渡豪日記4 ここを選んだ理由
オーストラリアにきて約1ヶ月が経ちました。やっとこっち生活にも慣れてきてゆっくりできるようになってきました。
今回はなんでワーホリを決めたのか、なんでオーストラリアのベンディゴなのかを話したいと思います。
まず、大学3年で成績を出せなかった時に「もう柔道は大学で終わりだな」と決めていました。でも、こんな風に決めていても、やはり小学1年からやっていた柔道をやめた時の想像がつきませんでした。
就活の時期になり同級生や友達などは警察や実業団(柔道)、大手企業を受ける人ばかりでした。
そこで色々考えてる時にどんな風に将来なりたいかを考えていました。
夢中になれる仕事 夢中になれる事がある生活がしたい
柔道くらい熱中できる、柔道くらい夢中になれるものはなんだろうなと考え、俺はやりたい事(興味あること)をやろうと決めました。
今まで1度も日本から出た事なかったので海外への憧れが強く、日本を出てもっと色々なものを見て聞いて感じてこようと決めました。
気合の入った父親の影響から行くなら日本人がいない様な所に行こう、英語しか話せない環境を作ろうと、どんどん決まっていきました。
知り合いの日本人でもたくさん海外に出てる人はいましたけど、それよりも唯一の外国人の友人(柔道仲間)であるオーストラリア人に話をしました。
そうすると彼は俺の希望どうりの日本人からしたらどこ?と思うような所に話を通してくれて今に至ります。
まだまだ来て1ヶ月ほどしか経ってない未熟者ですがこの選択は間違っていないと信じています。
俺が柔道の恩師から貰った忘れられない言葉があります。
迷ったら勇気のいる方を選べ
これは全くその通りだと実感しています。決める前に俺も迷っていました。親には「消防になろうと思う、場所はどこでもいいから、地元(群馬)に帰ろうかな?」とか言っててそのあといきなり、「海外行きたい!」って言いだした時は相当驚いていました。高校(岡山)から寮生活で実家を離れていたため、母親は地元に帰ってくる事が嬉しかったようで期待を裏切ってしまった様な気にもなりました。
まだ高校生の頃、初めて実家に帰省した時に会ってすぐ母親が「会ったらまた別れなきゃいけない」と言って涙を流していたのを今でも覚えています。大学の寮を退寮してからも、父親の仕事の手伝いでお弁当を作って欲しいと言ったら嬉しそうに食べれないくらい作ってくれました。(もちろん全力で残さず食べた笑)愛されているなと感じさせてくれました。きっと海外でまたさらに遠くへ行く決断も応援してくれていますが、俺には見せない葛藤があったんだと思います。
この分の親孝行をしっかりと返したいと思っています。それは物をあげることよりも、立派になって帰ってくる事や頑張ってる姿をみせることだと思います。
英語を中学のテストで20点とかだった俺が1人で語学学校も通わず(ほとんどのワーホリの人が語学学校に最初に通う)こっちで生活をするという事が意味がある事だと思っています。
俺の周りにも行きたいけど中々決めれない、お金がない、英語ができないという人たちに俺が頑張る事でこっちで実際に生活する事で背中を少しでも押す事が出来たらと思って頑張っています。
柔道の時は目標は1つ歳の離れた兄貴でしたが、社会に出てからは父親を目標に頑張って行こうと思っています。