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【小説】ロックバンドが止まらない(112)


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「いや、お前なんで来てんだよ」

「えっ、瀬奈ちゃん、私が行くこと神原君に言ってなかったの?」

「あっ、そういえば言いそびれてた」

「何それ酷いー。まあ別にいいんだけど」

 平井は頬を緩めていた。「ここ座っていい?」と訊かれれば、神原も拒絶するわけにはいかない。平井は神原たちのテーブルに座ると、やってきた店員に生ビールの中ジョッキを頼んでいた。

 ビールが届く前に少し話した限りでは、やはり平井はここに来る前に、夕食を済ませてきたらしい。「なかなか料理来なくて遅くなっちゃった」とはにかむ姿に、神原は嘘を感じなかった。

「二人とも、改めて今日のライブお疲れ様。いや、良かったよ。私Chip Chop Camelのワンマン初めて見たんだけど、どの曲も楽しい本当に充実したライブだった。スプリットツアーのときから、着実に進化してたね」

 三人で改めて乾杯をし、中ジョッキに口をつけると平井は上気したかのように、二人に今日の感想を伝えてきた。

 素面の状態だったら目くじらを立ててしまいそうな評価でも、アルコールが入って気持ちが大らかになっている今は、神原はそれほど腹を立てずに受け取られる。園田が「ありがと。恵末ちゃんにそう言ってもらえると嬉しいよ」と言っていたけれど、同感だ。

 今日のライブで得た手ごたえは、神原の中ではそう簡単に揺らぐことはなかった。

「うん。今日のライブを見たら、またもっと瀬奈ちゃんや神原君たちの曲を聴きたくなっちゃった。ねぇ、先月シングルリリースしたばかりでちょっと気が早いんだけどさ、次のシングルがいつ出るかって、もう決まってたりするの?」

「うん、今のところは一〇月に新しいシングルを出せるように準備してる。もう曲はできてるから、楽しみにしてくれていいよ」

「本当? じゃあ、セカンドアルバムは?」

「まだ詳しいことは決まってないんだけど、来年の春にリリースする予定だよ。アルバム曲を作るのは、まだまだこれからだけどね」

「へぇ、そうなんだ。よかったじゃん。予定が決まってて。Chip Chop Camelの曲を作ってるのって、神原君なんだよね? どう? 曲作りは順調?」

「まあまあってとこだな。少しずつ形になり始めてる曲もあれば、まだ全くできてない曲もある。でも、締め切りもあるし、何とかはするよ」

「うん、そうだね。私も神原君や瀬奈ちゃんたちの、次の作品楽しみにしてる。Chip Chop Camelはもっと評価されるべきバンドだって、私は常々思ってるからね」

 平井の自分たちに対する評価は、スプリットツアーのときから一貫していた。デビューが同時期で自分たちよりも売れているバンドのメンバーにそう言われることに、少し思う部分も神原にはあるものの、アルコールがそれをぼやけさせている。

「ああ」と神原も頷く。もっと評価されたいというのは、紛れもなく本当の感情だった。

「そういえばさ、私たち来月初めてフェス出るんだけど、恵末ちゃんたちは、もう何度かフェス出たことあるんだよね?」

 それからも三人で少し話した後に、園田が不意に口にする。その話題は居酒屋の雰囲気からも大きく外れてはいなかったから、平井も「うん、ありがたいことに何回か出させてもらってるよ」と頷いていた。

「ねぇ、フェスってどう? 私たち、観客としては行ったことがあるけど、出るのは初めてだから。どんな感じなのかなって、恵末ちゃんに訊いてみたくて」

 園田が尋ねた内容は、少し癪だったけれど、神原も同様に知りたいことだった。少なくても聞いておいて損はない。

 平井の瞳がかすかに輝いたように、神原には見えた。「よくぞ聞いてくれました」と言わんばかりに。

「そうだね。ライブハウスで演奏するのとは、また違った良さがあるよ。瀬奈ちゃんたちが出演するのって、野外フェスなんだよね?」

「うん。千葉のBRAND―NEW MUSIC FESTIVALっていう」

「だったら、ライブハウスにはない開放感があるよ。音も遠くまで広がっていくし、お客さんもあけすけに音楽に乗ってくれる。もちろんライブハウスにはライブハウスの良さがあるけど、でも屋外で演奏するのはまた違った新鮮な感覚があって、少なくとも私は好きだな」

