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【小説】ロックバンドが止まらない(115)


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 九月に入ったその日に開催されたライブイベントへの出演も終えると、神原たちは日ごとにニューシングルをリリースする態勢を整えていく。新しいアーティスト写真の撮影やミュージックビデオの撮影に加え、取材などのプロモーションも入るようになる。

 それら一つ一つを着実にこなしながら、同時進行でニューシングルのリリースを記念したワンマンライブに向けて、神原たちはバンド練習も積んでいた。

 毎日何かしらの予定が入っていて、神原には充実感がある。今もアルバイトを続けていたら、こうはいかないだろう。

 園田たちも忙しい日々にも弱音を吐くことなく、練習に取り組んでいる。スタジオで重ねる演奏は、メジャーデビューをしたての頃よりも着実に上達していて、自分たちが一歩ずつでも前に進んでいることを、神原は実感できていた。

 それでも、バンドを続けることが、モノ作りをし続けることが、必ずしも楽しいだけとは限らない。

 その日、午後の三時にバンド練習を切り上げた神原は、家に帰ってくるやいなやパソコンに向かっていた。まだ暑さが残る部屋の中で、一人頭を捻り続ける。

 来週に行われるレコーディングに向けて、歌詞を書かなければならなかったためだ。

 来年二月に発売予定のシングル「メイクドラマ」。そのカップリング曲の提出締め切りは、早くも明日に迫っていた。三曲収録予定で「メイクドラマ」は既にレコーディング済みだし、もう一曲も既に完成している。

 だけれど、最後の一曲の歌詞だけが、神原にはどうしても書けていなかった。四人での編曲も完了しているのに、歌詞だけが今日まで手つかずのままだ。明日は朝から一日取材が入っていることを考えると、何としても今日中に歌詞を書き上げなければならない。

 神原はパソコンに取り込んだデモ音源を、何度も再生する。ハミング程度だがメロディもできている。

 だけれど、そこにどんな言葉を当てはめるべきか、神原はまだとっかかりが掴めていなかった。何も思いつかないままデモ音源を聴き続けていると、悶え苦しむかのような感覚さえある。

 何一つ打ちこめないまま、パソコンの前に座ること数時間。外はいつの間にか日が沈んで、夜になっていた。

 デモ音源をもう三〇回は聴いたただろうか。神原の胃は、腹の虫を鳴らした。

 そこで神原の集中もふと途絶え、夕食にしようと思い立つ。外に出るのも億劫だから、カップラーメンで済ませよう。

 そう思って、神原が立ち上がったそのときだった。充電器に繋いでいた携帯電話が、着信音を鳴らしたのは。

 画面には「辻堂」と表示されている。以前、簡単な用で一度電話がかかってきたことがあったから、神原も番号を登録していたのだ。

 それ以来電話はかかってきていなかったのだが、いったい何の用だろうか。気になった神原は、携帯電話を手にした。

「あっ、もしもし神原君、今って時間大丈夫?」

 あっさりとした辻堂の声に、神原も「ああ、大丈夫だけど」と頷く。数分くらい夕食を先延ばしにしても、腹は持ってくれそうだった。

「ありがと。でさ、いきなりなんだけどさ、スノーモービルが昨日ニューシングルをリリースしたよね? 神原君、聴いた?」

「いや、まだ聴いてない」

「そっか。まあ神原君たちも色々忙しいよね。それでなんだけどさ、来週の一四日に新宿のblue clothでそのレコ発ライブがあるんだけど、神原君よかったら一緒に行かない?」

 スノーモービルがその日ライブをすることさえ知らなかった神原には、辻堂が口にしたことが突拍子もなく感じられた。思わず「は?」という声が、喉元まで出そうになる。

「いや、なんで俺を誘うんだよ。他に誘う奴いないのか?」

「ああ、それなら大丈夫。瀬奈ちゃんも行くって言ってるし」

「いや、俺の前にまず平井や保科を誘うべきだろ」

「うん。私もそう思って声をかけたんだけど、その日は別に予定があるって断られちゃった」

「何だよ。お前ら、仲悪いのか?」

「いや、別にそんなことはないと思うけど。まあそれはさておいてさ、神原君一緒に行かない? 二人よりも三人で行った方が楽しいでしょ?」

 ここでにべもなく断ることは、神原には気が引けた。九月一四日は平日だ。きっと夜の時間帯のライブになるだろう。

 そして、その時間帯には現時点で、神原にも予定は入っていない。だから、「俺も用事があるんだけど」と嘘をつくことは、神原にはすべきではないことに思われる。

「そっか。まあ考えとくよ」

「ありがと。じゃあ予定が分かったらまた連絡ちょうだいね」

 辻堂の言い方は少しだけ押しが強かったけれど、それでも神原は「ああ」と頷くことができた。行くにせよ行かないにせよ、スノーモービルのライブがあることは頭に入れておいても、別に損はしないだろう。

