スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(175)
前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(174)
ピッチでは、白熱した試合が繰り広げられている。第二会議室から試合の様子は見えづらくても、観客のかけ声やスタジアムの雰囲気で大体の試合展開は分かる。
そんななか晴明はフカスタに冬樹と奈津美が来ていることを、部員たちに報告していた。誰もが驚いた様子を見せた後、晴明を「よかったね」といった言葉で労ってきて、晴明はある種の達成感を得る。
だけれど、まだ何も解決していない。冬樹にライリスとして振る舞っている姿を見せて、認めてもらわなければならないのだ。
そう思うと、晴明は急に不安になってしまう。この日ライリスが表に出る機会は、ハーフタイムと試合終了後のあと二回しかない。その限られた出番の中で冬樹を納得させるだけの動きができるかどうかは、正直自信がなかった。
だけれど、それも見越してか部員たちは、晴明のことを丁寧な言葉で励ましてくれる。おかげで晴明はやるしかないと、覚悟を決めることができていた。
前半も終わる頃、晴明たちは再び着ぐるみを着て、選手入場口付近で待機をしていた。
スタジアムの内部にいるので、ピッチの様子は分からない。だけれど、観客やスタジアムの雰囲気からして前半は〇対〇で終えたらしいことが、前半終了の笛とともに晴明には分かった。垣間見た選手たちの顔も完全に満足はしていないが、手ごたえを感じているように見える。
リーグ戦上位のハニファンド千葉は、引き分けでも一部リーグに昇格できるのだ。もちろん勝つに越したことはないが、おおむねプラン通りなのだろう。焦ったり悲観したりする必要を、晴明は感じなかった。
それは観客席も同じで、晴明たちが姿を現したとき、空気は束の間の休息といったように、比較的和らいでいた。ぽつぽつと席を立っている人も見える中、晴明たちは時計回りにピッチサイドを歩き始める。向けられる視線やスマートフォンに、手を振ったり立ち止まってポーズを決めたりして応える。
今日の試合はクラブの命運を握る大事な試合だったけれど、晴明は特別な振る舞いをする必要はないと感じていた。いつもと変わらぬ振る舞いをすることで、ファン・サポーターを安心させ、勇気づけられると思っていた。
その証拠に自分たちを包む空気は、緊張感がある中でもどこか暖かい。いくつも切られるシャッター音が、晴明には自分を応援する手拍子のように感じられた。
ハニファンド千葉のゴール裏のファン・サポーターたちは、着ぐるみに入った晴明たちを拍手で出迎えてくれていた。それはライリスたちをチームの一員として認めている証で、晴明は大きな手ごたえを抱く。
それは対戦相手であるファンツィーニ岡山のゴール裏も同様で、思いがけない優しさに晴明は少し涙が出かかる。戦っているのは試合中の九〇分間だけで、他の時間は敵も味方も関係ないと言っているようだった。
だけれど、晴明は感動しきりではいられない。まだスタジアム一周は、東側のメインスタンドを残している。冬樹と奈津美が座っているエリアだから、晴明は意識しないようにしても、つい意識してしまう。
だけれど、ここで気張って突飛な行動をしたら、それこそ他の観客に悪印象を与えかねない。晴明は今まで通り手を振りながら歩くことで、自分たちがスタジアムに受け入れられていることを冬樹たちに示そうとした。
幸いファン・サポーターは手を振り返してくれたり、スマートフォン越しに笑顔を見せたりしてくれている。それは晴明にとって何の不足もない光景、のはずだった。
なのに晴明は、冬樹たちが座るブロックの前で歩みを止めていた。後ろに続く成や渡も足を止めてくれたことが、気配で分かる。
晴明は拳を握ると心臓の部分、ちょうどハニファンド千葉のエンブレムが描かれた箇所だ、を軽く二回叩いてみせた。そして、力強く親指を突き出す。
冬樹たちに向けたメッセージは、周囲に座る観客にも同様に伝わったらしく、何人かのファン・サポーターが表情を柔らかくしたのが見えた。
スマートフォンを構えている奈津美の横で冬樹は微動だにせず、腕を組んでライリスたちを見つめている。何を思っているかは、晴明には分かるはずもない。
晴明は筒井に手を引かれ、また歩き出す。傾き始めた太陽が、少し長い影を作っていた。
晴明たちは、試合の状況を固唾を呑んで見つめる。メインスタンドの下、選手入場口から見つめるピッチでは、先ほどから千葉の選手が岡山のゴールに向かって一方的に攻め立てている。前線に素早くボールを送り、何本もシュートを打っている。
だけれど、たった一点が遠い。ここまでじりじりする試合展開は晴明には記憶がなく、これが一発勝負の緊張感なのかと思い知った。
