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【小説】ロックバンドが止まらない(119)


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 神原たちが『全力で振りきって』のオープニング曲を担当することは、オープニング映像が完成した翌日に発売された月刊グローリーの誌上で、正式に発表された。ホームページでも同時に発表したから反響はそれなりにあって、平井や中美たちからも、その日のうちに連絡がきたほどだ。

「タイアップおめでとう」という言葉が素直に嬉しく、神原は頬を緩める。「まったく知らなかったんだけど」と言われても「そりゃまあ言っていなかったからな」と軽い調子で返すことができていて、神原は今回のタイアップの効果を、発表された時点で身をもって味わっていた。

 発表された反響を神原が味わっていると、ワンマンライブの日はすぐにやってきた。この日のライブハウスは下北沢のSKELTERだ。何回かライブをしたことがあるから、神原たちにとってもある程度勝手は知っている。

 オーナーに挨拶をしてから、さっそくリハーサルに入る。シングルとしてリリースされたばかりの新曲である「晩夏の情景」を実際にステージで合わせたときにも、神原には特に問題は感じられなかった。四人ともが練習通りの効果的な演奏ができていて、調子は悪くなさそうだ。

 今日のワンマンライブは、今まででも一番チケットが売れている。もちろん緊張はあるけれど、それに恥じないだけのライブができそうだと、リハーサルを終えたときに神原は感じていた。

 リハーサルが終わってからは思い思いの時間を過ごし、開場時間前に神原たちは楽屋に戻る。開場されてフロアから聞こえる話し声は今まででも一番多くて、それだけの観客が入っていることを神原に窺わせた。

 舞台袖に立っても緊張はしているが、それでも神原はいくらか楽観的な思いも抱けていた。

 シングルやアルバムをリリースする度に行っているワンマンライブも、もう五回目だ。今までのライブはしっかりと経験値として神原のなかには蓄積されていたし、それは表情を見るに園田たちも同様らしい。

 きっと今日も何とかなるだろう。ぼんやりとだが、神原はそう思うことができていた。

 開演時間ちょうどにフロアの照明は落とされ、観客からは小さな歓声が生まれる。登場SEが鳴り始めると、この日もフロアからは、リズムに合わせて手拍子が鳴らされる。それは神原たちのライブに複数回足を運んでいる人も大勢いることを示していて、神原には心強かった。

 そして、神原たちがステージに登場すると、手拍子は大きな拍手に変わった。ステージからざっと見回してみても、フロアは人がいないところを探す方が難しかったし、その中には神原たちが何度か目にしている顔もいくつも見られた。

 ライブハウスには自分たちのホームかと思うような、暖かな期待する空気が流れていて、神原にはこの雰囲気の中で演奏できることが、ライブが始まる前から誇らしく感じられていた。

 楽器を構えた神原たちは、登場SEを止める。ライブハウスを包む一瞬の静寂。

 それを切り裂くかのように、向かい合った神原たちは一斉に第一音を鳴らし出した。その瞬間、フロアの空気は切り替わり、いよいよ幕を開けたライブに、期待の色はより濃くなっていく。

 適当なコードを弾きながら「こんばんは! Chip Chop Camelです! 今日はよろしくお願いします!」と、神原はマイクを通して呼びかける。拍手で応えてくれる観客に、思わず頬が緩んでしまいそうになる。

 そして、神原たちはそのまま久倉のドラムを合図にして一曲目の演奏に雪崩れこんだ。

 神原たちにも観客にも、高揚感を帯びたライブの始まりになるはずだった。

 だけれど、一曲目を演奏しながら早くも神原の耳は違和感を感じてしまう。

 園田の演奏が、どことなく精彩を欠いていたからだ。目立ったミスはしていないものの、練習で見せていたような歯切れのよさや安定感は、今の園田の演奏からは感じられない。今までのライブではあったハリや迫力のようなものも薄く、どうかしたのだろうかと神原には思ってしまう。

 自分の歌や演奏に集中しようと思っていても、まるで意識しないことは一緒に演奏している以上、神原には不可能なことだった。

 二曲目になっても三曲目になっても、園田の演奏はさほど持ち直してはいなかった。おぼつかないリズムキープに、決まった演奏をどうにかこなすだけで精一杯のような印象を、神原は受ける。久倉のドラムと息が合わない場面も散見される。

 幸い観客は園田が調子を崩しかけていることには、まだ気づいておらず身体を揺らしてリズムに乗ってくれていたけれど、それでもこのままでは、違和感を覚え始める観客が出てしまうのも時間の問題だ。

 それは、当の園田が一番よく分かっているのだろう。自分の演奏がうまくいっていないことに、迷いが生まれつつあるのか、音が少しずつ弱くなってきてしまっている。バンドとしての適切なアンサンブルにも欠け始め、神原はどうにか園田が調子を取り戻してくれることを望む。

 でも、いざライブが始まってしまったら、神原たちにできることはほとんどなく、普段以上に正確な、練習通りの演奏を心がけることが、神原たちにできる唯一の処置だった。

 それからもライブは、事前に決めたセットリストの通りに進んでいく。

 だけれど、園田の調子はなかなか戻らなかった。何回も演奏してきたはずの曲さえ、リズムキープはうまくいかず、フレーズはくぐもってしまっている。

 もしかしたら緊張しすぎているのかもしれないと、神原はライブMCを少し長めに取って、園田の緊張を解そうと試みたが、その間も園田はどこか焦点が合っていないかのような目をしていて、功を奏したとは言い難かった。

