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【小説】ロックバンドが止まらない(157)
仙台を軽く観光した神原たちは、夜が明けるとライブ当日を迎える。今日は平日で、開演時間も夜の七時と比較的遅い。だから、神原たちは余裕を持って正午を回る頃に、ホテルのロビーに集合していた。
バンドごとに分かれて近くの駐車場に停めておいた機材車に乗ると、今日ライブをするライブハウスへは一〇分ほどで辿り着く。デパートの向かいの七階建てのビル。その七階にある仙台Leonaこそが、今日のライブ会場だ。
裏口に機材車を停めると、神原たちはスタッフ・演者総出でまずはステージのある七階へと機材を運んでいく。自分たちの楽器やエフェクターボードといった機材を持って、七階に着いた神原たちはまずは楽屋に入った。
この日の楽屋はバンドごとに別々で、ドアを開けた神原は、目に入ってきた光景に一瞬驚いてしまう。
仙台Leonaの楽屋は明るい茶色の内装で、とても整然とした雰囲気だった。掃除も行き届いていて、ステッカーやポスターが所狭しと貼られた雑然とした楽屋をいくつも経験してきている神原は、新鮮さを感じずにはいられない。
いざ入ってみると目に入ってくる情報量の少なさに、神原の気持ちは少し落ち着いていく。集中力を高めてライブに臨むには、もってこいの環境だと思えた。
楽屋に入った神原たちは椅子に腰を下ろしながら、しばし待機する。今日のライブは、神原たちは最後の登場だ。
神原たちは楽屋で話したり、携帯電話を見ながら、自分たちよりも前の出番であるスノーモービルやショートランチのリハーサルを耳にする。二組とも時間を置いたからか、一昨日のライブや昨日の移動の疲れは見られず、ハリのある演奏をしていた。心の中では緊張していても、音は伸びやかで今日のライブへのモチベーションの高さが窺える。
ライブが始まっても良い状態で自分たちの出番が回ってきそうだと、神原は感じた。
自分たちの一つ前の出番であるショートランチのリハーサルが終わって少ししてから、神原たちはスタッフに「リハーサルお願いします」と声をかけられる。立ち上がってステージに向かう神原たち。
いざ立ってみると、ステージは広くてゆとりがあったし、ステージの上から見るフロアもそれ相応の面積がある。五〇〇人以上が入るフロアには、今は数人のスタッフしかいないが、いざライブが始まれば多くの観客が詰めかけるのだろう。
神原たちも前売り券は完売こそしてはいないものの、それでもキャパシティの八割ほどが売れていると聞いている。程よく観客が入ったフロアの前で演奏できることは、神原に緊張と期待の両方をもたらしていた。
しっかりとアンプやスピーカーから音が出ることを確認した神原たちは、音量のバランスを整えるために、軽く曲を演奏した。今日のセットリストにも組み込まれている曲は、何回も練習してきたこともあって、神原たちは澱みない演奏ができた。テンポやタイミングもちゃんと揃っていて、自分たちの調子が良いことを神原は感じる。
この調子で臨めれば今日のライブも問題はないだろう。リハーサルが終わった瞬間、神原はそう前向きに思うことができていた。
リハーサルを終えると、神原たちには自由時間が訪れる。神原もひとまず外に出て昼食を食べたり、ビルの周辺をそぞろ歩いてみる。
ライブハウスに戻ると、園田や平井たちは自由にお互いの楽屋を行き来していて、神原も何となく自分たち以外の楽屋に行ってみる。
平井はなんてことのないように振る舞っていたけれど、笑顔が少し硬かったし、中美は話していても言葉の節々から緊張が滲み出ていて、やはり感じていることは自分と変わらないのだと神原は思う。
どんなライブでも緊張を感じることは、誰にとっても当然のことだった。
それでも、開演時間が近づいてくるにつれて、神原たちはお互いの楽屋への行き来をやめて、バンドごとにまとまって過ごすようになる。
そんななかでも、神原は天井近くにあるテレビを気にせずにはいられない。仙台Leonaに関係者席はない。でも、その代わりにフロアの最後方にはカメラが用意され、楽屋にいながらステージやフロアの状況をチェックできるのだ。
そして、テレビの中では多くの観客がライブの開演を今か今かと待ちわびている。最後方に少し隙間はあるものの、それでも想像していた通りの埋まりぶりだ。
それを見ると、BGMの合間に聞こえてくる話し声も相まって、神原の緊張はより高まってしまう。何度も画面に目をやるのは、園田たちも同様だった。
