見出し画像

【小説】ロックバンドが止まらない(156)


前回:【小説】ロックバンドが止まらない(155)






 そのまま楽屋で少し話してから、神原たちはGeek Tokyoを後にしていた。

 今日、神原たちは全体での打ち上げは行わない。明日にはもう、次のライブ会場である仙台に出発しなければならないからだ。

 でも、ライブが終わった後の時間をどうするかは各人の自由に委ねられていて、神原たちはChip Chop Camelの四人で、ターミナル駅へ戻る途中にある駅の近くの居酒屋で、簡単な打ち上げを催していた。

 少しビールを呑みながら、今日のライブについて話し合う。もちろん反省点はあったものの、それでも今日は神原たちにとっても手ごたえのあるライブができていたから、前向きな言葉が多く行き交い、テーブルの雰囲気も明るくなる。

「この調子でツアー頑張ってこうね」と言った園田たちに、神原も大きく頷いた。今回のスプリットツアーは神原たちにとっても、さらにファンやリスナーを拡大できる貴重な機会だった。

 神原たちの四人だけの小規模な打ち上げは、明日のことも考慮して、夜の一〇時を回る頃にはもう終わっていた。

 三人と解散して家に着いた神原は、すぐに寝支度を整え始める。三〇分とはいえ、ライブをするのはやはりどんなときでも疲れるし、アルコールも回り始めている。

 だから、神原はシャワーを浴びると、すぐにベッドに入ろうとする。そんな間際だった。携帯電話が着信音を鳴らしたのは。

 電話をかけてきたのは、平井だった。今まで何回か電話をしたことがあるから、着信自体は驚くに値しない。

 少しくらいなら話してもいいだろうと、神原は電話に応じる。すると、電話越しに呑気な声が聞こえた。

「ああー、もしもし、神原君? 今日はお疲れ様ー」

 平井の声は陽気で、呂律が少し回っていない部分もあったから、神原は平井が酒を呑んだ勢いで自分に電話をかけてきたことを、すぐに察した。

 それでも、一度電話に出たからには、すぐに切ることは忍びない。神原はなんてことのないように応じた。

「ああ、お疲れ。つーか、お前もしかして酒呑んでる?」

「えー、なんで分かったのー?」

「いや、声も明るいしやけに機嫌良いなって思って」

「そっかぁ。やっぱ分かっちゃうかぁ。いやね、藍香ちゃんたちと打ち上げがてら軽く呑んでたんだけど、まだ足りなくてねー。家に帰ってきてまた吞み直してるんだー」

「大丈夫かよ。明日は移動日なのに。二日酔いで気持ち悪くなったりしねぇのか?」

「うん、大丈夫だよー。私お酒には強い方だと思うし、二日酔いも今まであまりしたことないから。心配してくれてありがとねー」

 そう言う平井の声はどこか間延びしていて、本人から大丈夫と言われても、やはり神原は心配してしまう。機材車での移動中に、気持ち悪くなってはしまわないだろうか。自分のあずかり知らぬところだとしても、神原は少し気を揉んでしまう。

 それでも、平井はそんな神原の心情などどこ吹く風というように、上機嫌で続けた。

「それと、神原君。今日のライブ良かったよー。私にとっても好きな曲ばかりで楽しかったのはもちろん、演奏も冴えてたし、お客さんとも一体になってる雰囲気があった。前スプリットツアーで共演したときも良かったんだけど、今日はそれ以上に良くて。バンドとして成長してるんだなーって思った」

 平井は酔った勢いなのか、神原たちのことをストレートに評価してきていた。

 以前だったら、自分たちよりも人気のあるショートランチにそう言われて、神原は上から目線だと癪に感じていただろう。その感情は、今もまだ完全に消えているとは言えない。

 でも、それよりも今は平井に褒められたことが、いくらか素直に嬉しく感じられる。もしかしたらそれは、メジャーデビューした時期も近く、同期だからという仲間意識が働いているからかもしれなかった。

「ああ、ありがとな。実際、俺たちも今日のライブには手ごたえがあったから。どの曲も観客に受け入れられて、演奏の調子も良かったから、ライブをしてて楽しかった。これからのスプリットツアーに向けて、良いスタートが切れたと思ってるよ」

「そうだねー。それはきっと、今日の三組全体のライブを通してもだよねー」

「ああ。お前らは始まった瞬間から観客の心を掴んでいて、さすがは人気のあるバンドだなって思ったし、スノーモービルもGeek Tokyoってキャパにふさわしいライブができてたと思う。俺たちも含めて、三組とも確かな成長が感じられた。全部ひっくるめて、今日は良いライブになったと思うよ」

「だよねー。きっと今日来てくれたお客さんも、楽しんで帰ってくれたと思うし。この調子で次の仙台からも良いライブしようねー」

「ああ、頑張ろうな。お互い」

 そう言うと、電話の向こうで園田も鷹揚に頷いたのが感じられたから、神原の心はより持ち上げられていく。ツアー初日を成功できた達成感に、眠気もあまり感じなくなっていく。

 だから、神原はそれからも少し平井と電話を続けた。今日のライブの感想や、最近の活動のことをざっくばらんに話す。平井の声は開放感に溢れていて、神原としても聞いていて気分が良い。

 でも、その一方で少し浮かれすぎてはいないかとも感じてしまう。それはアルコールの効果が大きいのだろうけれど、裏を返せばライブ前にそれだけ重圧を感じていたのかもしれない。

