スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(200)
前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(199)
校庭に植えられた桜の木々は小さなつぼみをつけて、間もなく訪れる咲き誇る日をうずうずと待っている。晴れ渡った空は見上げるだけで眩しく、晴明たちがいる体育館にも暖かな日差しを届けてくる。
気温が上がったこの日は朝から暖房いらずの暖かさで、生徒たちは誰一人として寒さに震えることなく、そのときを待つことができていた。
壁に張られた紅白幕に、壇上に誂えられた花飾り。体育館を構成する全ての要素が、今日という日の特別さを際立たせていて、晴明だけでなく体育館にいる全員が息を呑んでいた。
「一同、起立」の声に全員が立ち上がる。そして、司会者の声に倣って、中央を向いた。入り口から伸びる通路が、しんとした静けさを帯びている。今日の厳かさを強調するかのように。
「卒業生、入場」
そう司会者が言うやいなや、壁際にいる吹奏楽部が「威風堂々」を奏で始めた。やはりまだあまり上手いとは言えないが、それでも体育館の雰囲気を高めることには成功している。
まず入ってきたのは、三年A組の生徒だった。一歩一歩を確かめるかのように、ゆっくりと歩く卒業生たち。
クラスの男子の中でも晴明は一番背が低かったから、前方にある自分たちの席に向かっていく卒業生の顔を、間近で眺めることができた。緊張した顔をしている者。凛々しい表情をしている者。果ては少し眠そうにしている者など、その姿はまさに千差万別だ。
だけれど、一人残らずしっかりと前を見据えていたから、晴明は控えめな拍手をしながら、面識のない学生にも誇らしさを感じることができた。彼ら彼女らが三年間を無事に終えて卒業できることが、喜ばしいことだと単純に思えた。
ゆっくりとでも着実に卒業生たちは自分たちの席についていき、三年C組が入場する順番になった。佐貫と泊が所属しているクラスだ。
一人、拍手の音量を上げることは晴明には憚られたけれど、心では精いっぱいの敬意と感謝を持って手を叩く。
晴明の前を通った佐貫は精悍な表情をしていたけれど、少し寂しげな影みたいなものも晴明には見て取れた。卒業するのが口惜しく感じられるほどには、上総台高校に愛着を持っていたことが窺える。
後に続いた泊も小さめの歩幅から少し緊張しているのが分かって、今日は先輩たちの三年間を称える日だからそんなに気負わなくてもいいのにと、晴明は言いたくなる。体育館に流れる曲のように、もっと堂々としてほしいと手を叩きながら思った。
卒業生の入場が終わると、立ったまま国歌と校歌の斉唱に入る。吹奏楽部のこの日のために練習したことが窺える伴奏に合わせて、声を合わせる一同。
国歌はともかく、校歌は晴明には入学式以来歌ったことがない。だから、視線は自然と壇上の横の壁に取り付けられた、校歌の歌詞に向いてしまう。
たどたどしく歌う晴明。それは他の生徒も同じで、自分たちだけではなく、卒業生までもが視線を一点に集中させているようで、晴明には少しおかしくも思えた。
歌い終わって着席すると、いよいよ卒業式のメインである卒業証書授与だ。
とはいっても、上総台高校は一学年あたり六クラスがある。それぞれ三〇人ほどが在籍しているから、たとえ一分に三人のペースで卒業証明書を授与しても、全員が受け取り終えるまで優に一時間はかかってしまう。
だから、上総台高校の卒業式は各クラスの代表者一人が壇上で卒業証書を受け取って、卒業式が終わった後にそれぞれのクラスで改めて、全員に卒業証書を授与するという形を採っていた。
各クラスを代表して壇上に上がった生徒を晴明は一人も知らなかったけれど、それでも事前に練習を積んできただけあって、何百人が見ている前でも動きに澱みはない。
堂々とした姿に晴明は、佐貫や泊を重ね合わせる。二人はどんな顔をして、教室で卒業証書を受け取るのだろう。
願わくば、かけがえのない三年間だったと晴れやかな表情をしていますようにと、晴明は思わずにはいられなかった。
