【小説】ロックバンドが止まらない(118)
涼しくなり始めた季節を感じながら、バンド練習やプロモーションに取り組んでいると瞬く間に時間は過ぎ、神原が気づいたときには、ニューシングル「晩夏の情景」の発売日である水曜日を迎えていた。
とはいっても発売日を迎えても、今までの神原だったら一人でギターを練習するか、スタジオに入ってバンド練習をするかしかなかったのだが、今回は事情が違う。発売日当日に、ラジオの音楽番組の生放送に出演する予定が入っていたからだ。
今までラジオ番組に出演した経験は何回かあっても、生放送は初めてだったから、八千代と一緒にラジオ局に着いたときも、神原は緊張を隠せない。パーソナリティを務める落野(おちの)やスタッフたちと対面して、打ち合わせを行っている間も、神原の心臓はドクンドクンと鳴りっぱなしだった。
打ち合わせを終えてからも落ち着かない時間を過ごして、本番が始まる一五分ほど前に、神原たちはラジオブースの中に入る。軽く機材の確認をしながら、神原は何度も水を口に含む。落野に声をかけられても、あまり気は解れない。
自分が言ったことがリアルタイムで電波に乗って流れると思うと、ラジオブースが窮屈にさえ感じられていた。
ジングルが鳴って、番組は定刻通りに始まった。落野に紹介されて、「よろしくお願いします」と口にしたときに神原の緊張はピークに達した。胃が裏返ってしまいそうな心地さえする。
それでも、落野は事前に用意された台本の通りに話を進めていってくれていたし、物腰柔らかな雰囲気は同じ空間にいるだけで、神原の心を落ち着かせていく。神原も事前に打ち合わせしていた内容と、言葉は違っていても概ね同じようなことを喋れていたから、口を開くたびに気持ちは安定していった。
ラジオブースの雰囲気にも徐々に慣れてきて、自分の発言が電波に乗って流れていることも、集中していればそこまで深く考えずにいられる。気づけば多少は滑らかに喋れるようになっていて、落野の冗談に軽く笑えてさえいる。
「晩夏の情景」が流れていったんマイクがオフになったときにも、落野は「その調子です」と声をかけて、神原の自信を深めてくれていた。
そのまま緊張はしながらも、神原が落野と一緒に話し続けていると、生放送の三〇分はつつがなく終わった。「お疲れ様でした」と声をかけてくれた落野をはじめとして、スタッフは誰もが和やかな顔をしており、自分が大きな粗相をすることなく生放送を乗り切れたことを、神原は改めて実感する。
そして、ラジオ番組の効果は着実にあったようで、「晩夏の情景」はデイリーだけでなくウィークリー、発売されてから一週間のチャートにも名を連ねていた。九八位というギリギリの順位だが、それでも初めての経験に神原たちが抱く感情は、嬉しい以外ありえない。
一歩ずつでも確実に人気を獲得できているようで、手ごたえを得るのと同時に、神原には翌週に控えたワンマンライブが、より待ち遠しく感じられていた。
その日も神原たちは、スタジオでワンマンライブに向けたバンド練習に取り組んでいた。四人ともが「晩夏の情景」が過去最高のセールスを記録したことを誇らしく思っているようで、演奏にもキレが増しているように神原には感じられる。この調子を維持できれば、週末に控えたワンマンライブも問題ないだろう。
使用予定時間が終わる一〇分ほど前に、神原たちはこの日の練習を終える。
すると、後片付けをしているときにドアが開いて八千代が入ってきた。練習終わりに来ること自体珍しいのに、手にはノートパソコンを抱えていて、神原は何事かと思う。
八千代は「今、ちょっといいか?」と神原たちに声をかけ、全員が手を止めて頷いたことを確認すると、おもむろに話し出した。
「皆、お疲れ。さっそくなんだけど、今日は皆に嬉しいニュースがあるんだ」
そう話を始めた八千代に、神原の胸は期待で波打つ。園田たちも小さく頷きながら、その目には早く知りたいという感情が溢れていた。
「来年の二月に『メイクドラマ』をリリースして、その後の四月を目途にアルバムをリリースすることは皆も分かってると思うけど、今回そのニューアルバムを引っさげてのツアーを開催することが決まった」
八千代が告げた言葉に、神原たちは分かりやすく色めきだった。また都内のライブハウスで一回きりのワンマンライブをして終わりだと考えていた神原には、鳥肌が立つほどだ。
「本当ですか!?」と尋ねる園田の声も弾んでいる。
「ああ、本当だ。東名阪の、しかもワンマンツアーだ。これもChip Chop Camelはツアーができるだけのバンドだって、皆がサニーから認められた証だから。俺も嬉しいよ。よかったな」
単純な言葉で労ってくれる八千代に、神原たちも「はい!」と大きく頷いた。