 神原は、用件はもう伝え終わったから、辻堂が「じゃあね」と電話を切ることを予想した。

 でも、辻堂はまだまだ話し足りなかったようで、「それでどうだった? 神原君。千葉でフェスに出てみて」とおもむろに訊いてくる。それがBRAND―NEW MUSIC FESTIVALを指していることは、神原も聞いた瞬間に分かる。

「ああ、めちゃくちゃ暑かったよ。真夏の一二時なんてライブをするような時間帯じゃねぇな。屋根はあったけど、汗をダラダラかいて。夏フェスでの演奏って、こんなに大変なんだって思った」

 そう答えると、辻堂は「まあ、それは確かにね」と小さく笑っていた。ショートランチだって当然夏フェスへの出演経験はある。辻堂はバンドの中でも一番単純な運動量が多いドラムを担当しているから、なおさらだったのだろう。「私もライブが終わって真っ先にシャワー浴びたいって思ったもん」と続けていて、その言い方は神原にも少しおかしかった。

「でも、楽しかったでしょ? ライブハウスとはまた違った開放感があって」

「まあ、それはな。もちろん演奏しながらずっとあっついなとは思ってたんだけど、それでも気持ちよく感じられる瞬間は何度かあった。客席も曲を追うごとに盛り上がっていってたし、これでもうちょっと涼しければ、何も言うことはないなって思ったよ」

「そうだね。まあフェスは夏だけじゃないから。特にこれから一ヶ月の間のフェスは気分いいよ。私たちも出たことあるけど、山間だったこともあって、空気が澄んでて涼しい風が吹いてて。すごくやりやすかった」

「そっか。俺も今度はそういう時期のフェスに出てみてぇな」

「うん。神原君たちなら、すぐに出られるようになるよ。少しずつリスナーの間でも広まっていってると思うし。来月にはまたニューシングル出すんでしょ?」

「ああ、九日な。今はプロモーションとか。その先のワンマンライブに向けて練習したりしてるよ」

「そんなに精力的に活動できるなんてすごいじゃん。前のシングルもよかったし、今度のシングルも楽しみだな」

 そう言う辻堂たちショートランチも、神原たちと活動のペースは大して変わっていない。傍から見たら辻堂の言い方は、上から物を言っているように見えるかもしれない。

 それでも、神原は以前ほどには目くじらを立てなくなっていた。辻堂が純粋に自分たちの新曲に期待していることは、これまでのわずかな付き合いの中で、神原には分かってきている。だから、「ああ、ありがとな」と感謝の思いを口にすることができた。

 それどころか「でも、お前らだってコンスタントにリリースしてじゃんか。聴いたぜ、『再生力』」と自分から話題を振ることさえできる。顔見せライブのときからは考えられないような変化だ。

「そう! ありがとう! どうだった!?」

「いや、良いアルバムだなって思ったよ。一曲一曲に力があって、アルバムを通しての流れも綺麗で。サウンド的にも新しいことをしてるのは分かったし、それでいて『カミナリ』で見せたショートランチらしさは、少しも失われてない。多くの人に広く聴かれるようなアルバムだなって思った。ちょっと悔しいけど」

「そっか。なんか同業者の神原君にそこまで言ってもらえると照れるなぁ。もちろん自信はあったんだけど、そこまで褒めてもらえるとは思ってなかった」

「ああ。聴き終わったときは、俺たちももっと頑張んないとなって感じたよ。曲のクオリティで劣ってるとは思ってないけど、それでもお前らの人気を追い越せるように」

「うん。まあ私たちもまだまだなんだけど、それでもこれからもお互い頑張ってこうね。まずは神原君たちの来月のシングル、私も発売日に買わせてもらうよ」

 武道館ライブを来年に控えているというのに、「まだまだ」と言うのは自分たちへの嫌味か。以前の神原なら間違いなくそう感じていたことだろう。

 それでも、今の神原はいくらか微笑ましくさえ思える。辻堂に発破をかけられて、「ああ、ありがとな」と率直な言葉が口をついて出る。自分たちのCDを買ってくれることは、誰であっても変わらずに感謝できることだった。

 それからも、神原たちは言葉を交わす。でも何気ない話をしている間も、神原の頭は懸念を感じ続けていた。辻堂と話していても、事態は一向によくなっていない。

 そして、それは「じゃあ、そろそろ切っていい?」と辻堂が言った瞬間に、神原の口からこぼれ落ちた。「あのさ、最後に一つだけいいか?」と言うと、辻堂も「うん、いいよ」と了承してくれる。

 少し迷ったのちに、神原は思い切って続けた。

「お前らってさ、三人とも歌詞書いてんだよな?」

「うん。そうだけどそれがどうかしたの?」

「辻堂ってさ、普段歌詞どんな風に書いてんの?」


(続く)


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