校長である陸奥が祝辞を述べ、在校生代表の二年生が送辞を贈る。「君たちには大きな可能性が広がっている」や「皆さんと一緒に過ごせた日々は私たちにとっての宝物です」といった言葉たちは、ある程度はテンプレートに沿ったものだったけれど、素直に感動している自分がいることも晴明は自覚していた。
佐貫や泊だけではなく卒業生全員の未来が幸せなものであってほしいという思いは同じだったし、佐貫や泊と一緒にいた時間はとても濃密で、他では得難いものだったという実感もある。
だから、晴明は少し形式ばった挨拶も、聞き流すことはしなかった。自分の気持ちを言葉にしてくれていると感じていた。
卒業生答辞で壇上に立った卒業生代表は、やはり晴明が知らない学生だった。長い髪を後ろで束ねた女子学生が答辞の書かれた紙を広げて、マイクに向かって話し出す。「保護者の方や先生方、同級生や下級生など、私たちに関わってくれた全ての方々に感謝しています」や「私たちはこの学校で多くのかけがえのない経験をすることができました」といった確かなぬくもりがある言葉が、明快な声で語られる。
晴明にはそれが佐貫や泊から自分に向けられた言葉だと、錯覚するようだった。普段は恥ずかしくて言えないような卒業生全員の思いを、女子学生が代弁しているかのように感じられた。
「これからも私たちは、この学校で得た数々の経験を胸に未来へと進んでいきます」と締められた答辞に拍手はない。だけれど、晴明は心の中で確かに手を叩いていた。
卒業式の最後に生徒全員で歌った曲は、晴明が中学校の卒業式で歌ったのと同じ曲だった。定番とも言える曲を音楽教師の指揮に合わせて歌う。
去年は自分が卒業生なのに感慨深さがなかった曲が、今の晴明には胸にこみ上げてくるものがあった。自分が卒業するわけでもないのに、心が震えているのを感じる。
それは間違いなく、佐貫や泊に出会えたからだろう。全校生徒での合唱はお世辞にも上手いとは言えなかったが、その不器用さがかえって胸に響く。
二年後には自分も笑顔でこの曲を歌えるようになっていたいと、卒業生たちの後ろ姿を見て晴明は思った。
陸奥が閉会の言葉を告げると、長いようで短かった卒業式は終わった。晴明たち在校生は今一度立ち上がり、中央を向く。
吹奏楽部が再び「威風堂々」を奏で、卒業生はゆっくりと退場を始めた。一歩一歩を踏みしめるかのような確かな足取りに、晴明も小さかったけれど心からの拍手を送る。一人一人の顔をまざまざと見ていると、こみ上げてくるものはより大きくなった。
佐貫が誇らしげな表情で、目の前を通り過ぎていく。泊が充実した顔で、出口に向かっていく。
晴明はそれを脳に焼きつけるかのように、目を凝らした。今日が終わったら、また毎日のようには会えなくなってしまう。だからずっと忘れないように、二人の姿を胸に強く刻んだ。
卒業式が終わった後は、在校生は各クラスでホームルームを行ってから下校となる。卒業生のホームルームは卒業証書授与もあり時間がかかるから、それを待ってもいいし、もちろんすぐに帰ってもいい。
だけれど、教室には生徒たちをこの場に留めようとするかのような引力が働いていて、なかなか帰り出す者はいなかった。桜子も友人と話している。
晴明は少し手持ち無沙汰な時間を過ごしつつも、頃合いを見て桜子に声をかけて、一緒に教室を後にした。一年が終わる名残を惜しむかのように、校舎はまだ生徒たちの話し声で溢れている。
晴明たちは昇降口を出ると、校庭の方へ折り返していた。
ドアノブを握ったとき、アクター部の部室の鍵はすでに開いていた。晴明たちが中に入ると、先に来ていた渡と成、芽吹が迎えてくれる。軽く挨拶を交わしたときから、晴明の視線は机の上に向く。
そこにはトータルくんの着ぐるみが置かれていた。薄黄色の身体に緑色の甲羅。横に長い胴体に、本物の亀のように短い脚。真円の目が、晴明たちにじっと向けられている。
晴明は周囲に伝わらないよう息を呑んだ。トータルくんは練習では何度も着ているけれど、人前に出るのは今日が初めてだ。いくら今までの経験があっても、緊張せずにはいられない。
それでも渡たちは穏やかな顔を晴明に向けていて、話しているうちに晴明の心は次第にほぐれていくようだった。
五人で少し雑談をしていると、やがてどこからともなくスマートフォンが鳴った。それは成のスクールバッグからで、スマートフォンを取り出した成は「佐貫先輩ととま先輩のクラス、ホームルーム終わったって」と嬉しそうに告げる。