 そう神原には思えて、会話に一区切りがついたタイミングで、「ところでさ、ちょっといいか?」と切り出してみる。平井は「何―?」と、相変わらず語尾を伸ばしていた。

「お前らさ、もしかして今日緊張してた?」

 神原がそう尋ねてみても、平井は相変わらず緩んだ声を崩さない。「どうしてそう思うのー?」と訊き返され、神原は素直に応じる。

「いやさ、やってきたときはそうでもなかったけど、開演時間が近づくにつれて、だんだんと表情が硬くなってたから。もしかして緊張してんのかなって思ったんだ」

「そっかそっかー」平井はあくまでも大らかに頷いている。そして、締まりのない声のまま答えた。

「そりゃ緊張はするでしょー。だって千人を超えるお客さんの前でライブをするんだから。これで緊張しない方がどうかしてるでしょー」

「そうか? 前のときはそこまで緊張せずに、ライブを楽しみにしてた印象があったんだけど」

「いやいや、前のときも緊張はしてたよー。ただそれを表に出しても仕方ないなーって思っただけでー。ていうかさ、お客さんの前でライブをするんだから、むしろ緊張しない方が失礼じゃない?」

「確かにそれはそうだけど……」

「ていうか、それを言うなら神原君たちの方が緊張ヤバくなかった? 開演前とかガッチガチだったじゃん」

「そうか? 俺としては普通にしてたつもりなんだけど」

「いやいや、表情引きつってたよー。大丈夫なのかな? って思っちゃったぐらい。まあ結果的には良いライブをしたから、よかったんだけどー」

「そっか。じゃあ俺、人のこと言えねぇな」

「うん。別にもうちょっと落ち着いてもいいと思ったけどなー。神原君たちには、れっきとした実力があるわけだし」

「ありがとな。じゃあ、次はもっと余裕をもって構えてみるよ」そう答えながら、神原はそんなにうまくはいかないだろうなとも思ってしまう。次のライブをする仙台へは、神原たちは初めて行く。未知の場所で観客が自分たちを受け入れてくれるかどうかは、やはりまだ確証が持てなかった。

 平井も「うん、そうした方がいいよー」と頷いている。その言葉を聞くと、神原には次の仙台でのライブに向けて、胸のつかえが一部分でも取れていくようだった。

 翌日。神原たちは正午を回るよりも前に、渋谷にあるサニーミュージックの本社に集合していた。誰もが遅刻することなくやってきていて、垣間見た平井の表情からも、二日酔いを抱えているようには神原には見えない。

 最寄りの駐車場に停めてあった機材車に乗り、神原たちは一路仙台を目指す。会話が少しずつなくなり、静かになる車内にも神原は慣れつつあった。

 高速道路を降りて、神原たちが二日間宿泊するビジネスホテルに到着しても、午前中に出発したからかまだ空は明るく、建物の間から差し込んでくる日差しが目に眩しいくらいだった。

 チェックインを済ませて部屋に入ると、神原には手持ち無沙汰な時間が訪れる。とはいえ、Geek Tokyoでライブから一日が経っていたこともあって、神原にとっては移動の疲れはそれほどでもなかった。

 だから、神原は少し休んでからすぐに部屋を出る。一人で散策するのは何となく寂しかったから、隣の部屋にいる与木を呼びに行く。神原の呼びかけに与木も応じていて、二人は必要なものだけを持つとホテルの外に出ていた。

 日が沈み始めて人や建物の影が長くなっていく街中を、神原たちは歩く。ひとまず携帯電話に表示させた地図を参考にして、仙台駅の方向を目指す。

 少し歩いてみても、神原には今まで訪れたことのない街の雰囲気が、新鮮に感じられた。仙台駅の周辺にはちょうど仕事が終わった時間なのか、人が多く行き交っていた。

 神原たちは駅舎を突っ切り、西口のペデストリアンデッキに出た。すると、そこからは空が暗くなりかけるにつれて明かりがつき始めた街を見渡すことができて、その新鮮さに神原の胸は躍っていく。多くの背の高い建物が並び、大型ビジョンには地元企業の広告が映されている。

 インターネットで見た、仙台を象徴する場所に自分が立っていることに、神原には何とも言えぬ感慨があった。

 それからも、神原たちは仙台の街を、目的地も決めずそぞろ歩いた。アーケード街にはさまざまな商店が並んでいたし、仙台を拠点とするスポーツチームを応援する幟が、地域色を感じさせる。駅前の通りはどこも道幅が広く、歩きやすい。

 知らない街を散策する楽しさに神原はすっかり当てられていたし、与木も興味深げにあちこちを見回している。

 二人がそうして歩いていると、いつの間にか空は暗くなり、吹く風も涼しくなってくる。時刻が夕食時に差しかかったこともあり、二人はどうせなら仙台の名物を食べたいと、携帯電話で調べた牛タン料理店に足を運んだ。

 カウンター席に肩を並べて座ると、二人はメニュー表にでかでかと載っていた、定番らしき牛タン定食を頼む。十数分ほどして運ばれてきた定食は、かすかに赤みを残した牛タンが目を惹く。

 箸を持った神原は、さっそく一切れを口に運ぶ。口に入れただけで、下味としてつけられた塩味が牛タンそのものの味を引き立てているのが分かり、噛むほどに旨味が溢れ出してくる。ご飯がほしくてたまらなくなる味は、やはり仙台でも一番の名物なだけあると、神原を納得させた。

 与木も食べながら、わずかに目を見開いている。「美味いな」と話しかけると、「ああ、マジで美味いな」と与木も答えていて、神原たちは仙台に来た実感を大いに味わっていた。


(続く)


次回:【小説】ロックバンドが止まらない(157)

いいなと思ったら応援しよう!