁ですかね〜、オカンのカレーですね。大体そんな感じ。
「おおきい唐揚げです」
ボクの向かいに座る女の子がそう言った。それいいなぁと思った。唐揚げ。それもおおきな。どれくらい大きいんだろう。
「俺もそれがいい!」
ボクがあんまり真剣に言ったもんだから、彼女は笑った。それからボクたちは映画を見に行って、何回かご飯を食べに行って、付き合うことになった。
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「あ、この人!小学校同じやねん」
深夜のテレビ番組。若手芸人が激辛ラーメンを食べている。
「へー」
「めちゃくちゃヤンキーやったらしいわ」
「そうなんや。俺もヤンキーなりたかったな」
「ナカガワは、ナカガワやから良いねんで」
ユミカは餃子をタレに付けて食べた。タレがこぼれて、テーブルについた。ボクはティッシュでそれを拭いた。
「てか、餃子めちゃくちゃ食べるよな。」
「何個くらい食べれるん」
「500個くらい?」
「虎とおんなじやん!」
ボクたちはたくさん笑った。
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ユミカはボクのことを名字で呼ぶ。
「だって出会った時はナカガワやったやろ?なんで変えなあかんねん」
初めのうちは気になったけれど、今となっては心地よかった。
「もし結婚したらどうするん」
「ずーっと変わらんけど」
ユミカの口から、ずーっと、という言葉が出たことが嬉しかった。本人は何気ないんだろうけど、思い出す度にボクはその言葉にやられている。
その日の洗い物はユミカの当番だった。よほど美味しかったらしく、流行りの歌をダンス付きで踊っている。
「ナカガワー、また餃子作ろなー」
「ええよー」
「またユミカの特製餃子食わしたるわ」
「そら楽しみやなあ」
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その晩、手を繋いで布団に入った。ユミカの手は小さくて、鼻に擦り寄せるといい匂いがした。
「やめてー」と、眠そうな声でつぶやいた。もっとクンクンしたら、コラ!と怒った。それから、彼女はスースーと眠った。
ボクはユミカを眺めながら、彼女の働く姿を想像した。バケツたっぷりのお肉。バクバク食べる虎。檻の中。ものすごく大きな虎と、小さな彼女。
「すごいな。大出世やな」
明日の朝になったらユミカの頭をたくさん撫でて、いっぱい褒めてあげよう。これからもずっと、ユミカを褒めてあげよう。そう思った。
お気持ちだけでも飛び上がって喜びます