それを合図にして、晴明は渡たちにも手伝ってもらいながら、トータルくんを着始めた。
昇降口から校門の間にいる卒業生をはじめとした生徒たちの前に登場して、三年間の高校生活を労い、明るく送り出すようにグリーティングをする。それが、この日のアクター部の活動内容だった。
部室棟から昇降口までは少し距離がある。加えて、トータルくんは足があまり長くないから、その分歩幅も短い。だから昇降口に辿り着くまででも、晴明には一苦労だった。桜子に手を引かれながら、地道に歩いていく。
その間も晴明の心臓は、少しやかましいくらいに鳴っていた。ほとんど面識はないとはいえ、同じ校舎で学校生活を過ごした生徒の前に出るのは、ライリスや他の着ぐるみとはまた違ったドキドキがある。
トータルくんが浮いてしまわないか、うまく場に馴染めるかどうか、不安が顔を覗かせていた。
でも、校舎の角を曲がって昇降口付近で別れを惜しんでいる生徒たちの前に姿を現すと、何人かの生徒が目に見えて色めきだった。
晴明が近づいていく前から、こちらに向かってきてくれている。黄色い声を上げたり、積極的に触れてきてくれる姿はとても楽しげで、晴明は自分の心配が杞憂だったことを知った。
もともとキャラクターが好きでも、自分の学校のマスコットは少し恥ずかしさを感じてしまうことだろう。でも、そんな素振りは見せずに生徒たちは触れ合ったり、集合写真を撮ったりしている。きっと卒業式の特別な雰囲気が、彼ら彼女らのタガを外しているのだろう。
想像以上の歓迎に、晴明も元気のいい動きで応える。卒業生たちの最後の思い出作りに貢献できている感覚に、かすかに頬が緩んだ。
晴明は少しずつ、昇降口から校門の方へと向かっていく。今日という日を噛みしめているたくさんの生徒たちの間を、ゆっくりと進んでいく。もちろん、握手や記念撮影を求める生徒には、その都度立ち止まりながらだ。
トータルくんに好意的に近づいてくれる者、恥ずかしそうにグータッチや手を振るだけで留める者、はたまた全く関心を示さない者。
生徒たちの反応は様々だったが、晴明はその全てを肯定したくなった。もう帰ってしまった生徒も含めて、あなたはあなたのままでいいと伝えたくなる。
当然声に出すことはしないけれど、それでも胸いっぱいの感謝と労いを、晴明は身振り手振りに託した。それが伝わったのか、トータルくんと触れ合った生徒は皆、明るげな顔をしていた。しんみりとした空気よりも、爽やかな空気が校内には漂っていた。
気分をよくした晴明は、ちょうど中頃で固まっているとある一団へと向かっていった。ほとんど会ったこともない生徒たち。
でも、晴明がその一団を選んだのは、その中に佐貫がいたからだった。
高校生活が終わった解放感が、気分をよくさせているのだろう。彼らは温かくトータルくんを迎え入れてくれた。触って触れて心を通わせる。
晴明のことは知らなくても、佐貫の後輩が入っていることは分かったのだろう。彼らは優しくトータル君に接してくれた。佐貫も頭をなでたり、握手をしたりしてくれている。
着ぐるみを着た状態で佐貫と触れ合う機会はこれからもあるかもしれないけれど、今日で一区切りがつくのは間違いない。晴明は特別なことはせず、いつもよりも大らかさを意識した動きで応える。嬉しさと寂しさが一気に押し寄せてきて、晴明の胸を満たした。
佐貫たちから離れても、晴明は生徒たちとのグリーティングを続けていく。気前よくトータルくんに接してくれる生徒たち。
その中には、泊とその友人と思しき女子学生たちもいた。泊も万感の思いを込めるかのように、丁寧にトータルくんに接してくれて、晴明は胸がすくような思いがした。東京に行ってしまうからなかなか会えなくなることが、口惜しくも感じられる。
それでも、晴明は明るく振る舞うことに努めた。めでたい今日の日を、少しでも華やいだものにしたかった。賑やかでもどこか寂しさを纏った空気は、単なる一活動以上の意味を晴明に与える。
無事卒業の日を迎えて上総台高校から巣立っていく卒業生を明るく送り出すことができて、晴明は誇らしくなっていた。
(続く)
次回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(201)