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【ネタバレあり】映画『ちいさな英雄 ―カニとタマゴと透明人間―』感想【ターゲットは親子連れ】

こんにちは。これです。

今回の記事は映画「ポノック短編劇場『ちいさな英雄 カニとタマゴと透明人間』」の感想になります。昨年の米林宏昌監督の「メアリと魔女の花」がその年のベストに入るくらい好きだったので、ルンルン気分で映画館に行ってみたら、スクリーン内に私一人で、その注目度の低さに凹みました。

では、気を取り直して感想はじめます。拙い文章ですが何卒よろしくお願いいたします。





※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。






・「カニーニとカニーノ」



「メアリと魔女の花」が記憶に新しい米林宏昌監督作品「カニーニとカニーノ」。まず特筆したいのがその風景の美しさです。舞台となる擬人化された虹色のトンボが舞う沢は光に溢れていて、手書きの川辺とCGの川の流れが絶妙にマッチしていました。川の中も幻想的で、まるで夢の中にいるようでした。この短編の一番のストロングポイントです。正直ストーリーは二の次にしてでも、このキレイな風景を楽しんでほしいと思います。

そんなキレイな沢の中にカニの兄弟カニーニとカニーノは暮らしています。ある日、二匹の父親トトはカニーノを助けようとして激しくなった川の流れに飲み込まれてしまいます。

二匹はトトを探す大冒険に出かけます。魚から逃げるようにして陸に出た二人。そこに狸が通りかかりますが、ここで改めて二匹の小ささが強調されます。想像以上に小さかった。10㎝もないんですよね。

飛び込んだ別の沢の中でトトを見つけたカニーニとカニーノ。そこに予告でも出ていたあのリアルで気持ち悪い魚が現れます。子どもがトラウマになりそうな魚に対峙する10㎝もない二匹。世界から見れば私たちも10㎝、もしくはそれに満たない小さな存在です。気持ち悪い、二匹からすればあまりに大きな魚は、私たちにとっての上手くいかない残酷な現実です。しかし、そんな残酷な現実に、怯えながらも立ち向かうカニーニとカニーノの姿は私たちにも勇気をくれます。「カニーニとカニーノ」は正統派の冒険ファンタジーでした。

「カニーニとカニーノ」は今回の三作品の中では、一番対象年齢が低めだと思います。未就学児や小学校低学年ぐらいの子どもがメインターゲットなんじゃないかと。それは彼らが言葉を話さないことにもあります。作中で彼らはお互いの名前を呼ぶくらいしか声を出さないんですよね。これはまだ単語や二語文ぐらいしか話せない2~3歳の子どもにも見てほしいという配慮なんじゃないかなと。そんななかでも同じ言葉で様々な感情を表していた木村文乃さんや鈴木梨央さんは上手でした。

カニーニとカニーノが子どもであることも、見るであろう子どもたちが身近に感じることを助けると思います。絵は綺麗でそれだけでも子どもたちは「すげー」と感動するでしょうし、カニーニとカニーノが互いの弱いところを励まし合って立ち上がる姿は、他の人と助け合う大切さを教えます。自分たちと似た二匹の冒険は、好奇心旺盛な子どもたちをワクワクさせることでしょう。

また、「カニーニとカニーノ」では、厳しい部分もちゃんと描かれているんですよね。途中カニーニがトンボの翅を見つけて持っていきますが、ということは翅をむしられたトンボはもう死んでいるということになります。また、2匹とその父親トトを食べようとした魚は鳥に丸飲みにされてしまいます。こういった優しいだけじゃない厳しい部分も描くことはとても教育的なことで、そういった意味でも未就学児が見るのにうってつけだと感じました。






・「サムライエッグ」



「火垂るの墓」「かぐや姫の物語」など長らく高畑勲監督作品の中核を担った百瀬義行さんが監督を務めた「サムライエッグ」。少年シュンの成長物語であり、命の象徴である卵を通したシュンとその母親の物語でもありました。命に係わるほどの重大な卵アレルギーを持つシュン。幼いころから卵を食べてしまって何度も救急車に運ばれています。母親はそんなシュンを思い、毎日卵抜きのお弁当を作ったり、アレルギーが発生したときには適切な初動処置を施したりと尽力していました。

そんな親子の物語はパステルで手書きしたかのような柔らかなタッチで描かれます。やってることは命に係わるほどに重大なことなのに、絵の暖かさがそれを和らげてくれます。

しかし、ときにその柔らかさは荒々しさにも変わります。「サムライエッグ」で一番印象に残るシーンといえば、予告編にもあるシュンが階段を下るシーンですよね。必死に階段を下るシュンの姿が、勢いを持って荒々しく書かれていて、今までのギャップの激しさにどれだけシュンが必死だったのかが伝わってきます。湿疹がシュンの体の外にまで飛び出してますからね。その必死さが胸を打ちます。