試合終了間際、ハニファンド千葉はコーナーキックを獲得した。これがラストプレーであることは、ゴールキーパーが相手ゴール前まで上がっていったことにより、誰の目にも明らかだった。
キッカーから、ゴール前にボールが供給される。ボールはゴール前でこぼれて、混戦となった。距離もあって細かいところまでは見えないが、何とか押しこめと晴明は心の全部で念じる。
しかし、その願いは相手ディフェンスにボールをピッチの外に掻き出され、間もなくして試合終了を告げる笛が鳴ったところで、辛くも潰えた。
〇対一。ファンツィーニ岡山が後半に挙げたゴールを全員で守りきり、悲願の一部リーグ初昇格を決めたのだ。
ファンツィーニ岡山の選手は抱き合って喜びを表現し、ベンチには監督やスタッフたちを交えて、歓喜の輪ができている。ゴール裏のファンツィーニ岡山のファン・サポーターの応援歌は鳴りやまず、狂喜を十二分に表現していた。
しかし、勝者がいれば敗者も存在する。試合終了の笛が吹かれた瞬間、ファンツィーニ岡山側のゴール裏以外、スタジアムの全てのときが止まったように、晴明には思われた。
ハニファンド千葉の選手たちは、その場に座り込んでしまい、なかなか起き上がることができていない。ゴール裏は一瞬静まり返った後、またチームの応援歌を歌い始めていたけれど、選手を鼓舞する歌詞が乾いた冬の空に空しく吸いこまれていく。
ハニファンド千葉の今シーズンの戦いが終わった。悲願はまたしても叶わなかった。昇格まであと一歩まで迫ったからこそ、失望もより大きいのだろう。
だけれど、晴明はなんとか立ち上がって整列する選手たちに、自然に拍手を送っていた。それは観客も同じでスタジアム全体から、戦い抜いた選手たちに暖かい拍手が送られる。両チームの選手が全力を尽くしたことには違いないのだ。
結果はどうであれ、胸に迫る試合を見せてくれた選手たちを、晴明は心の底から称えた。
ファンツィーニ岡山の選手たちと健闘を称えあったハニファンド千葉の選手たちは、まずバックスタンドへと挨拶に向かう。晴明たちも少し駆け足で、選手たちに合流する。
試合が終わった直後は、負けてしまって失意の底に沈む選手たちを慰めたいと、晴明は感じていた。
しかし、並んで歩いていると、悔しいとか悲しいとかそんな単純な言葉では表現できないような表情を選手たちはしていて、安易に慰めることは憚られてしまう。ただ選手たちの側にいることしかできない。
こういうとき、スーツアクターは無力だと晴明は感じてしまう。スタンドにいるファン・サポーターのように、言葉や表情で選手たちを励ますことはできない。
シーズン中も何回か負けた試合はあったが、スタジアムに流れる暗澹とした空気はその比ではない。涙ぐんでいる選手さえいて、晴明の胸にも込み上げてくるものがある。
バックスタンドの観客たちは拍手で、ゴール裏のファン・サポーターたちはそれに加えて声援で選手たちを励ましてくれた。期待に応えられなかったというのに、前向きなエールを送ってくれていて、ピッチに立っていなかった晴明でさえ、思わず泣きそうになってしまう。
選手たちは何を思っているのだろう。そう思いを馳せずにはいられなかった。
バックスタンド、ゴール裏を経て、選手と晴明たちはメインスタンドへと向かう。メインスタンド中央に並ぶ選手たち。晴明がその横に並ぶと、そこはちょうど冬樹や奈津美がいるブロックの前だった。
二人はまだ帰っておらず選手、そしてライリスたちをじっと見つめている。
お辞儀をして顔を上げたとき、晴明は冬樹と目が合ったような感覚がした。他の観客と同じように拍手をしている冬樹。
試合に心から感動してくれればいい。自分の事を二の次にして、晴明はそう願った。
諸々の後片付けやシーズン終了の挨拶を終えて、晴明たちアクター部がフカスタを後にしたのは、試合が終わって一時間ほどしてからのことだった。
試合結果を残念がる筒井の口調は沈んでいて、今日の試合に懸けていたことを晴明は改めて知った。チームはシーズンオフに入るけれど、ライリスたちは休み期間中も活動を続けるので、引き続きスーツアクターを頼みたいという申し出に、晴明たちも頷く。
ハニファンド千葉のためになれることなら、なんでもしたい。選手たちの複雑な表情と、スタジアムの失望と応援が混じった雰囲気を目の当たりにして、晴明はその思いをさらに強くしていた。
試合が終わって一時間以上が経っても、蘇我駅は少し混雑していた。一万人を超えた観客たちをまだ捌ききれていないのだろう。
五十鈴や植田と別れて、晴明たちはホームに降りる。しかし、階段を降りきったところで晴明は足を止めてしまう。ホーム中ほどに冬樹と奈津美の姿が見えたからだ。もうとっくに帰ったと思っていたのになぜ。
