見出し画像

【小説】ロックバンドが止まらない(116)


前回:【小説】ロックバンドが止まらない(115)





 神原がそう尋ねると、辻堂は「えっ、どうしたの、いきなり」といったんは驚いていた。ここで本当のことを打ち明けることは、いくら何でも神原のプライドが許さない。

 それでも、辻堂は続けて「もしかして、神原君歌詞が書けなくて困ってるとか?」と察しの良さを見せる。図星を突かれて、神原はつい「いや、別にそういうわけじゃねぇけど」と反応したが、それでもその言葉は辻堂には、反対の意味で受け取られていそうだった。

「うーん、どうやってって言われても、それはそのときによるとしか言えないかなぁ。ちゃんと今回はこういうことを書こうって、紙に書いて考えることもあるし、ふとしたときに閃いたワンフレーズから一曲作ることもあるし。まあ普段から思いついたフレーズは、携帯にメモしてたりしてるけどね」

 辻堂の返事は神原にも頷けたものの、それでも締め切りが明日に迫った今では参考になったとは言い難かった。

 神原だって辻堂と同じように、思いついたフレーズは携帯電話にメモしたりしている。でも、今はそのストックさえ使い果たしてしまっている状態なのだ。それに今から詳細な設計図を書いていられる時間もない。

 神原が知りたいのは、即効的な魔法のような方法だった。

「なるほどな。でも、辻堂はその方法で困ったこととかないのか? そんな都合よく、毎回閃くわけじゃねぇだろ」

「そりゃあるよ。締め切りがヤバいなって思ったこともある。ちょうど今の神原君みたいにね」

「だから、そういうわけじゃ……。まあ、いいや。そんときお前はどうしてたんだよ」

「うーん、それはなかなか難しいけど、でも大事なのはそのときじゃなくて、それまでにどうするかじゃない? 他の歌とか本とか色んなものに触れて、自分の中の引き出しを増やしておく。その努力が、いざってときに自分を助けてくれるんじゃないかな」

「いや、それは俺も普段から意識してるけどさ、それでもどうにでもならないときってあるわけじゃんか。そんなときお前はどうしてんだよ」

「そうだね……。そういうときには、私はよく例え話を使うかな」

「例え話?」

「そう。例えば最近あった出来事とか、目にしたものとか。でも、それをそのまま書いても歌詞にならないから、別のものに例えたりしてどうにか捻りだしてる。実は『再生力』の一曲目の『つゆ知らず』も、そうやって書いたんだ」

「なるほどな。でも、その例えるもとが見つからない場合はどうすんだよ?」

「それはもう、神原君の今の状況を書いちゃえばいいんじゃない? 締め切りがヤバいって状況をさ」

「いや、冗談言うなよ。いくら例え話にしても、そんなこと書けるかっつうの」

「そう? でも、もう四の五の言っていられる状況じゃないんじゃないの?」

 辻堂にそう言われて、神原は言葉に詰まってしまう。締め切りを考えたら、もう理想論を述べていられる状況ではないのかもしれない。

 それでも、神原はまだ理想に拘泥していたかった。困っている現実を切り売りして、ファンやリスナーに聴かせるべきではないだろうと。

「いや、そもそも締め切りがヤバいわけじゃ……。でも、俺はそういうやり方には抵抗があるかな。大変だって、わざわざ言いふらすことじゃないだろ」

「確かに私も『俺はこんなに大変なんだ』って、たとえストレートな言い方ではないにせよ、言われたらちょっと引いちゃうかも。ごめんね、軽はずみなこと言っちゃって」

「いいよ。お前が悪気があって言ったんじゃないのは分かってるから」

「そう? ありがと。じゃあ、お詫びと言っちゃなんだけどさ、神原君は最近触れたものでいいなって、思ったものはある? 別に音楽だけに限らず、本とか映画とか漫画とか何でも」

「そうだな……。最近は忙しくて音楽すらなかなか聴けてない状況なんだけど……。でも、先々月ぐらいに読んだ『泳ぐ鳥と歩く魚』って漫画は、面白かったかもしれない」

「ああ、あの一巻で終わる漫画? 私も読んだことあるよ。神原君はその漫画のどこが面白いと思ったの?」

「なんつうか、流れてる時間が心地いいなって思った。あの漫画って男子高校生二人の日常を描いてるわけじゃんか。大きな事件は起こらなくても、それぞれにままならない事情や生きづらさを抱えていて。話の中でそれが解決することはなくても、でもただ話しているだけで、ちょっとだけ前向きな気持ちになれるというか。そういう日常の些細なあわい? が描かれてるのがいいなって思った」

「それだよ。それを歌詞に書けばいいんだよ」

「そうか? でも、それをそのまま書くのはやっぱりどうなんだろって、俺は思うんだけど」

「そりゃ確かに、その漫画の内容をそのまま書いたらアウトだよ。でも、その漫画を読んで感じた気持ちは、神原君だけのものなんだから。その漫画の名前を伏せたり、やりようはいくらでもあるでしょ? 他の作品に触発されて何かを作るってことは、恥ずかしいことじゃないよ」

