【小説】ロックバンドが止まらない(120)
辿り着いた居酒屋は土曜の夜ということもあって、大勢の客で混雑していた。学生グループだろうか。無邪気に騒いで笑っている声が、今の神原には癪に障る。
予約していた席に通されると、神原たちはひとまずビールを頼んだ。でも、ビールを待っている間も四人とも何も言わず、気まずい空気は店内の無邪気な明るさとは不釣り合いだった。
そして、それはビールが運ばれてきて、四人で乾杯をしてもさほど大きな変化は見せない。口にしたビールも、神原にとってはただただ苦いだけだった。
「まあさ、今日のことはひとまず忘れて呑もうぜ。ほら、お前ら何頼むよ?」
鈍重な空気を変えようと、久倉はあえて明るい声を出していた。メニューを手に取って、三人にも見えるように開いていたけれど、神原はそう簡単には切り替えられない。
はっきりと良くなかったと言えるライブをしてしまったことで、心はダメージを負っていた。
「いや、忘れちゃダメでしょ。今日は私たちが今までしてきた中でも、間違いなく最低のライブだった。それを何事もなかったかのように振る舞うのは違うよ」
そう口にしたのは、他ならぬ園田だった。今日のライブで一番精彩を欠いていて、神原たちとしても気を遣っていたのだが、本人は逃げてはいけないと思っているかのように言う。その姿は自ら傷口を広げようとしているようで、神原にはあまり見ていたいものではない。
それでも、園田は三人の顔を今一度見回すと、はっきりと続けた。
「三人ともごめん。今日のライブがこんなになっちゃったのは、全部私のせいだよ。私がグズグズな演奏してたから、三人にもそれが伝わっちゃったんだよね。今日の私は本当に良くなかった。それこそいくら謝っても足りないくらいに」
「そんなことねぇよ。たとえ一人がうまくいかなかったとしても、他の奴らがそれをフォローするのが、バンドってもんだろ」
「いいや、今日の私は泰斗君たちがフォローできる範囲を、遥かに下回ってた。どこを切り取ってもダメダメで、お金を貰って聴かせるような演奏じゃなかった。私のベースがガタガタだったから、それに泰斗君たちも引っ張られちゃったんだよね。本当にごめん。何を言われても、文句は言えないよ」
「いや、確かにライブ中は何やってんだよって正直思ったけど、でもお前どうしたんだよ? 練習では普通にできてたのに、どうして今日になって急に調子悪くなったんだよ?」
口ごなしに責めたい気持ちは神原には否めなかったけれど、園田一人を悪者にすることも気が引けたから、堪えて尋ねる。
三人の視線が集まる中で、園田は少しだけ俯いた。
「ごめん。何言ってんだって思われるかもしれないんだけど、多分今日の私には慢心があったんだと思う」
「慢心?」
「うん。ほら、最近『全振り』のタイアップが決まったり、夏フェスにも出たり、ワンマンツアーが決まったりとか、少しずつ私たちうまくいき始めてたでしょ? 練習も問題なくできてたし、ワンマンも何度かやってるから、きっと今日も大丈夫だろうって。そう根拠もなく思ってた」
そう言った園田に、神原はハッとするようだった。自分だって緊張はしていたものの、それでも今日も何とかなるだろうと思いこんでいた部分がなかったとは言い切れない。そんなものはライブが始まらないと分からないというのに。
それは久倉や与木も同様だったのか、園田を責める者は誰もいなかった。重さを増した空気に、店内で自分たちだけが異質であるかのように神原は思ってしまう。
「でもね、いざ演奏を始めてみたら、多分緊張してたのかもしれないけど、イメージしてたような演奏ができなくて。落ち着いて立て直せればよかったんだけど、そのときの私は『思ってたのと違う』って、軽いパニックを起こしちゃって。ヤバいヤバいって焦ってたら、演奏はどんどん狂っていっちゃって。その結果があの惨状だよ。改めてだけど、今日は私のせいで本当にごめん」
「そんな何度も謝るなよ。今日は今日でしっかり反省して、二度と今日みたいなライブをしないように、経験として生かせばいい話じゃんか」
「うん。それはそうなんだけど、でもまた今日みたいにならない保証はどこにもないでしょ……?」
「何、弱気になってんだよ。次はきっと大丈夫だって」
「うん、私もそう思いたいんだけど、その気持ちこそが今日のライブがうまくいかなかった要因になっちゃったわけだし……。たぶん、音楽の神様から『調子に乗るなよ』って言われてるんだと思う。もしかしたら、これくらいで慢心してた罰を与えられちゃったのかもしれない。私たちよりも人気や実績のあるバンドなんて、いくらでもいるのにね」