ソワソワした空気が楽屋に色濃く流れるなか、時刻は開演時間である夜の七時を迎える。
すると、画面の中のフロアは照明が落とされて、ライブハウスには今日のトップバッターであるスノーモービルの登場SEが流れ出した。スノーモービルは仙台でライブをするのは初めてだから、きっとこの登場SEも多くの観客は初めて聴くことだろう。
でも、フロアにはリズムに合わせて手拍子が自然発生していて、今日集まった観客が音楽が好きな人ばかりだということを神原に認識させた。平日の夜にライブハウスに来るくらいだからそうだとは分かっていても、神原には心強い。きっと舞台袖にいるスノーモービルの三人も、大いに励まされていることだろう。
神原たちの視線は、テレビに釘付けになる。ステージに登場した三人は温かな拍手で迎えられていて、フロアに漂う期待感が楽屋にいながらにして、神原にも感じられるようだった。
登場SEが止むと、スノーモービルの三人はお互いを確認し合ってから、由比のドラムを合図に一斉に演奏を始めた。鳴らされたのは、スノーモービルの曲の中でも人気が高いシングル曲だ。軽快なリズムに、神原の気持ちも乗っていく。
実際、三人の演奏も変に縮こまることなく、しっかりと実力を発揮できている。
それでも、その曲はGeek Tokyoのときの一曲目と同じだったから、神原はどうしても両者を比較してしまう。どちらが盛り上がっているかは、言うまでもない。
いくら音楽が好きな人たちばかりだといっても、ライブが始まってから音楽を聴くモードになるには、少し時間がかかってしまうのだろう。それが今日初めてライブを見る人も多いと予想される、スノーモービルならなおさらだ。
画面からは観客は後ろ姿しか見えないが、それでもまだ突っ立ったままの人が多いことは、神原にも容易に見て取れる。三人の演奏は少しも悪くないのに、反応は芳しくなくて、神原は祈るような気持ちになってしまう。どうかここから盛り上がってくれますようにと、画面を見つめながら願わずにはいられなかった。
それでも、スノーモービルの三人はめげずに演奏を続ける。だんだんと初めてライブをする仙台Leonaの雰囲気にも慣れ始めていることが、神原には聴こえてくる音から感じられる。
三人のひたむきな姿勢は、観客にも伝わったのだろう。曲を追うごとにリズムに乗って身体を揺らす観客は、徐々に増えてきていた。
それは三人が、比較的認知度の高いシングル曲を中心にセットリストを組んでいるからでもあったのかもしれない。でも、曲自体のクオリティと三人の確かな積み重ねに裏打ちされた演奏が、観客に受け入れられていることが神原には画面越しに、フロアから流れてくる雰囲気に分かる。
ライブハウスは少しずつ熱を帯びてきていて、終盤になるとサビでは、いくつもの手が振り上げられるようになっていた。
それは三人が一からのスタートで観客の心を掴んでいる表れで、神原も見ていて勇気づけられる。三人はトップバッターとしての役割を超えて、三人らしいライブを十二分に展開できていた。
スノーモービルのライブは、右肩上がりの反応を見せて終わっていた。演奏が終わったときの拍手は、三人が登場したときよりもずっと大きく、三人のライブの評価をストレートに表現していた。
神原も心の中で拍手をする。楽屋が別々だから、「良かったよ」といった言葉をかけづらいことが、口惜しく感じられるほどだ。
転換の間もフロアにはじわりとした熱が漂っているのが、そこにいなくても神原には肌で感じられる。そして、十数分ほどしたのち、再びフロアの照明は落とされた。その瞬間フロアがかすかにどよめいたのが、楽屋にいる神原たちにも伝わってくる。
それはスノーモービルのときには感じられなかったもので、今日の観客の多くがショートランチのライブを楽しみに来ていることを、神原に改めて実感させた。
流れ出した登場SEにも、多くの観客がリズムに合わせて手を叩いていて、それはスノーモービルによってフロアが温められたことだけが理由ではないだろうと、神原は感じる。
ショートランチはこの三組の中では唯一、仙台でのライブ経験がある。今日の観客には、そのライブを見ていた人も少なくないのだろう。フロアがすっかりショートランチを歓迎する空気になっていることを、神原は画面越しにでも感じる。
そして、それは三人がステージに登場すると、大音量の拍手に姿を変えた。観客が感じている期待が、神原たちにもひしひしと伝わってくる。
三人の表情も引き締まっていて、緊張はしていながらも、高い集中力とモチベーションを持ってステージに出てきたことが窺えた。