スプリットツアーまでのキャパシティとはいかないだろうが、それでも初めてのワンマンツアーが決まったことに神原は早くも高揚感を覚える。自分たちの曲を聴いてくれる人と、ツアーを通じて一人でも多く会えることが、楽しみで仕方がなかった。まだ曲は作っている最中だが、それでもワンマンツアーを行う価値のあるアルバムを作らなければと、よりいっそうの使命感を抱く。
口々に「ありがとうございます」と言う神原たちに、八千代も「いや、これも皆自身の力だから」と答えている。スタジオには胸がすくような空気が流れていた。
「……あ、あの、八千代さんが今日伝えたいことって、それだけですか?」
朗らかな空気に、与木のおずおずとした声が差し込まれる。八千代がとぼけたような顔で「何だ? 与木は嬉しくないのか?」と言っていたが、それでも与木は少し臆病にも見える表情をしていた。
「いや、嬉しいのは嬉しいんですけど、でもそれだけならメールでもよくないですか……? それに、そのノートパソコンはいったい何なんですか……? いえ、八千代さんが入ってきたときからちょっと気になってしまって……」
四人分の視線を受けて、与木の声はかすかに消え入りそうだったけれど、言っていることは神原にも一理あると感じられる。八千代は直接会って伝えたかったのかもしれないが、それにしたって現状では手に持っているノートパソコンの必然性がない。
神原たちの視線が、再び八千代に向く。すると、八千代は小さく笑ってみせた。
「そうだな。実は嬉しいニュースはもう一つあるんだ」
そう言って八千代がまた間を置いたから、神原はドキドキせずにはいられない。八千代が何を言おうとしているのかは、神原にはまったく予想がつかなかった。
「ほら、『全力で振りきって』のアニメのオープニングに『メイクドラマ』が起用されるだろ。その完成したオープニング映像が、ついさっき先方から届いたんだ」
その言葉に、今度は神原が「本当ですか!?」と訊き返してしまう。完成音源を提出したのが七月のことだったから、忘れていたとは言わないまでも、シングルやライブのことで頭がいっぱいで最近は意識する機会も少なくなっていた。
たとえ九〇秒のオープニング映像だとしても、アニメを作るのにはとても長い時間がかかるのだと神原は知る。
「ああ、俺もさっき見たけど、なかなか良いものに仕上がってたぞ。ちょっと待っててな。今から見せるから」
そう言って八千代はノートパソコンを左腕で支えながら、右手で電源を入れた。少し操作をしてから向けられた画面には、黒い背景に三角形の再生ボタンが浮かんでいた。左上にファイル名が「『全力で振りきって』オープニング映像」と表示されている。
そして、八千代が再生ボタンをクリックすると、映像は始まりを告げた。
「メイクドラマ」のイントロが耳に飛び込んでくると同時に、画面には野球場の練習風景が映される。いくつかカットが切り替わった後に、入道雲が出た夏の空をバックに、『全力で振りきって』のタイトルロゴが表示された。
各キャラクターや原作の場面を映しながら進んでいくAメロ。
少しずつ期待感を煽るような演出は、サビになって一気に弾けた。試合シーンがスピード感溢れるカット割りで映され、神原の心を弾ませる。「メイクドラマ」の曲調ともマッチしていて、観る人に強い印象を残すことが今から想像できる。
本放送ではこのサビの部分で自分たちの名前がクレジットされるのだ。三ヶ月間ほとんど毎週にわたって自分たちの名前が地上波に乗ることに、神原は今から期待せずにはいられない。
オープニング映像は八千代の言う通り、実に良くできていて、Chip Chop Camelの存在をアピールするには、今までにないほどの絶好の機会だ。
オープニング用にレコーディングした九〇秒の曲は、再び青々とした夏の空を映した映像とともに終わった。再生を終えて八千代が「どうだ? 良いものになってるだろ?」と四人に尋ねてくる。
神原たちの答えは、一つしかありえなかった。
「はい! 想像していた以上の出来になっていて、ちょっと感動しちゃいました! 本当にこれが一月から毎週テレビで流れるんですね!」
興奮気味に言う園田に、八千代も鷹揚に頷いた。
「そうだ。しかも、日曜の五時っていう視聴者も見やすい時間帯にな。曲が良いのはもちろんだけど、人気のある原作だし、見てもらった通り映像の出来も良いし、Chip Chop Camelの名前が世の中に広がる、またとないチャンスになると思う」
「そうですね! 私たちも楽しみです! 早くアニメが始まってほしいです!」
「ああ、そうだな。俺もすごい楽しみにしてるよ。これを機に、人気に火がついてくれるといいよな」
そう言う八千代に、神原たちも力強く頷く。
このタイアップを機に、自分たちの人気も上昇し、チャートではより上の順位を記録し、ワンマンライブも満員になる。そんな未来が神原には描けるようだった。
お膳立ては整った。このチャンスを生かすも殺すも、全ては自分たち次第だ。
そう思うと、神原の気は引き締まる。何としてもこのチャンスを生かさなければならないと、強く感じた。