【小説】ロックバンドが止まらない(117)
スノーモービルの三人は、まずは神原もスプリットツアーで聴いたことがある曲を中心にライブの序盤を進めていた。それでも、耳馴染みがあるはずの曲もこの日の神原には、以前聴いたときとは少し異なって聴こえる。
きっとそれはスプリットツアーのときよりも小規模なライブハウスで演奏しているから、音の反響の仕方も違っていたのだろうけれど、三人の演奏のレベルが上がっていることも見過ごせないだろう。
由比がしっかりと地に足が着いたビートを刻み、ベースの小日向(こひなた)が安定したリズムを奏でながらも、時折効果的なフレーズを挿入する。しっかりとした土台に支えられて、中美も生き生きとしたギターを弾き、歌も低音部と高音部の両方が十分に出ている。
一人一人の演奏は着実に上達していて、それが違和感なくまとまっているから、神原は三人がきっと多くの練習を積んできたのだろうと、思いを馳せた。自分たちも進歩しているが、スノーモービルも同様に先に進んでいて、それはおそらくショートランチも同じだろう。
誰にとってもスプリットツアーは貴重な経験になったようで、スケジュールはタイトだったけれど開催した意味は、全員に確かに存在しているようだった。
この日はスノーモービルのワンマンライブだったから、当然三人はスプリットツアーで演奏しなかった曲も、多く披露していた。
その中には先週リリースしたばかりのシングルに収録されている曲もあったが、神原にはその全ての曲の名前がちゃんと分かっていた。今日に至るまで、スノーモービルが出したCDは最新シングルも含め、全て聴いてきている。
少し前までなら聴く気にもならなかっただろうけれど、それでも悪い意味でのプライドは神原の中から姿を消しつつあった。ワンマンライブに行くからには曲を予習して臨むべきで、それを今の神原は、当然のように行えるようになっていた。
だから、どんな曲が演奏されても一つ残らず「この曲知ってる」と思うことができて、それは神原の気分を盛り上げることに大きく貢献していた。一度聴いた分リズムにも問題なく乗れて、楽しいという感情が顔を出してくる。曲が披露されるたびにフロアに増していく高揚感も、そのことに拍車をかけていた。
次々に演奏される曲に神原が耳を委ねていると、時間はあっという間に経って、気づいたときにはライブも終盤に差しかかっていた。
メンバー紹介を経て、中美が代表して「今日を迎えられて嬉しい」「これからもよろしくお願いします」といった心のうちを吐露すると、三人はラストスパートだというように演奏を再開させる。
中美のギターのリフから始まった曲は、彼らのメジャーデビュー曲である「五月雨テールライト」だった。シンプルなエイトビートがフロアを弾ませる。スプリットツアーでも全てのライブで演奏していた彼らの代表曲だから、神原もよく知っているメロディに、何の躊躇もなく身を委ねることができる。他の多くの観客と同様に、サビで腕を振り上げたくなったほどだ。
規模は大きくないとはいえ、三人は密度の高いライブを展開していて、神原の心はわずかに勇気づけられる。負けたくないというプライドは健在でも、三日間とはいえ一緒にツアーを周ったからか、三人に対して仲間意識みたいなものも、神原には芽生え始めていた。
三人は最後まで駆け抜けるかのように、終盤にはスピード感のある曲を立て続けに披露していた。その姿に疲労の色は見られなくて、神原も純粋に曲を楽しむことができる。
一つ前のライブMCから数えて四曲目を披露した三人は、音源通りに曲を終わらせず、しばらくそのままそれぞれの楽器を鳴らし続けていた。そこからもうライブが終わることが神原には察せられ、実際に中美はギターを鳴らしながら「今日はありがとうございました! スノーモービルでした!」と観客に呼びかけている。
手を叩きながら応える観客は、それこそもう一つの楽器のようだ。
三人は楽器を鳴らしながら向かい合うと、由比のドラムに合わせて、一斉に演奏を終えた。「ありがとうございました!」と改めて言う中美を含めた三人に、この日一番の拍手が送られる。三人がステージに登場したときとの音量の差は、今日のライブの充実度を物語っているかのようだ。