音楽の神様という存在を持ち出したことに、今日のライブで園田が相当参っていることが、神原には察せられた。ただ練習してライブに臨んで。自分たちは罰を与えられるようなことなんて、何もしていないはずなのに。
園田をどうやって励ませばいいか、神原は少し迷う。何の根拠もないのに「大丈夫だ」と言うことは、少しも園田のためにはならないような気がした。
「……じゃ、じゃあ何だよ。次もうまくいかないかもしれないってビクビク怯えながら、ライブするのか? それこそうまくいくものもいかないだろ」
気まずい空気に耐えかねたように口を開いたのは与木だった。園田の目は少し見開かれていて、思いがけない展開になっていることを語っている。
全員の視線が集中するなか、与木は思い切ったように続けた。
「今日うまくいかなかったのは、音楽の神様から罰を与えられたからじゃなくて、俺たちの練習が足りなかったからだろ。今日の反省を生かして次からはもっと集中した、密度の濃い練習をする。何があっても大丈夫って言えるくらい、練習を重ねる。それしかないだろ」
「それはそうだけど……」
「園田さ、もう四の五の言っていられる状況じゃないだろ。俺たちはもうやるしかないんだよ。これからも音楽を続けたい、バンドで食べていきたいならさ」
「うん、そうだね。確かに私たちにそれをしない選択肢はないもんね」そう園田が頷いたのは、与木が圧倒的に正しいことを言っていたからだろう。正論が必ずしも人を救うとは限らないが、それでも今の神原たちにはそうする他ないのも事実だ。
「そうだな」と頷いた久倉に神原も続く。テーブルの空気は、かすかに上向きつつあった。
「だ、だからさ、また明日から練習頑張ろうぜ。これからしばらくライブはないから、しっかりと練習を積んで次のライブこそうまくいくように」
少しつっかえながらも口にした与木に、今度は全員が揃って頷く。まだ汚名返上の機会があることが、神原にはとても幸運なことに思えた。
それからも、四人は飲食をしながら会話を続ける。話は今日の反省がメインになって、それは少し心苦しいことではあったものの、だけれど一度問題点を洗い出す必要があったから、神原たちはしっかりと気持ちを持って、お互いの至らない点を指摘し合った。
でも、反省して落ち込むのも今日まで。明後日に控えている次の練習には、切り替えて臨む。
そのことが次のライブを成功させるためには、一番確実な道だった。
神原たちの次のライブは一二月、下北沢CLUB ANSWERで予定されていた。年末恒例のライブイベントに出演するのだ。
そしてその前には、一二月に入ってからセカンドアルバムのレコーディングがある。既にリリースしていたシングル三曲に加え、新たにアルバム曲七曲を収録した、一〇曲入りのフルアルバムとなる予定だ。
だから、ワンマンライブを終えた神原たちは、すぐにアルバム曲の曲作りに入っていた。既に神原は七曲とも原曲を書き上げられていたから、四人はスタジオに入ってひたすら編曲作業に勤しむ。
ああでもない、こうでもない、ここはこうしたらどうか、いやこっちの方が。そんなやり取りを重ねながら、完成形を目指して演奏を重ねる。
自分を含めて四人ともが、それぞれのフレーズを考えてきていて、それをすり合わせることが編曲作業のメインになったが、それでもなお園田の調子が戻っているとは、神原にはあまり思えなかった。自分のパートは用意してきているものの、それも演奏と合わせて小さくまとまっている感じは、神原には否めない。
不調だったワンマンライブを引きずっているのか、それとも神原たちに遠慮しているのか、意見もあまり出してこなかった。だから、神原たちも気を遣わざるを得ない。
どの曲も少しずつ完成形に近づいてきてはいたけれど、まだ自信が回復していないかのような演奏に、神原はどうしても不安を感じてしまう。このままではレコーディングにも影響してしまいそうで、危惧した神原たちはいくつか声をかけていたけれど、それも園田の心の奥まで届いている印象は、神原にはなかった。
月が変わってしばらくして、吐く息も白くなり始めたその日も、神原たちはスタジオに入って新曲作りに取り組んでいた。時間が傷を癒やしてくれたのか、園田の演奏にも少し回復の兆しは見られていたものの、それでも何年も一緒にバンドをやってきた神原たちから見れば、まだ本調子だとは言い難かった。
月が変わった翌週には、レコーディングは始まってしまう。それまでにどうにかしなければ。
それでも有効な解決策は、まだ誰にも見出だせていなかった。