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【小説】ロックバンドが止まらない(146)


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 久倉からの意見を受けて、他の候補となる曲を作るために、神原は再び原作小説や映画の企画書、脚本を読み返すことから始めていた。

 特に原作小説は久倉が言ったことを念頭に置いて読むと、決して明るいだけでないビターな部分が頭の中に立ち現れてきて、神原は自分がどれだけ表面的な部分しか見ていなかったのか、痛感させられる。目から鱗が落ちるかのような、新鮮な印象さえある。

 でも、それはすぐに曲の形となっては現れず、神原はなかなか新しい曲を書けない、悶々とした日々を送っていた。自分が最初に作った曲は、今なら「『東山ワナビー』には違う」と言い切れるが、それでもその違いをどのように表現したらいいか、神原にはなかなかとっかかりが掴めない。

 バンド練習で園田たちと顔を合わせたときも、誰も明確な言葉にはしていなかったけれど、それでも次の候補の曲はまだかと思っていることが、スタジオに流れる空気から伝わってきて、神原は少し焦り始めてさえいた。

 それでも、神原が曲を書けない中でも日々は着実に過ぎていき、次のライブイベントへの出演日も確実に近づいてくる。

 その日も神原は何とかバンド練習を終え、家に帰ると『東山ワナビー』の主題歌を作ろうと試みる。でも、それはやはりうまくいかず、日付が変わる時間を迎えてしまう。バンド練習の疲労もあり、曲作りを切り上げた神原は寝る支度を調え始める。

 そして、寝ようとした間際だった。携帯電話が着信音を鳴らしたのは。

 それは電話ではなくメールが来た知らせで、神原もすかさず携帯電話を手に取る。メールを送ってきたのは久倉で、その文面に神原の目は一気に覚める。

 なんと久倉が曲を作ったというのだ。知り合ってから初めての事態に神原は思わず身体を起こし、パソコンを確認する。

 すると、パソコンのメールソフトにも久倉からのメールが一件送られてきていた。簡単な文面のメールに「無題」と称されたWAVファイルが添付されている。神原はパソコンにイヤフォンを繋いでからクリックして、それを再生した。

 すると、イヤフォンから聞こえてきたのはピアノの音色で、そのことに神原はまず驚いてしまう。久倉はピアノを弾けるのだろうか。そんな話は、今までの付き合いで聞いていないが。

 そして、イヤフォンの左耳からはコード進行が、右耳からはメロディーが聴こえてくる。それは神原が今まで聴いたことがないもので、本当に久倉が一から曲を作ったことが分かった。

 だけれど、神原はそれを特別良いものだとは、正直思わなかった。メロディーは平凡で耳に残るような個所は一つもないし、コード進行も作曲術の本に書かれているセオリーに忠実に従っていて、目を瞠るような展開は見られない。強いて言えば、「普通」という言葉が一番当てはまるような曲だ。

 でも、初めての作曲で普通レベルのものを作ることができているのは、素直に凄いと言える。少なくとも自分が初めて作った曲は、もっと曲作りのセオリーを無視しためちゃくちゃなものであったことを考えると、大したものだと神原には思える。

 もちろん、これをそのまま採用するわけにはいかないが、初めて作ったにしては上出来と言えるだろう。ワンコーラス分の曲を聴き終えて、神原は率直にそう思う。

 メールに返信しようと思ったその手を神原は止めて、携帯電話を手に取った。メールが送られてきたのは五分ほど前のことだったから、久倉もおそらくまだ起きているはずだ。

 神原の予想は的中し、数回のコールの後に久倉は電話に出ていた。「もしもし」という声は、久倉のドキドキしている心持ちを表していたけれど、その一方でどこか達成感を得ているようにも、神原には思えた。

「ああ、久倉。曲送ってくれてありがとな。さっそくだけど、聴かせてもらったぜ」

 さっそく神原が切り出すと、久倉は「えっ、マジで」と、若干信じられないかのような声を出していた。曲を送ってきたのはそっちだろと思いつつも、久倉の反応も神原には共感できる。自分だって初めて曲を人に聴いてもらうときには、大きな思いきりが必要だった。

 もしかしたら神原の電話が早すぎて、久倉の心の準備はまだ不完全だったのかもしれない。「で、どう思ったんだよ」と続く声が、少なからず揺れている。

 ここで感じたままの印象を口にするほど、神原も人の心がない人間ではなかった。

「いや、良いと思ったよ。メロディーもコード進行もちゃんとしてて、初めて作ったとは思えないくらい。ていうか、お前ピアノ弾けたんだな。初めて知ったよ」

「ああ、それは打ちこみだよ。俺DTMソフト持っててさ。ドラムを考えるときに、試しに打ち込んでみて確認するってことをしてるんだ。で、その中にはピアノの音色もあったから。説明書ともにらめっこしながら、どうにかやってみた」

「そっか。何の違和感もなく聴けたから、初めてだとは思わなかったな」

「ありがとな、そう言ってもらえると嬉しいよ。でも、本当のところはどうだったんだ?」

「どうだったって?」

「俺が作った曲が、本当に良かったのかってこと」

「何だよ、お前自信ないのかよ」

「そりゃないわけじゃないけど、でも初めて作ったんだから不安なとこもあるだろ。今まで俺たちの曲を何十曲も作ってきたお前に聴かれるならなおさら。なあ、お世辞とかリップサービスは抜きにしてさ、本当のところを言ってくれよ」

