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【微ネタバレあり】映画『がっこうぐらし!』感想【キャベツなんて気にならないくらいの良作】


こんばんは。これです。


今回のnoteは映画の感想になります。今回観た映画は『がっこうぐらし!』。人気漫画の実写化で、ポスターがどうのキャベツがこうのと公開前から話題になっている映画です。先に言っときますけど、キャベツはあれAmazonプライムのドラマ版の話ですからね。映画ではちゃんとしてますから


評判が良さげなので今回観に行ったのですが、こう言ったら失礼かもしれませんが見事に泣かされてしまいました。今年初めて泣く映画がこれになるとは全く思ってなかったです。正直舐めてました。誠に申し訳ありません。


では、感想を始めたいと思います。最初に断っておきますが、私は原作漫画もアニメも読んでいません。『がっこうぐらし!』はこれが初体験となります。なので原作と比べてどうこう、アニメと比べてどうこうという感想は書けません。その辺をご容赦いただけると幸いです。


それでは、よろしくお願いいたします。







―目次― ・キャストについて ・ストーリーについて ・「宗教」というテーマ ・青春映画として傑作




―あらすじ― シャベルを愛する胡桃、ムードメーカーの由紀、みんなのリーダー的存在の悠里は、私立巡ヶ丘学院高等学校・学園生活部に所属する女子高生。学校で寝泊まりし、24時間共同生活を送る学園生活部で“がっこうぐらし”を満喫中だ。 みんなと一緒にご飯を食べて、みんなと一緒におしゃべりをして。屋上に作られた園芸部の菜園では、野菜だって収穫できる。「学校ってすごいよね。電気も水も野菜も作れるし、音楽室、図書室、放送室…。なんでもそろってる!」と由紀もご機嫌だ。学校には友だちもいるし、大好きな保健の先生・めぐねえの授業だって受けられる。そんな学校が本当に大好き。しかし元気いっぱいの由紀を、教室の外から胡桃と悠里が心配そうに見つめている。この学校は何かがおかしい… (映画『がっこうぐらし!』公式サイトより引用)




※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。




・キャストについて


まずはこの映画のキャストから。元気系少女である恵飛須沢胡桃を演じたのが阿部菜々実さん。天真爛漫な丈倉由紀を演じたのが長月翠さん。家庭的な若狭悠里を演じたのが真島和美さん。クールな二年生直樹美紀を演じたのが清原梨央さん。そして学園生活部の顧問である佐倉慈、通称「めぐねえ」を演じたのがおのののかさん。えーと...すいません、おのののかさん以外全員存じ上げておりません。なんでもこの4人はテレビ朝日系番組「ラストアイドル」の出演者だそうです。私この番組を見ていないので知らないのも当然ですね。ジャンルとしてはいわゆるアイドル映画に分類されるのかな。


で、彼女らの演技なんですが正直言ってしまうと本業の女優さんよりはやっぱり少し落ちます。シャベルやバールのようなものを用いたアクションシーンなど見せ場は多数あるのですが、演技のぎこちなさや台詞の棒読み感はどうしても否めません。最初の保健室のシーンを見て「この映画大丈夫かな...」と思ってしまったほどです。この後ゾンビ映画に発展するのは分かっていたので見続けられたんですけど、そうじゃなかったらちょっときつかったかもしれません。


でも、『がっこうぐらし!』は観ているうちにどんどんとこの4人を応援したくなるようにできてるんですよね。それは観ている私たちが登場人物と同じ感情を味わっているから。これはホラー映画特有のもので、『インサイド』っていうホラー映画の監督が「ホラー映画では、観客と主人公の感情は常に共有されます。主人公が恐怖を感じれば、観客も恐怖を感じます。主人公が冷静さを取り戻せば、観客も同じように冷静になります」って言ってたんですけどまさにこれだなって。学園生活部の4人が怖い思いをすることで観ている私たちも怖い思いをして徐々に距離が詰まっていくんですよね。


実際ゾンビはちゃんとリアル(?)に作られていましたし、恐怖や緊迫感もコテコテですけどちゃんとありました。柴田一成監督も「絶対にゾンビ描写は手を抜かない」を信条に映画に取り組んでみたいですし、それがキャストの演技をカバーして映画を魅力あるものにしていました。