 思うような演奏ができていない焦りがあるのだろう。曲を重ねるごとに、園田のベースは少しずつ不安定になっていき、久倉との息が合わない瞬間も増えていく。

 ぐらぐらした土台の上でせめて転ばないように、神原たちは着実な演奏を意識したが、その代償にサウンドは小さくまとまってしまっていて、演奏しながら神原には手ごたえがあまり感じられない。今までのワンマンライブでも、一番悪い出来だと思えるほどだ。

 そのことに勘づいてきた観客もいるのだろう。フロアに生まれていた盛り上がりは徐々に収まっていき、ただひたすらに曲を聴くだけの空間と化していく。神原が理想とするライブとは正反対だ。

 でもだからといって一人煽情的な演奏をしたら、それこそ今どうにか成り立っているアンサンブルが崩壊しかねないので、ただ一つ一つの曲を着実に演奏していくしかない。

 それはもはや演奏するというよりもこなすといった表現が近くて、早くライブを終えてしまいたいとさえ、神原には思えてしまうほどだった。

 一度そう思ってしまったが最後。ライブの時間が、神原には普段の何倍も長く感じられてしまう。まだ残っている曲数を確認して、軽く鼻白んでしまうほどだ。

 調子の上がらない園田のベースは、徐々に久倉のドラムにも波及していき、神原と与木にも確かな影響を及ぼす。観客はCDとは違う臨場感を味わいに来ているのに、今の神原たちはそのCD通りの演奏すらできていなかった。

 もはや演奏が噛み合っていないことは、多くのそれほど音楽に詳しいわけではない観客にも明らかだったのだろう。リズムに合わせて身体を揺らしてくれる人は明確に減っていたし、フロアの空気が「もう聴いていられない」「早く終わってほしい」と訴えかけているようにすら、神原には感じられる。

 だけれど、神原たちには事前に用意したセットリストを全うする以外の選択肢はなく、あまり求められているとは言えないなかでの演奏は神原たちにとっては、もはや苦行ですらあった。

 本編の最後に演奏した「FIRST FRIEND」さえ凪いだ海のような静けさに、神原たちは今日のライブの出来をはっきりと突きつけられる。

 演奏を終えて「ありがとうございました!」と神原は言ったが、本心では「今日はすいませんでした!」と謝りたいくらいだ。

 神原たちがステージから降りてもなお、フロアはアンコールを求める拍手をしてくれている。でも、その響きに覇気は感じられず、惰性でしていることが、神原にははっきりと分かってしまう。これまでのような演奏をするなら、再び登場する意味がないとすら感じられてしまう。

 でも、観客の求めに応えないわけにはいかず、神原たちはお互いに「大丈夫か?」と声をかけあってから、ステージに再登場した。

 自分たちから求めていたはずなのに、観客のまばらな拍手が、どこかうんざりしているようにさえ神原には聴こえる。

 今までのどんなライブよりも演奏をしづらい空気。でも、それは紛れもなく自分たちが招いたものだったから、神原たちは覚悟を決めて演奏を再開させた。

 それでも、神原たちの演奏は噛み合わなかった本編を引きずっていて、誰にとっても満足がいくものとは言い難い。もはや自棄さえ起こしてしまいそうだったが、神原たちはそれを懸命に抑え、自分たちの演奏に徹した。

 フロアに流れる「もういいよ」という雰囲気に、押しつぶされそうになりながら。

 二曲を演奏したアンコールも、神原たちにとっては充実した時間になったとはとても言えなかった。演奏は最後までがたついたままで、すればするほどかえって観客を失望させてしまうようでさえあった。

 そして、その感覚が正しかったことは、用意していたダブルアンコールをできなかったことによって証明されてしまう。アンコールが終わったときには辛うじてあった拍手や手拍子も少しずつ止んでいき、やがては完全になくなってしまった。

 きっと帰り始めた観客にとって今日のライブの印象は、「微妙だった」の一言に尽きるのだろう。それは神原たちも同様で、今日のライブに満足している者は誰一人としていなかった。

 ダブルアンコールができなかったことに、無念さや悔しさ、申し訳なさといった感情が神原の中でないまぜになる。

 ただ一つ言えることといったら、今日みたいなライブを続けていては自分たちに先はない。それだけだった。

 それでも、ライブを終えた神原たちは打ち上げ先である居酒屋に向かっていた。本当は疲れもあったし、神原だって家に帰ってそのまま寝て、気持ちをリセットさせてしまいたい。

 だけれど、二度と今日のようなライブをしないためには、うまくいかなかったときにこそ振り返って、自分たちの演奏と向き合う必要がある。

 だから、神原たちは重い足をどうにか動かして、居酒屋への道を歩く。四人の間に流れる空気は外の暗さにも負けないほど暗く重たく、翌日にもライブが控えているため、下北沢SKELTERのスタッフが一人も今日の打ち上げに参加しないことも、そのことに拍車をかけていた。


(続く)


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