 辻堂の指摘に、神原は目からうろこが落ちる思いがした。「メイクドラマ」はその方法で歌詞を書いたはずなのに、どうして思い至らなかったのだろう。それほど追い詰められていたということなのか。

 ともかく、神原には一筋の光明が見えた気がした。この感覚を保持したまま、今すぐにでもパソコンに向かいたいと感じられる。

「そっか。確かにそれはアリかもな。なんかいけそうな気がしてきたわ。ありがとな、辻堂。相談に乗ってくれて」

「ううん。困ったときはお互い様だよ。じゃあ神原君、歌詞書くの頑張ってね。ちゃんと締め切りに間に合うように」

「ああ、じゃあそろそろ切っていいか?」

「うん。じゃあ神原君、またね。予定決まったらまた教えてね」

「ああ」そう相槌を打って、神原は電話を切った。不思議なもので電話に出るまであった空腹も、今はさほど感じない。それも辻堂との電話で、ヒントを得られたからだろう。

 神原は再びパソコンに向かった。漫画の内容を思い出して、思いつくまま言葉をメモしてみる。すると、メロディーに合いそうな言葉や言い回しもいくつか出てきて、メロディーに当てはめてみる。

 もちろん、すんなりと決まるわけではない。でも、何も思いつかなかった先ほどまでとは違って、今は三歩進んで二歩下がるといった状況でも着実に前進している感覚があって、神原の目と意識はパソコンに釘付けになっていた。

 その日、神原たちにはスタジオでのバンド練習しか予定がなかった。しかも、それも午後の四時には終わったので、神原にはいったん家に帰って、ギターなどの荷物を置いていく余裕ができる。

 身軽になった神原は、最寄り駅から地下鉄に乗った。途中で一度乗り換えて、目指すは新宿だ。

 この日はスノーモービルのニューシングル発売を記念したライブ、その当日だった。

 家を出てきたときにはまだ明るかった空も、神原が新宿駅に着いた頃には、もうすっかり暗くなっていた。

 目的も行き先も多種多様な人が行き交う東口で、神原はちょうど話していた園田と辻堂を見つける。二人も神原に気づくと小さく手を振ってくれていて、それが神原には何やら照れくさい。

 入場時間が迫っていることもあって、神原たちは会話もそこそこに、さっそくライブハウスへ向かい出す。今日ライブが行われるblue clothでは神原たちはライブをしたことがなかったものの、それでも観客として見に行ったことは何回かあったから、携帯電話のナビは必要なかった。

 夜の中を新宿駅から一五分ほど歩いて、神原たちは新宿blue clothに辿り着く。観客の入場はもう始まっていて、前売り券を提示して神原たちも地下一階のフロアに入る。

 ステージの前には木目調を模した床が広がっており、その上にはもう少なくない数の観客がやってきて、開演を今か今かと待っていた。ざっと一〇〇人ほどが今の時点でやってきており、平日にしては集まっている方だろう。

 神原たちもフロアの隣に面しているカウンターで、ドリンクチケットをミネラルウォーターと引き換え、フロアの後方でライブの開演を待つ。三人で少し話をしていても、他の観客の視線はステージや携帯電話に向けられていて、わざわざ神原たちの方を見る者は、ほとんどいなかった。

 開演時間の一九時を少し過ぎた頃。まだかなと観客が思い始めたときになって、フロアの照明は落とされ、ライブハウスにはスノーモービルの登場SEが流れ出す。スプリットツアーのときから変わっていないそれに、たった三日間共演しただけなのに、神原はいくばくかの懐かしさを感じた。他の多くの観客とともに、リズムに合わせて手を叩くことができる。

 そして、登場SEがサビに入ったところで登場した三人に、歓迎するような拍手が改めて送られる。それはここにいる誰もが今日のライブを楽しみにしていたことを伝えていて、心温まる瞬間だった。

 楽器を構えた三人に、登場SEがフェードアウトしていく。一瞬フロアに流れる静寂も、今日の神原は観客側だからか、どことなく暖かみを持って感じられる。

 すると、スポットライトで照らされた中美がギターを弾きながら、口火を切るように歌い出した。

 歪んでいないクリアなギターのストロークと、優しくてパワーのある中美の歌声に乗せられて始まった曲は、スプリットツアーでも披露された「ナツカゲ」だった。音源では三人が一斉に演奏を開始するのだが、今日はライブアレンジをしているらしい。

 スノーモービルの中でも人気のある曲だから、当然観客も知っているのだろう。じっと耳を澄ませるフロアはまるで一つの生き物みたいで、中美のシンプルな演奏は早くもフロア全体を掌握していた。

 サビをワンコーラス歌い終えると、由比がカウントを刻んで、今度は三人が一斉にイントロから演奏を始める。決して派手な展開をする曲ではないのだが、それでも神原たちよりも前方にいる観客は多くが身体でリズムを取っているように見えて、一体感すらある。

 いくら全員がファンやリスナーだからといって、一曲目から曲に乗せることは簡単ではない。でも、ステージの三人はそれを成し遂げていて、神原は今日のライブが高揚感を帯びたものになることを、早くも予感する。

 少なくとも、来なくてもよかったという思いをすることはなさそうだった。


(続く)


次回:【小説】ロックバンドが止まらない(117)

いいなと思ったら応援しよう!