晴明たちは、二人に近づいていく。五人に気づいた奈津美が、柔らかな表情で語りかける。
「みんなお疲れ様。今日は残念だったね」
「うん、それはそうだけど、なんでお母さんとお父さんがまだいるの……?」
「試合が終わってすぐは蘇我駅も混むと思ってね。少し途中にある喫茶店で時間を潰してたの」
「へ、へえ……、そうなんだ……」
晴明の返事も奈津美の隣にいる冬樹を見ると、曖昧で煮え切らないものになってしまう。
今、冬樹は厳しく値踏みするような目を五人に向けていて、晴明は思わず萎縮してしまう。直立不動といった立ち姿は、不吉な予感を抱かせるには十分だった。
奈津美が「ちょっと、お父さん。晴明に言いたいことがあるんでしょ」と促す。冬樹が口を開くまでのわずかな時間に、晴明は身を切るような感覚がした。
「晴明、短い時間だったけど、お前が活動してる様子、見させてもらったぞ」
重々しく告げた冬樹に、晴明は竦みあがって返事をすることさえできなかった。奈津美や部員たちも固唾を吞んで、二人を見守っている。
まだ電車の来る気配のないホームは、ひりつくような緊張感に満ちていた。
「俺は着ぐるみなんて、いてもいなくてもいい存在だと思ってた。あんなもんに群がるのは子供か、大人になりきれてないバカな奴ぐらいだってな」
「お父さん、マスコットね」と、奈津美がやんわりと修正を入れる。冬樹は一つ頷いて、さらに言葉を続けた。
「でもさ、試合中にマスコットたちが登場した時、誰もがそのマスコットを歓迎しているように見えた。写真を撮って、拍手を送って。まるで自分たちと同じチームの一員だと認めてるみたいに」
ホームには次々と人が降りてくる。立ち止まっている晴明たちを一目見ただけで、さらに奥の方へと向かっていく。
「正直に言うよ。その光景を見て、俺は少し心を動かされた。マスコットが拍手に包まれていて、心暖まる光景だなって思ったんだ。それは外側の着ぐるみだけじゃない。中に入っているお前にも贈られたものだって気づいたら、胸に迫るものを感じたよ」
「お父さん、それって……」
「お前、俺たちの前に来たとき、胸を叩いたろ。ハニファンド千葉のエンブレムを胸に刻み込むみたいに。それを見て思ったんだ。ああ、俺の息子は完全にマスコットになったんだなって。そのマスコットとお前は、もう分かちがたく結びついてるんだなって」
予想だにしていなかった展開に、誰もが息を吞む。
冬樹は晴明の顔を今一度見ると、かすかに表情を緩めてから告げた。
「今さらお前とマスコットを切り離すのは、お前にも、そのマスコットを認めてくれる人たちにも良いことじゃないよな。分かったよ。お前が納得するまで部活をやっていい。ただ、その代わり後悔だけはするなよ。やるからには終わったときに、やりきったって思えるようにしないとな」
晴明は自分の耳に入ってきた言葉を、一瞬信じることができなかった。それこそ夢ではないかとさえ思ってしまう。見れば分かるとは思っていたが、本当に分かってくれるとは。
「えっ、本当に……?」と思わず口から出た言葉に、冬樹は小さく頷いていた。
「ああ、本当だ。ただし、勉強もしっかりやるんだぞ。部活にばかり集中していて、成績が落ちましたってなったら目も当てられないからな」
わざわざ釘を刺してくる冬樹も、晴明は素直に受け入れることができた。それくらいの条件でアクター部が続けられるなら、安いものだと思った。
黙って様子を窺っていた部員たちが、次々に冬樹に感謝の言葉を述べている。それを聞いて、晴明の涙腺はさらに刺激される。油断していると、涙がこぼれ落ちてしまいそうだ。
「晴明。お前、本当にいい仲間に恵まれたな」と冬樹が言う。晴明は大きく頷いたけれど、それでもまだ足りないくらいだった。
「俺を説得するためにビデオレターを作ったり、家にまで駆けつけてくれたり。そこまでしてくれる仲間は、そうそう手に入れられるもんじゃないからな。俺はお前が学校でちゃんとやってるのか心配だったけれど、この分じゃ問題なさそうだな」
「皆さん、晴明をこれからもよろしくお願いします」。そう言って頭を下げる冬樹に、奈津美も続く。めいめいに返事をする部員たちを見て、晴明はこれからの未来が保証されたような気がした。
ベルが鳴って、まもなく電車が到着するというアナウンスが降ってくる。顔を上げた冬樹と奈津美は、晴明が高校に入ってから見たことがないほど、穏やかな顔をしていた。もう大丈夫だろう。
晴明は、また部活に行くことが楽しみになってくる。
でも、今週はテスト前で全ての部活は一週間休みだから、また五人で集まるのは少し先のことになる。そのことが、今の晴明にはとても口惜しかった。
(続く)
次回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(176)