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【小説】ロックバンドが止まらない(147)
久倉が作った曲を聴いたことでモチベーションはさらに上がり、神原はそれからも毎日『東山ワナビー』の主題歌の作曲を試みた。
しかし、いくつかフレーズは浮かんだものの、「これだ」と思うものにはなかなか辿り着かず、曲はまとまらないまま、神原は出演するライブイベントの当日を迎えてしまう。最初の締め切りまではまだ時間があるものの、それでも新しい曲がまだできていないことで、園田たちに会ったときに神原は少し後ろめたさを感じてしまう。
それでも、園田たちは「気にすることないよ」という素振りを見せてくれていたから、神原の心もいくらか軽くなる。どのみち今は今日のライブに集中するしかないのだと、前向きに考えることができた。
新宿のライブハウスで行われたライブイベント。神原たちのライブは、盛況のうちに幕を閉じていた。
神原たちはこの日はトップバッターで、フラットな状態からライブをスタートさせることに緊張も抱いていたのだが、それは演奏しているうちに存在感を薄くしていっていた。満員に入ったフロアには、神原たちの曲を聴いている観客も多かったようで、一曲目から神原たちは望ましい反応を得られていた。リズムに乗って身体を揺らしていたり、口を動かして歌詞を口ずさんでいる様子の観客も何人もいて、それは神原たちにもこれ以上ないほどの燃料となる。自分たちの演奏も着実な面は見せていながらも、練習よりも躍動感を増しているように神原には感じられる。
シングル曲を多めに取り入れたセットリストも功を奏したようで、神原たちは三〇分という持ち時間を、瞬く間に駆け抜けることができていた。
ライブイベントへの出演を終えた翌日は、神原たちは一日オフとなっていた。ニューシングルのリリースに関連した活動が増えてきたり、Geek Tokyoでのライブに向けての練習を重ねる前の、貴重な休みだ。
だから、神原は何としても今日中に『東山ワナビー』の主題歌候補、その原型だけでも完成させておきたいと、目を覚ましてから間もなくギターを手に取る。いくつかコードを爪弾いてみて、なんとかとっかかりが掴めないかと模索する。
そうしてギターに触り続けて、何時間が経っただろう。窓から射す西日が眩しくなってきた頃に、神原はふとメロディーを閃いた。ギターで演奏してみても、今までにない手ごたえがある。
もしかしたら、これが突破口になるかもしれない。
神原は窓の外が暗くなっても、ギターを離さなかった。一ヶ所を思いつくと連想ゲームのように他の個所のメロディーも浮かんできて、神原はそれをどうやって曲の形にまとめようか思案する。
ひたすら頭と手を動かしていると、夜になっても眠気や空腹はあまり感じなかった。
その日のうちに曲を完成させ、デモテープを制作できていた神原は、さっそくその次の日のバンド練習が終わってから、新しくできた曲を三人に聴かせていた。三人とも聴いている途中の表情は以前と比べると明るく、それだけで神原は三人がこの曲をどう感じているかが分かるようだ。
そして、新曲を聴き終わった三人の反応は、神原の想像からはほとんど外れていなかった。三人とも一様に「良い曲じゃん」といった言葉をかけてくれていて、神原としても出来上がったときに感じた手ごたえは、間違っていなかったと思える。
「俺はこの曲でいきたいんだけど、お前らはどう思う?」と訊くと、三人ともが「いいよ」と頷いてくれていて、神原は曲を作れなかった日を含めた、自分の苦労が報われたような気がした。四人の意見がまとまったことに、嬉しさを覚える。
主題歌の提出に向けて大きな一歩を踏み出せた感覚は、神原の自信も大きく回復させていた。
そこから四人はニューシングルのリリースに関連した活動や、その後に控えているGeek Tokyoでのライブに向けた練習と並行しながら、『東山ワナビー』の主題歌の制作も進めていった。神原が歌詞を書き、四人で曲のアレンジを考える。
そうやって曲を練り上げていき、主題歌の候補となる曲がアレンジまで完成したのは、七月に入ってニューシングルの発売が日に日に近づいてくる頃だった。練習スタジオでしたバンド演奏を録音して、喜谷たちに提出する。
八千代を通して喜谷たちから返信が送られてきたのは、さっそくその翌日のことだった。「曲、素晴らしいです。この曲を映画『東山ワナビー』の主題歌にさせてください」といった内容の返信に、神原も頬を緩めながら肩の荷が一つ下りたようだった。
自分たちは、喜谷たちのお眼鏡に適う曲を作ることができた。まだレコーディングもしていないのに、神原は早くも達成感さえ覚えていた。
それでも『東山ワナビー』の主題歌が完成しても、神原たちに息つく暇はあまり訪れなかった。その翌週には早くもニューシングルである、「青してる」の発売日が控えていたからだ。
プロモーション活動も佳境に入り始め、ライブに向けた練習も含め、神原たちには毎日何らかの活動が入っている日々が続く。
取材やラジオ番組出演等の回数は増えていて、それは神原にとってもありがたかったものの、それでも連日の活動に少し疲れてしまう部分は確かにあって、家に帰ってもなかなか新曲を作ることはできず、すぐに寝てしまう日も増えてしまう。
それでも、日々はあっという間に過ぎて、「青してる」の発売日になる。
とはいえ、神原たちにはたとえ発売日であってもバンド練習が入っていたから、「青してる」の売り上げだけを気にするわけにはいかなかった。
