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【小説】ロックバンドが止まらない(122)


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 保科と別れて家に帰った神原は、具体的な手立てを考える。それでも、頭に浮かんだ方法は一つしかなく、神原は縋りつくように、その場所に電話をかけていた。

 久しぶりに神原の方から連絡を入れたこともあって、電話に出た相手は驚いた様子を見せていたが、それでも予約状況を確認すると、水曜日の午前一〇時からがまだ空いているという。

 それを聞いた神原は、その次に八千代に電話をかけ、さらに園田たちにも続けて電話をかけた。練習スタジオを変更したいという神原の申し出に、四人も少し驚いた様子を見せていたけれど、でも神原がその貸しスタジオの名前を伝えると、園田たちは快諾してくれた。きっと三人とも、今の状況には思うところがあったのだろう。

 一度練習場所を変えてみるという提案は、神原が想像していたよりもすんなりと受け入れられていた。

 そうして迎えた水曜日は、一二月に入ったこともあって、冷え込みがぐっと増した肌寒い日だった。

 喉をケアしたり風邪を引いたりしないためにも、間際まで暖房と加湿の効いた部屋で過ごすのが得策だとは神原も分かっていたけれど、それでもいてもたってもいられず、目は目覚まし時計が鳴るよりも先に覚めて、矢継ぎ早に部屋を出てしまう。

 新宿・東京方面とは反対の中央線に乗るのも、神原にとってはずいぶんと久しぶりだ。そうして降り立った場所に、神原は目を細める。

 吉祥寺駅南口の光景は、最後に神原が訪れたときからほとんど変わっていなくて、まだ二年も経っていないのに神原は懐かしささえ感じていた。

 もう何度も歩いた道だから、神原の足は何も意識せずとも自然に動く。大通りを一本入ったところにあるビルは、神原たちが学生、そしてインディーズ時代にお世話になった貸しスタジオが入っている建物そのものだった。変わらない外観に、帰ってきたという感覚が神原にはある。

 でも、さすがに予約時間までは三〇分ほどあるからか、まだ誰も来ていない。少し気持ちが逸りすぎたようで、神原は三人がやってくるのをじっと待つ。

 幸い今は日が当たっていて、どうしても耐えられないほどの寒さではなかった。

 次にビルの前に人がやってきたのは、神原が到着して一〇分ほど経ったときのことだった。

 角を曲がって神原を見つけるやいなや、園田の表情は少し和らぐ。「おはよう」と挨拶を交わすと、園田はしみじみとした様子で、ビルの入り口に顔を向けていた。

「いやー、懐かしいね、ここ。最後に来たのって、インディーズのときだったから、もう二年も前になるのかな」

「ああ、そうだな。あっという間な気がしてたけど、でもこうやって懐かしく感じるくらいには、時間が経ってたんだなって思うよ」

「珍しいよね、泰斗君が練習場所変えたいって言い出すの。サニーのスタジオはタダで使えるのに」

「まあ、たまには環境を変えてみるのもいいんじゃないかと思ってな」

「そうだね」と返事をした園田は、わざわざ言葉にしなくても、神原の意図をはっきりと分かっているようだった。

 だから、神原も今日ここで練習する狙いをわざわざ説明しない。ここで練習をすることで、園田にも感じるものがあればそれで十分だろう。

「ところでさ、お前って今日練習終わった後、何か予定とかあったりすんのか?」

「いや、特にはないけど」

「そっか。じゃあ、よかったら一緒に飯でも食わねぇ? あとちょっと行きたいところもあるし」

「それって澄矢君や瞳志君も一緒?」

「いや、どうせなら二人で話したいなと思ってる。土曜からのレコーディングのこととか色々」

「なるほどね。分かったよ。また練習終わった後にね」

「ああ」と答えながら、神原はひとまず安堵にも似た思いを抱いていた。予定があると断られる可能性も考えていたから、受け入られて胸をなでおろす思いだ。

 でも、その前に今日の練習もしっかりとやらなければ。園田と話しながら、神原はそう決意を新たにしていた。

 久倉や与木も予約時間までにはやってきて、四人揃った神原たちは、貸しスタジオがある地下への階段を下った。

 受付に座っていた守山とも、神原たちは久しぶりに顔を合わせる。少し話していても、その印象は最後に会ったときと変わっていなくて、神原に戻ってきた感覚をよりいっそう強くさせた。

 鍵を渡されて、ドアを開ける。目に入った貸しスタジオの中は、神原たちが最後に訪れたときから時間を止めているかのように、何一つ変わっていなかった。サニーミュージック所有のスタジオより窮屈なことは否めないが、それでも中学時代から幾度となく入ってきた場所に、神原は久しく味わっていなかった安心感を抱く。

 園田たちも「懐かしい」と口々に言っていて、演奏する前から感慨に浸っているかのようだ。

 楽器をアンプに繋いで準備を整えた神原たちは、声をかけ合ってこの日の練習を始める。

 第一音を鳴らし出した瞬間に、普段使わせてもらっているスタジオとは、音の響き方がまるで異なることを神原は感じた。よりコンパクトな空間ということもあって、音が何度も壁に跳ね返り、立体的な響きを形成している。

 しばらく使っていなかったアンプから発せられる音像が、神原たちの心をぐっと昔に引き戻した。インディーズ時代、いや学生時代の感覚が蘇ってくるようで、回顧するような気持ちにも神原はなる。