「サムライエッグ」は絵やアクションで魅せる他二作品とは違い、今回の短編劇場の中では一番ストーリーに軸足を置いている作品でした。設定をしっかりと決め、それを元にストーリーを組み立てる。他の二作品は描きたいシーンから逆算して描いていたように感じられたので、話の説得力は「サムライエッグ」が一番あったように思います。

ただ、私はこの作品にそこまでハマることはできませんでした。それは多分キャラクターに愛着を抱くことができなかったからだと思います。

シュンは意固地で、でも純粋で、メジャーリーガーに憧れるようなよくいる男の子像をなぞった感じのキャラクターで、その母親もシュンのことを心配する良妻賢母みたいなキャラクターでした。なんかそんな二人を現実のものとして感じることができなかったんですよね。あまりもいい子いい子しすぎてて逆にアニメぽかったというか。三作品の中では一番現実に近いはずなのに。

ただ、これはものすごく個人的なことですが、この作品の舞台である東京の方の府中には、私は何回か行ったことがありまして。くるるの中にあるTOHOシネマズにたまに行ってたんですよね。なので、駅前の風景や二人が雨宿りしたビルに懐かしさを感じました。二人が入ったお店は、私が映画の後によくご飯を食べていた駅前のサイゼリヤに似てましたし、夏祭りもあれ、たぶん会場は大國魂神社ですよね。そういったところに親しみを感じて、楽しく観ることができました。自分が知ってる街が映画の舞台になるっていいですよね。






・「透明人間」



さて、今回の「ちいさな英雄」の中で私が一番好きなのがこの「透明人間」。他の二作品とは明らかに纏っている空気の違う異色作です。「ハウルの動く城」「崖の上のポニョ」など、長きにわたって宮崎駿作品の中核を担ったアニメーター・山下明彦さんが監督を務めています。

主人公は都会の片隅に住む透明人間。職場でのパソコンはエンターキーを押しても彼が入れた文字を受け付けず、同僚のペンを拾っても感謝されることはありません。コンビニの自動ドアは開かず、ATMを彼を拒み、店員は隣のレジのお客さんを優先して相手をします。まるで、彼は最初からこの世に存在していなかったようです。

彼は認識されないことからヤケになり、自分を地上に繋ぎとめていた消火器を投げ捨てようとします。それはなんとか思いとどまりますが、彼は重力からも無視されるようになり、上空へと浮かんでいきます。手を伸ばしても何かを掴むことなどできず、風によって壁にたたきつけられてもなお浮かんでいく。彼の目から見た町はどんどん遠ざかっていき、このまま天に召されてしまうのではないかという勢いです。

このシーンの見せ方がものすごく上手くて、風にあおられることで彼のシルエットが浮かび上がっていましたし、カメラが高速で動くことで、躍動感が溢れます。彼の目から見た町が遠ざかっていく様子は見ているこっちが怖くなってくるほどです。近くをかすめる鳥や雷の音の近さが彼のピンチをより一層際立て、私は手に汗を握りました。緊迫感溢れるシーンでした。

彼は何とかこの窮地を脱し、コンクリートの川辺に座り込みます。ここで犬とその主人のおじいさんが彼の存在を認めてくれるんですよね。おじいさんは目が見えないという設定がありますし、それを裏付けるかのように目元が画面に映ることはありません。しかし、そんな盲目のおじいさんが自分を認めてくれた。ここで他の人にあまり認められていない私も報われたような気になって、神妙な気持ちになりました。

私がこの「透明人間」が一番好きな理由として、三作品の中で一番キャラクターに共感したってことがあります。私も自分は透明人間だなと常日頃から思っているので、彼の無視され続ける姿には物凄い共感を覚えて、胸が苦しくなりました。

SNSで「死にたい」と呟いてみたところで何の反応もないですし、こうやってnoteを更新しても全然読まれないですし。一昨日書いた「ペンギン・ハイウェイ」の感想なんて何PVぐらいあると思います?たったの15ビューちょいですよ。雑魚すぎですよね。こんなんじゃ最初から存在していないのと何も変わらないですよね。こんなちっぽけな自分なんて誰も興味ないよな、いる価値ないよなっていつも思います。

というかネットの世界ではこういう人が大半だと思います。一部のインフルエンサーと呼ばれる著名な人を除いて、ほとんどの人の言葉は誰にも引っかからず流れていくだけです。まるで透明人間である彼のように。最初から存在していないかのようにスルーされ続けます。やっぱり人間って承認欲求があるじゃないですか。誰かに価値を認めてほしいんですよね。でも、誰からも見向きもされない。存在すら認識されない。私たちの多くは、彼と同じ透明人間なんです。この寂しさを抱えている人なら、透明人間である彼に共感できるはずです。

それと印象的だったのが、透明人間の彼がいちいち認識されないことに落ち込んでいたこと。もし本当に透明人間だったら認識されないことにはもう慣れちゃってるはずですよね。諦めてるはずですよね。でも、彼はいちいち凹んでいた。これは私の勝手な考えですけど、彼は透明人間じゃないと思うんですよ。彼を透明にしていたのは周囲なのではないかと。