・ストーリーについて


ある日、全校生徒がゾンビと化した巡ヶ丘高校。そこで生き残った胡桃、由紀、悠里、そしてめぐねえ。彼女らは外に逃げ出してゾンビに襲われるよりも、中に閉じこもって助けを待つ籠城を選択します。私ゾンビ映画全然見ないのでこれはイメージになるんですけど、ゾンビ映画って逃げることをメインに据えている映画が多いように感じるんですね。まぁこれは主人公たちが逃げるという行動を起こさないと物語が動かないから当然なんですけど。そのなかで4人が取ったのは籠城という全く逆のアプローチ。バリケードを作って安全な場所で助けを待ちます。しかし、街全体もやられてしまったようで助は一向に来ません。


ある日、くるみと悠里は食料を求めに行った南校舎で生き延びていた美紀と出会います。二人は由紀を学園生活部に引き入れようとしますが、美紀は「ここにいても助けは来ないから逃げよう」と言って聞きません。これは観ている私も感じた当然の疑問です。戦国時代にも数多く行われた籠城戦ですが、それは援軍が来るという確信と相手が退いてくれるという期待があったから。このどちらもない学園生活部を待っているのはそれ即ち餓死という敗北のみ。最初から勝ち目のない負け戦を学園生活部はしているわけです。それにツッコむ美紀は観ている私たちの疑問を代弁してくれる存在。いわば読者視点キャラでした。


でも、学園生活部はまだ学校があると信じ込んでいる由紀がショックを受けることがないよう付き合ってあげてるんですよね。つまり動機としては自分本位ではなく他人本位だということが言えると思います。私はこういう「他の人のために」という動機の方が好物なので、学園生活部にすぐに感情移入することができました。さらに、これが勝ち目のない戦いだということは由紀以外の全員が痛感しています。でもそれでも前を向いていこうと。その健気さが胸に来ましたね。


ただ、美紀はそれでも逃げ出そうとします。独りよがりの勝手な行動で案の定ピンチに陥るわけですが、これを由紀や胡桃、悠里によって助けられます。自分の独断がピンチを切り抜けてしまったことに凹む美紀。そこに由紀が明るく声をかけて美紀は救われます。美紀はこれで晴れて学園生活部の一員になりました。読者視点キャラである美紀が懐柔されたということは、私も懐柔されたということ。雪の明るさに私も助けられ、観ている私も完全に映画の世界に入り込むことができました。


そこからはもう学園生活部と一緒に一喜一憂ですよ。特に中盤の5人が楽しそうに過ごすシーンはヤバかったですね。枕投げをする学園生活部。屋上で楽しそうに野菜を育てる学園生活部。いつまでも籠城できるわけじゃないという終わりが明確に見えているからこそ、輝いていて切なくて。音楽も「大切なもの」について歌っていてしかも合唱で、「ああ泣かせに来てるな」っていうのはビシバシ感じるんですが、それでも泣かされてしまいました。


季節は秋。学園生活部は学園祭を開こうとします。もう私は「ああ辛いよな。学園祭みたいな楽しいことなきゃやってられないよな」みたいなモードに入っているので、全力で応援しています。手作り感満載の学園祭がまた泣かせるんだこれが。しかし、ここから物語は急展開を迎えます。これ以上はネタバレになるので書きませんが、私は何の予備知識もなく観に行ってよかったと思います。だって「×××××××××××××××××」というネタバレを喰らってたら驚きも半減してて、ここまで評価することもなかったですからね。これから観る人、まあ原作かアニメを見ている人が大半だと思いますが、数少ないまだ『がっこうぐらし!』に触れてない方はぜひとも何も情報を仕入れず観に行ってほしいと思います。







・「宗教」というテーマ


この映画の終盤にある重要なアイテムが登場しました。それは「聖書」です。これが象徴するように『がっこうぐらし!』は「宗教」と深く関連していると思うので、それをこれから書いていきたいと思います。


そもそも「宗教」とは何か。私の手持ちの電子辞書によると「宗教」とは「経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在に対し、積極的に意味と価値を与えようとする信念・行動・制度の体系」(スーパー大辞林3.0)とあります。ここで「経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在」というのはたとえば自然です。たとえば嵐が来て稲妻が落ちる。こういう時に科学を知らない昔の人々はなんて言ったかっていうと「神のお怒りじゃー」ですよね。自然現象に神の仕業という意味を与えることで理解しようとしたわけです。


そして、この「経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在」の最たるものが「」です。「宗教というのはある意味で死の解釈である」と個人的には考えます。例えば浄土宗でなんで南無阿弥陀仏を唱えるのかというと、大雑把に言えば極楽浄土に行くためじゃないですか。このように「死」というものに意味や価値を与えるために宗教が誕生したと私は思っています。