 だけれど、自分たちの演奏は昔と比べて確実に上達していて、しっかりと今を表した演奏が、神原たちが積み重ねてきた日々を象徴する。自分たちが歩き続けてきたこと、前に進み続けてきたことが演奏から神原には分かる。

 それは園田たちも同様のようで、四人の演奏はここ最近で一番まとまっているように、神原には感じられた。園田のベースもいくらか躍動感を取り戻してきていて、わざわざ使用料金を払ってまでこのスタジオにやってきた甲斐があったと、神原はひしひしと感じていた。

 二時間の練習は、神原にはあっという間に感じられるほど、すぐに終わった。普段よりも短い時間の間に集中した練習ができて、神原には心地よい疲労感がある。

 園田たちも同じように感じていたのか、ビルから出たときには四人の間には清々しさが漂っていて、神原の選択がある程度功を奏したことを示していた。

 与木や久倉と別れて、神原と園田は駅前に向かう。

 南口を出てすぐのところに居を構えていた牛丼チェーンは、かつてこの貸しスタジオで練習をしていたときに、神原たちがよく訪れていた場所だ。園田と牛丼を食べたことも、神原には何度もある。

 店に入ってテーブル席につくやいなや、園田は「懐かしいね、ここ」と言っていて、それは神原にもまったく同感だった。

 少し話していると、注文した牛丼はすぐにやってくる。それを食べながら、神原たちは思い出話に花を咲かせた。そんなに昔のことではないはずなのに、目まぐるしく活動してきたからか、店の雰囲気も牛丼の味も神原にとっては、久しく味わっていなかったもののように思えた。

 牛丼チェーンで昼食を済ませても、神原たちはまだ別れなかった。練習前に話した「行きたいとこ」に向かう必要があったからだ。

 雲一つない青空が寒さを和らげている外を、神原たちは並んで歩く。そこへと向かう道中は神原にとっては全てが懐かしく見え、それでも少しずつ変化している光景に、あれから年月が経ったことを思わずにはいられない。

 神原がどこに向かおうとしているのか、園田は途中で勘づいたようだったが、それでも神原に向けて明言はしていなかった。わざわざ言葉にするのは無粋なことだと、二人ともが感じていた。

 井の頭通りを歩くこと一五分ほど。ビルも少なくなってきた街並みの中で、神原たちにはひときわ大きな建物が目に入る。

 神原たちが通っていた武蔵野第三高校の校舎だ。自分たちが卒業してから経った時間の分だけ年季が入った校舎を神原は想像していたのだが、たかが三、四年ではそこまで目に見える変化はなく、大らかな雰囲気で神原たちを迎え入れている。

 とはいえ、部外者である神原たちが校内に入るわけにはいかず、二人は校門の横に立って校舎を眺める格好になる。

 ちょうど午後の授業が始まったのか、校内は静けさに包まれていて、神妙な雰囲気に神原は背筋が伸びる心地がした。

「泰斗君が行きたいとこって、三高だったんだ」

 園田の口調は、感慨に浸っているかのようだった。神原としても想像以上の懐かしさに、感じ入るものがある。

「まあな。せっかくまたこの街に来たんだし、今どんな感じになってるか、見てみたかったからな」

「うん、私たちが卒業したときと何も変わってない。でも、その変わらなさがかえって懐かしく思えるよ」

「そうだな」そう相槌を打ちながら、神原は横目で園田の表情を窺う。目を細めている園田は、まるで在籍していた頃のことを、次から次へと思い出しているようだった。

「私たち、二年のときのクラス替えで一緒になって、そこで出会ったんだよね」

 しみじみとした口調で語る園田に、神原も頷く。ここはノスタルジーに浸るには最も適している。

「ああ。何の面識もなかったのに、お前がいきなり『バンドやってるんだよね!?』って話しかけてきたんだよな。あのときは本当に唐突だったからびっくりした」

「まあ、私もその前に組んでたバンドを解散したばかりで、バンドに飢えてたからね」

「そうだな。お前と出会って、その後に久倉とも出会って、それで俺と与木はまたバンドを組めたんだ」

「あのときは色々大変だったよね。特にバンドを掛け持ちしてた瞳志君のこととか。泰斗君ともちょっと喧嘩になっちゃったり」

「まあ今振り返ってみると、全員がガキだったからな。しょうがない部分もあったと思う」

「で、バンドで練習を重ねて、文化祭にも出て」

「あのときの緊張はヤバかったよな。全員が初めてのライブにガッチガチになってた」

「そうそう。でも、瞳志君が笑い飛ばしてくれたことで、少し和んだんだよね」

「そうだったな。で、文化祭を終えてオリジナル曲を作り始めて。思えば、高二からはほとんどバンドしてた記憶しかない」

「そうだね。受験勉強も途中までしてたけど、それでもバンドで食べていくって決めて。で、今の私たちは必ずしも余裕があるとは言えないけど、それが実現できてる。高校のときの私たちに伝えたら、『本当に!?』って驚くだろうね」

 言葉を交わす二人を、校舎は鷹揚に見守ってくれている。車や人の往来も今は少なく、神原には自分たちが外の世界から切り離されているような感覚さえあった。心のつかえも取り去られていく。

「俺はさ、お前のこと信じてるから。Chip Chop Camelのベースはお前しかいないし、これからのレコーディングやライブにも、万全の状態で臨んでくれるって信じてるから」

 かねてよりかけていた言葉を、これ以上ないほどの純度で神原は伝える。園田の横顔がかすかに緩んだように、神原には見えた。


(続く)


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