「いや、俺は本当に良かったって思ってるんだけど」

「でも、それには『初めて作ったにしては』って言葉が前につくだろ? だったら、この曲を『東山ワナビー』の主題歌に採用してくれんのかよ」

 そう言ってくる久倉に、神原は痛いところを突かれた感覚がした。これで良しと言ってしまうのは、お互いのためにならないだろう。

 だから、神原は久倉が望んでいる通り、本音を言うことにした。

「まあ、正直に言えば、それとこれとはまた別の話だな。もちろん曲自体は悪くないんだけど、これで決まりにするのは、慎重になるべきだと思う。まだ俺の別の曲もできてないし」

「やっぱそうか。そりゃ初めからそんな簡単にはいかないよな」

「まあな。でも、初めての作曲でこれができるってことは、お前曲作りの才能あるよ。だから、これからももしよければ曲を作って、聴かせてくれるとありがたいんだけど」

「ああ、俺も一から曲を作るのはすごい大変だったけど、それでも楽しいと思ったから。また何か思いついたら作りたいなって今は思ってるよ」

「ああ、頼むぜ」そう言いながら、神原は心強い思いを抱いていた。

 いくらバリエーションを増やそうと思っても、自分一人の頭から出てくる曲は、自ずと幅が限られてきてしまう。まったく別の人間の頭から生み出される曲は、Chip Chop Camelの音楽性にも大きな幅を与えることだろう。それはバンドにとっては、間違いなく喜ばしいことだった。

「ああ。それとさ、今回自分で曲を作ってみて、お前がどれだけ頭捻って曲作ってんのか、少しだけだけど分かった気がするよ」

「何だよ、いきなりそんなこと言って」

「いや、本当なんだって。たとえワンコーラスだけでも、何もないまっさらな状態から曲を作るのがこんなに大変だなんて、俺は全然知らなかったから。だから、お前はもう何十回もこういうことをしてるんだなって思うと、本当頭下がるよ。今さらだけど、いつもありがとな」

「何だよ、急に改まって。恥ずかしいだろ」

「いや、毎回『ありがとな』とは言ってるんだけど、でも改めて言っておかなきゃなと思って。それとごめんな。この前、別の曲も聴いてみたいなんて簡単に言っちゃって。曲作りの大変さを思えば、そんなの軽はずみで言えるようなことじゃなかったのに」

「お前、軽はずみで言ってたのかよ」

「いや、そういうわけじゃないけどさ。でも、お前の苦労をよく知らずに、そう言っちゃったことは本当に悪いと思ってるよ」

「いいよ、謝らなくて。お前の意見はとても参考になったし、帰ってもう一度聴いてみたら、確かにあの曲は『東山ワナビー』には少し合ってなかった。お前の言ってたことは正しかったって、今なら思えるよ。むしろこっちから感謝したいくらいだ。ありがとな。あのときああ言ってくれて」

「いや、俺はただ思ったことを言っただけだから。そんな感謝されるほどのことはしてねぇよ」

「いやいや、逆の立場だったら、俺はああいったこと言えてなかったかもしれないから。曲を作ってる奴に意見とか言いにくいなって思っちゃうから。だから、お前がああ言ってくれたことには、本当に感謝してるよ」

「そっか。じゃあ、俺が言ったことにも少しは意味があったのかな」

「ああ。めっちゃあったよ。お前がああ言ってくれなかったら、俺はあの曲で押し通してたかもしれないから。おかげでもう一度冷静になって考えることができてるよ」

「そっか。なら何よりだな」

「ああ。あのさ、新しい候補となる曲は正直まだできてないんだけど、でもお前が作った曲を聴いて、俺も刺激を受けたから。近いうちに必ず作って聴かせるって、約束するよ」

「ああ、ありがとな。俺もそのときを楽しみに待ってるわ」

「そうだな。もうちょっとだけ待っててくれ。絶対前よりも良い曲を書いてみせるから」

「分かった。期待してるぜ、神原」

 改めて言われると、神原にはどこかこそばゆい思いがしてくる。照れ隠しに思わず笑ってしまいそうだ。

 それでも、神原は涼しい声で「ああ」と相槌を打っていた。久倉にその意図があったのかどうかは分からないが、それでも久倉が作った曲を聴いて、神原は発破がかけられたような気持ちになっている。

「じゃあ、そろそろ電話切っていいか? 俺、もう眠たくなってきたんだけど」久倉があくびを噛み殺すかのような口調で言っていたから、神原にもそれ以上通話を続ける理由はなくなった。

「ああ、改めてだけど曲作ってくれてありがとな。励みになったわ」と言うと、久倉も「ああ、今回のことは俺にとってもいい経験になった。じゃあまた明日な」と答えてくれる。

 そして、二人は最後に「おやすみ」という言葉を交わしてから、電話を切った。

 携帯電話を置いて、神原はギターを手に取る。もちろん深夜だから音量には気をつけなければならない。それでも曲を作りたいと思っている今、このまま寝てしまいたくはなかった。


(続く)


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