言うまでもなくゾンビに噛まれると死にます。彼女らはこの死を思わせるゾンビに囲まれた状況を「学園生活部」という意味を与えて乗り切ろうとしました。これは一見現実逃避のようですが、宗教だって死という現実から目を背けているという意味では同じです。そしてこういった行為は縄文以前から続く人間の普遍的な営みです。『がっこうぐらし!』は人間の根源的な営みを描いた非常にプリミティブな作品であると言えます。だから多くの人にとって共感できる作品になっていると私は考えます。


映画の中で聖書が登場したので、ちょっとここでキリスト教の死生観について触れていきたいと思います。このページに曰く「キリスト教では、死は命の終わりではなく、天の神から地上での罪が許され、永遠の安息を与えられたということだとされています。召天と言われ、神のもとに召され、最後の審判を受け、復活の日までを天国で過ごすとされています」とのこと。ここで大切なのは「死は命の終わり」ではないということ。××××がああいった結末を迎えたことをあらかじめ示していたかのようですね。これについてはまた後で少し触れます。


そして、キリスト教で有名な言葉と言えば「信じる者は救われる」。どうしようもない現実に直面した学園生活部が選択したのは妄想を作り出してそれを信じること。もはやこれはただの現実逃避ではなく信仰と呼べるレベルまでに達していました。そして信仰を貫いた学園生活部は最後に救われました。物語としてはハッピーエンドともバッドエンドとも取れる終わり方ですが、私はハッピーエンドだと信じたいです。







・青春映画として傑作


この映画が持つ最大のエッセンス。それはゾンビ映画ではなく青春映画です。『がっこうぐらし!』は紛れもなく青春映画でした。


先ほどの宗教の定義を思い返してみてください。「経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在」。これはまさに青春そのものです。青春時代には制御できない数々の事柄、勉強、部活、人間関係などがひっきりなしに訪れます。かつて経験したことのない現象の連続。これに対して合理的に対処できる人間は世界のどこにもいません。みんな苦しみ悩み傷つきながら青春時代を送っていくわけです。


この映画のゾンビは理由もなく学園生活部に襲い掛かる存在。いわば青春において襲い掛かる災難のメタファーであると私は考えています。襲い掛かる災難をなぎ倒していく学園生活部の姿は困難を乗り越えんとする少女の姿そのもの。目の前で友達や気になっていた相手がゾンビに襲われた悲しみを跳ね返すのではなく、受け入れてそれでも進もうとする。これが傷つきながら成長していく物語が好きな私にばっちりハマりました。


そして、私がこの映画で最も素晴らしいと思った点。それは「青春の終わりとその先」を描いているという点です。先ほど「キリスト教において死とは命の終わりではない」と述べました。そしてこれは青春も同じです。青春の終わりは命の終わりではありません。渦中にいると見えなくなりがちですが、青春(ここでは高校時代とする)が終わった後も大学、社会人と人生は続いていきます。この映画ではそれが意識的に描かれていると感じました。


それを示していたのが中盤のとあるシーン。学園生活部の4人は高校を卒業した後の将来について語り合います。将来について語るというのはゾンビ映画においては鉄板ともいえる死亡フラグですが、4人は死にません。それはこの映画がゾンビ映画ではなく青春映画だからです。青春映画で将来を語るということはその後の未来に希望を持っているということ。キラキラした希望を語るキャラが青春映画でないがしろにされるはずはないのです。


映画終盤、学園生活部にも青春の終わりが訪れます。詳しくは伏せますがこのシーンでも私は泣きました。一緒に終わる気分になってセンチメンタルになったんですよね。そこでそれまでの回想が流れて、学園生活部の泣いている姿が映ってもうノックアウトですよ。4人の演技も気づいたら上手くなっていてその感動で包み込まれましたね。


思えば『がっこうぐらし!』は、出会い→反発→和解→キラキラ→苦しみ→解決→終わりというストーリー展開でした。そして最後に未来への希望を語って終わるんですよ。もう青春映画として100点満点ですよ。この点じゃケチのつけようがない素晴らしい映画に仕上がっていたと思います。







以上で感想は終了となります。『がっこうぐらし!』確かに粗はありますよ。キャストの演技はあまり上手くないし、ゾンビは弱すぎるし、学校は丈夫すぎるし。でも、それを上回る魅力を持つ映画だと思います。原作未見でも大丈夫。是非ともアイドルがなんだ、キャベツがなんだといわずに観に行ってみてください。オススメです。


お読みいただきありがとうございました。

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