それでも演奏している間はよかったものの、演奏が途切れるとふとした瞬間に、神原は売り上げを気にせずにはいられない。園田たちも同様に思っていることが、雰囲気から神原には伝わってくる。
自分たちにとっては、今まででも最高の売り上げを記録した「メイクドラマ」の後の、最初のシングルだ。それでもなお売り上げを伸ばせているのかどうか。
神原は気が気でなく、注意していないと演奏への集中にも、妨げが出そうなほどだった。
午後一時から始まったバンド練習が三時間ほどで終わっても、神原はまっすぐ家には帰らない。ギターを持ったまま地下鉄に乗り、最寄りの駅で降りる。
数分ほど歩いて神原が辿り着いたのは、以前にも訪れたことのあるラジオ局だった。ここで神原は夜の七時から三〇分間、生放送のラジオ番組に出演するのだ。
今までにも生放送への出演経験はあるものの、それでも神原は新鮮な緊張を抱かずにはいられない。パーソナリティやスタッフに挨拶をし、プロデューサーから簡単な打ち合わせを受ける。
番組の概要は神原にも理解できたものの、何を喋るか細かい内容までは委ねられていたから、神原の心臓はドキドキと波打つ。
ラジオ番組への出演は、大きなトラブルもなく概ね順調に終わっていた。パーソナリティは穏やかな雰囲気を醸し出していて、神原が喋ることを助けてくれていたし、神原も事前に簡単な台本のようなものは貰っていたから、ある程度は考えてきた通りのことを喋ればよかった。パーソナリティからの質問も打ち合わせた通りで、神原も過不足なく答えられる。
曲の印象や込めた思いなどを話せたから、プロモーションとしてもうまくいったことだろう。生放送が終わって、神原はそう信じたい思いに駆られていた。
そのまま外で夕食を食べて、神原が自宅に帰った頃には、時刻は夜の九時を回っていた。三時間にも及んだバンド練習の後のラジオ番組への生出演は想像以上に疲れて、神原は冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、そのままテーブルの前に座っていた。
今日も一日頑張ったことだし、少しくらいは自分を労ってもいいだろう。神原は缶ビールに口をつける。飲み慣れた苦味が今日も喉を通って、心を癒やしていくようだった。
それでも、たとえ疲れていても、缶ビールが二本目に突入しても、神原はさほど眠くはなってはいなかった。かえって目は覚めてさえきている。
それは間違いなく今日がニューシングルの発売日だからだろう。メジャーデビューしてからもう何枚ものシングルを出しているのに、神原は発売日を迎えると、未だに気持ちが高揚してしまうのだ。
加えて、八千代からの売り上げの速報を伝えるメールを待ちわびていることも大きい。自分たちの今後の活動にも関わってくることだから、神原も売り上げを気にしないわけにはいかない。
八千代からのメールは、いつも夜の一一時を過ぎた頃に送られてくる。だから、その間の時間を神原はビールを口にしながら音楽を聴いたり、漫画を読むことで潰す。
それでも何をしていても売り上げのことは頭を過ってしまい、神原はそれを当然のことだと受け入れた。少しも意識しないことは、どだい無理な話だった。
神原の携帯電話が着信音を鳴らしたのは、夜の一一時を数分過ぎた頃だった。メールが来た知らせに、誰からのメールかは神原には開かなくても分かるようだ。
実際に確認してみると、それは想像した通り八千代からのメールで「『青してる』初日売り上げについて」と題されていた。
何度味わっても新鮮な、息を呑むような思いをしながら、神原はメールを開く。するとそこには、例によって短い挨拶ととともに、「青してる」の発売日初日の売り上げが記載されていた。
三三一三枚。メールに書かれていた売り上げ枚数に、神原は目と胸を撃ち抜かれる。それは紛れもなくChip Chop Camelのシングルの中でも、最高の初日売り上げだった。酔いが回り始めていたこともあって、神原はガッツポーズをすることに何のためらいもない。
正直、「メイクドラマ」のときは『全力で振りきって』のオープニング主題歌ということもあって、下駄を履かせてもらっていた感覚は、神原には否めなかった。その売り上げに肩を並べることは、決して簡単ではない。
だけれど、大きなタイアップのついていない「青してる」で「メイクドラマ」を超える初日売り上げを記録することができたのは、正真正銘自分たちの力だろう。「メイクドラマ」やセカンドアルバムである「秋の色彩」を経て、自分たちが着実に人気を拡大している証明が得られたようで、神原は達成感を覚える。再来週に予定されているGeek Tokyoでのワンマンライブにも、弾みがつくことだろう。
デイリーのランキングでも過去最高順位を記録したことも、神原の喜びに拍車をかける。買ってくれた一人一人に、面と向かって感謝の言葉を言いたいくらいだ。
八千代に「ありがとうございます! 嬉しいです!」といった返信を送ると、神原はその勢いのまま電話をかける。相手は、三人の中でも五十音順で電話帳の一番先に来る園田だ。
まだ起きていたようで、電話はすぐに繋がる。「もしもし」と口にした園田の声は弾んでいて、同じように八千代からのメールを目にしたことが、それだけで神原には分かった。
「やったな!」と、自分たちの功績を称え合う二人。この後に久倉や与木からも喜びの声が聴けるであろうことを想像すると、神原の胸は子供のように高鳴っていた。