朝、彼は鏡をのぞき込みますよね。このとき彼は自分の姿をちゃんと視認できていたと思うんですよ。ただ、周りが彼を存在しないものとしてみていた。同僚にペンを渡すシーンがあるんですけど、その時の同僚が「こんなところにあった」っていうんですよね。もし彼が本当に透明人間ならペンは浮いていて「こんなところにあった」じゃ済まないじゃないですか。つまり彼は周囲からも見えていたが、周りの人はそれをシカトしていたと。いわば、社会的に「透明人間」にされてたと思うんですよ。それはまさにイジメそのもので、観ていて胸が痛くなりました。

ここで怖いのが、これが明日、私の身にも起こるかも知らないってことなんですよ。物理的に透明人間にするのは無理でも、社会的に透明人間にすることはできます。明日は我が身と思うと彼に怒っていることはどうしても他人事のように思えません。「透明人間」は透明人間というファンタジーな題材を扱っていながら、その実三作品の中で最も現実的な物語なんじゃないかと思います。「世にも奇妙な物語」的な怖さがありますね。






・3作品を通して

この「ちいさな英雄」のターゲット層は子どもだと、私は見るまではそう思っていました。でも、違ったんです。この「ちいさな英雄」のメインターゲットは実は「親子連れ」なんです。

今回の「ちいさな英雄」の特徴は、それぞれの作品の対象年齢が違っているところにあると思います。「カニーニとカニーノ」は先ほど書きましたが、未就学児~小学校低学年、「サムライエッグ」は小学校低学年~高学年、「透明人間」は小学校高学年~大人が対象となっているように感じられます。

子どもは「カニーニとカニーノ」に魅了され、大人は「透明人間」に身をつつまされます。それぞれがそれぞれの話に共感を覚え、そして、それを繋ぐのが「サムライエッグ」です。

「サムライエッグ」は卵アレルギーを持つ少年シュンとその母親の物語です。ここでは無邪気な少年の姿が描かれ、子どもたちはそれを身近に感じることができます。そして、親御さんも自分が子育てに苦労した姿を重ね合わせて、母親を身近に感じることができると思うんです。「サムライエッグ」は親子の両方がターゲットになっており、今回の「ちいさな英雄」において象徴的な作品になっていると思います。何か一本選べといったら私はこの「サムライエッグ」を勧めたいですね。

さらに、「ちいさな英雄」では対象年齢が後半になるにつれて上がっています。それもグラデーションで。主人公の年齢もどんどん上がっていきますし、ここには「子供の成長」というものが隠されているように感じます。子どもが年齢を課されて成長していく様を対象年齢を上げていくことで示したかったのかなって。

これも親御さんに対するものですよね。子どもたちは自分が成長していく過程というものは知らないけど、経験してきた親御さんたちは知っています。「ちいさな英雄」が年齢を上げていく姿を、「ああこうだったなあ」という自分の過去と、「ああこうなるんだろうな」という子供の未来とを重ね合わせてみることができます。一本一本の作品としては子どもを狙っているんですけど、全体の構成としては大人を狙っていますね。

小さな子どもだけで、それこそ未就学児だけで映画館に行くことってあまりないじゃないですか。親に連れられて、「親子連れ」で行くことが大半だと思います。親子連れで映画館に来てもらうためには、まず親に訴求しないといけない。いくら表面的には子ども向けだとはいえ、子供とそれを一緒に観てくれる親の存在は外せません。なので、ノスタルジーを感じられるシーンを入れたり、全体の構成を大人向けにしたりしているのではないかと。

今回の「ちいさな英雄」は「子もその親も狙っていく」というスタジオポノックの宣言なんだと思います。親に連れられて子どもが映画を観に行って、その子どもが大人になってまたその子どもを連れて行って映画を観に行ったり。そういう流れを改めて作りたいのではないかと感じました。子供向けアニメはどこも大体そうですけど、その最前線に立ちたいという野心あふれる作品です。

ただちょっといただけないのは、引っ掛かりが少ないっていうところなんですよね。あまりにも優等生すぎて、毒がないといいますか。明るいだけの物語でなく、ちょっと毒とか考えさせられる場面がないと、見た私たちの心に引っかからず、するっと落ちて記憶に残らない作品になってしまうので、次はもう少し毒のある、子ども心に考えさせられるような作品が見たいです。その方が我々大人の心にも残りますしね。その辺はよろしくお願いします。






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以上で感想は終了になります。

「ちいさな英雄」は長くないし、夏休み最後で親子連れで観るにはうってつけの作品だと思います。ただそれ以外の人間が観ると「うーん」と感じてしまうところもあるかも。ただ、この作品たちがある程度結果を出さない限りは、スタジオポノックの次回作はないので、興味のある方はぜひとも観にいってみてください。


お読みいただきありがとうございました。

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