暖かくも盛大な拍手を受けながら、三人はステージを後にする。それからもしばし鳴っていた拍手は、そのままスムーズに手拍子に移行する。少しずつ速くなったり遅くなったりを繰り返す手拍子を、神原はミネラルウォーターを飲んで一息つきながら聴く。
隣では園田や辻堂が他の多くの観客と同じく手を叩いていたが、それは神原がそうしなければならない理由にはならない。もうここで帰ってしまうことだってできる。
それでも、神原はゆっくりと手を叩き始めていた。三人がアンコールでどんな曲を演奏するのか、神原には単純に興味があって、それは今日の三人のライブが神原の心を少なからず動かしたことの裏返しだった。
スノーモービルのワンマンライブはダブルアンコールまでを演奏しきって、盛り上がりを見せたまま終わっていた。
他の多くの観客と同じように、神原も今の三人のベストと言えるようなライブを見られて、少なからず満足感がある。ライブハウスを出て感じた外の空気も、どこか清々しい。
今日はこれで解散。もしくは三人でどこかに夕食を食べに行く。そう予測していたからこそ、辻堂が「二人とも打ち上げ行くよね?」と言ってきたときに、神原は軽く意表を突かれた。
何でもライブの前に連絡をして、来てもいいという許可を貰っているらしい。そう説明されると、行かなければ損な気がして、神原は園田とともに頷いていた。
中美たちに今日のライブの感想を伝えたい思いも、神原には少なからずあった。
近くの立ち食いそば屋で、軽く時間を使いつつ腹を満たした神原たちは、辻堂を先頭に打ち上げが行われる居酒屋チェーンへと向かった。
一〇分ほど歩いて神原たちが店のあるビルの前に到着しても、スノーモービルの三人はまだ来ていなかった。それでも、待っている間も園田や辻堂と話していると、神原は退屈には感じない。
やがて三人にblue clothのスタッフと思しき数人を加えた集団が、ビルの前にやってくる。三人は神原たちを見つけると明るい表情をしていて、それが神原に今日のライブで三人が得た手ごたえを感じさせていた。
エレベーターで六階に上って店内に入ると、神原たちは一〇人掛けの座敷席に通された。神原たちもちょうど一〇人だったから、敷かれた座布団に全員がすっぽりと収まる。
中美たちが予約したのは二時間の飲み放題コースだったようで、神原たちは席に着くやいなやまずドリンクを注文した。辻堂を除く全員が一杯目にはビールを頼んでいて、その一致が神原にはどことなくおかしい。
間もなくして中ジョッキに入ったビールとウーロン茶が人数分運ばれてきて、それが全員に行き渡ったことを確認すると、中美が音頭を取って神原たちは一斉にグラスを突き合わせた。
小気味いい音が響き、中ジョッキを傾けると喉を通る感触に、自分は何もしていないのに神原は錯覚のような達成感を抱く。一口飲んだ三人も、まだ熱に浸っているかのような表情をしていて、今日のライブが成功したことは座敷席に流れる雰囲気から、誰の目にも明らかだった。
「中美君、由比君、今日はお疲れ。ライブ良かったよ」
辻堂が正面に座る由比と、その隣に座っている中美に声をかけたのは、打ち上げが始まって間もないタイミングだった。辻堂の隣に座る神原も、視線で同意していることを伝える。
四人の隣にいる園田や小日向は、今はblue clothのスタッフと話している最中だった。
「ああ、ありがとな。俺たちもちょっとずつワンマンの経験積んできてるから、今日は今まででも一番のワンマンができたと思う」
「そうだね。私も中美君たちのライブは何回か見てるんだけど、今日はそのどれとも違う新鮮な感動があった。演奏が上達してるのはもちろんのことだし、お客さんを乗せる術も心得てきてるような、そんなライブだったよ」
「まあ、俺たちだって何回もライブしてきて、その度に試行錯誤してるからな。その成果を今日っていう大事な日に発揮できて、本当によかったなって思ってる」
「うん。中美君の歌には勢いがあったし、ギターもスプリットツアーで見たときよりもグッと上手くなってた。由比君のドラムも的確ながら盛り上げるところは盛り上げてたし、小日向君のベースだってちゃんと全体を支えながら、時折見せる主張が印象的だった。三人の演奏もがっちりと噛み合ってたし、見る度に良いバンドになってるなって感じるよ」
「ありがとな。辻堂にそう言ってもらえると嬉しいわ。まあ褒めちぎられて、ちょっと恥ずかしくもあるけれど」
「そうそう。ところでさ、神原。お前は今日のライブどう思った?」
辻堂の言葉にわずかに頷くことに終始していた神原は、由比にそう話を振られると、少し言葉に詰まってしまう。
でも、それは本当に一瞬のことで「そうだな」と軽く前置きをすると、スルスルと言葉が出てきた。
「良いライブってのが、金を貰うに値する演奏をして、観客に満足して帰ってもらうのを言うんなら、今日のライブは間違いなくそれに当てはまっていたと思う。あくまで俺はだけど正直、想像していたよりもずっと楽しかった。曲が演奏されるごとに、目の前で鳴らされてる音楽のことしか考えられなくなってた。それはきっと他の観客も同じだったと思うぜ。じゃなきゃ、ダブルアンコールまで要求してこないからな」
神原の言葉に、嘘偽りは一つもなかった。もちろんスノーモービルに対して負けてはいられないという気持ちはまだ持ち続けているが、それもちゃんとスノーモービルのことを認めての前向きな感情に姿を変えている。
一方的な敵ではなく、良いライバルという認識になったとも言えるかもしれない。
「そっか。いや、ありがたいのはもちろんなんだけどさ、でもお前がそう言うのが何か少し意外だよ」
「そうか? 俺はただ思ったことを言っただけなんだけど」
「いや、口ぶりからそうなんだなってのは分かるよ。でも、そこまで褒めてくれるとは思ってなかった。だって、スプリットツアーのときのお前って、こう言っちゃなんだけどピリピリしてたじゃんか。まるで俺たちやショートランチと周るのが不満みたいに」
「別にそんなことはなかったと思うけどな」
「いや、そうだって。だってお前、自分から俺たちに話しかけてきたこと、三日間で全然なかったじゃんか。打ち上げのときも態度に棘があったし。誰とも馴れ合いたくないって言ってるようだった」
「ま、まあ俺たちにとっては、スプリットツアーでも初めてのツアーだったからな。日程もタイトだったし、余裕に欠けてたっていうのはちょっと認めるよ」
「そっか。まあ俺たちも東京以外でライブするの初めてだったし、同じように感じていた部分もあったと思う。でもさ、それにしたってちょっと冷たすぎる気はしたかな。俺たちのことが嫌いなのかなとさえ思ったから」
「それ、私も。名古屋のライブの後に、偶然ご飯屋さんで神原君と一緒になったんだけど、なんかつんけんしてた。せっかく一緒にツアー周ってるんだから、私としてはもっと気兼ねなく話したかったんだけどな」
「それはまあ悪かったよ。今だから言うけど、たぶんそのときの俺は焦ってたんだと思う。このツアーを成功させて人気を拡大しなきゃ、お前らにも負けてないライブをしなきゃって、ライブを楽しむどころじゃなかった。もっと気楽に構えていてもよかったなって、今は思うよ」
「そうだろ? もちろん俺たちも緊張はしてたけど、でもお前らや辻堂たちもいるって思ったら、少しは気が楽になってたよ。全部が自分たちの責任になるワンマンじゃないんだなって」
「まあ、その言い方はちょっとどうだろとは思うけど、でも私も神原君たちや中美君たちのライブが見れて楽しかったよ。ワンマンじゃ味わえない経験ができた。ねぇ、またこの三組でなんかライブとかやりたいよね」
身を乗り出すように言った辻堂に、中美や由比はすぐに「そうだな」と頷いていた。神原も少し遅れて「ああ」と言う。またショートランチとの差を思い知らされるのかと一瞬感じたが、それでも自分たちも進歩しているのだから少しでも差は縮まっているはずだと思い直す。
それに、自分たちの人気だけではまだ埋められないキャパシティの会場でライブをすることは、神原たちにとっては他では得難い経験だった。
「じゃあ、また対バンできるその日までお互いに頑張ろう。曲作ってライブやって。成長した状態で、また共演しようね」
真っすぐな目をした辻堂に、今度は神原も中美や由比と一緒に頷くことができた。自分たちがバンドを続けていくうえでの目標が、また一つ増えたようだ。
blue clothのスタッフとの話がひと段落ついた園田や小日向も、四人の話に加わってくる。
座敷席には健やかな空気が漂っていて、酒が進んでいることもあって、神原はいくらか自然体に近い状態でいられた。