「でも、ライブハウスとは違って音が壁に反射しないんだから、少しやりづらい部分はあるんじゃないか? それに俺たちが出るのって、八月の昼一二時っていう一番暑い時間帯だし。ライブハウスも暑いところはあるけど、外の暑さはまた別物だろ」

「確かにそれはあるね。初めて屋外で演奏する神原君たちには慣れない部分もあるかもしれないし、暑さに警戒するのも分かる。でも、それは始まっちゃえば意外と何とかなるよ。神原君たちの持ち時間って、大体三〇分くらい? それならワンマンライブができる体力のある神原君たちだったら、絶対に乗り切れるよ」

「そんなもんかな」

「そんなもんだよ。それにフェスの楽しみって、ライブ時間だけじゃないしね。もちろん、一番のメインはそれなんだけど、でもバックヤードでは色んなケータリングが用意されてると思うし、今まで聴いてた先輩バンドの人たちとも話すことができるし。何より自分たちの出番が終わったら、タダで他のバンドやミュージシャンのライブを見放題だから。これはフェスの出演者の特権だよ」

「なるほどな。確かにフェスでしかできないことってあるもんな」

「うん。だからさ神原君も瀬奈ちゃんも、まずはフェスを思いっきり楽しんだらいいよ。初めてのフェスで緊張もあるかもしれないけど、それでもさ」

 平井は何の疑いもなくそう言っていたが、神原はそれが簡単にできたら苦労はないと思ってしまう。真夏の一二時の屋外での演奏は、きっと今までのライブとは、また別種の大変さがあるだろう。

 でも、それくらいは平井も織り込み済みだろうから、神原は声に出して指摘はしなかった。「ああ」と頷く。自分たちが楽しむ気持ちを持っていなければ、観客を楽しませることはできないと思った。

「じゃあ、私与木君や久倉君とも話してくるから」そう言って、平井は神原たちの一つ隣のテーブルに、ビールジョッキを持って移動した。席を外しているCLUB ANSWERのスタッフもまだ戻ってくる気配はなく、神原は瞬間、園田と二人きりになる。

 一息つきたい神原とは対照的に、園田は未だに高揚した様子を見せていて、ビールや料理に口をつけることもなく、すぐに話しかけてきた。

「いや、よかったねぇ。恵末ちゃんにも良いライブだったって言われて。実際、ステージの上では手ごたえを得ていても、お客さんがどう感じてるかは大体しか分からないもんだから。はっきりと言葉にされて、私も今日のライブ良かったんだって、改めて思えたよ」

 実感を込めて語る園田に、神原もひとまず「そうだな」と頷く。同業者とはいえ、一観客としての視点は神原たちにとって、間違いなく意味のあるものだった。

「それにさ、私たちの次のシングルやアルバムも楽しみにしてくれてて。なんか余計にやる気出てきたな。恵末ちゃんたちにも聴かれると思うと、下手なものは作れないってプレッシャーはあるけど、それでも良い作品を作りたいって思いはより強くなった。スプリットツアーのときからの縁が、今でも続いてるって素敵なことだよね」

 爽やかな表情の園田を目の当たりにすると、神原は本心はどうであれ、「ああ」と相槌を打つしかない。平井たちに嫉妬は感じていないのかとも思ったが、それを園田に言っても「なんで?」と、不思議そうな顔をされるだけだろう。

「しかも、来年にはもう武道館やるんでしょ。凄いよねぇ。まだメジャーデビューして二年くらいなのに。でも、恵末ちゃんたちの人気なら妥当だし、私もどんなライブになるのか、今から楽しみだよ。泰斗君も行くよね? ショートランチの武道館」

 興味津々といった目で訊かれても、神原は無邪気に頷くことはできなかった。背中で、久倉や与木たちと話している平井の姿を感じる。

 声を聞いているだけでも楽しそうにしているようで、こんなネガティブな感情を抱いている自分が少しつまらなくも感じたけれど、それも神原には完全には失くせない。

「いや、まだ決めてない。だってまだ半年も先のことなんだから。今は何とも言えねぇよ」

 同じ空間に平井もいる手前、はっきりと「行かない」と宣言することは、いくら何でも神原には気が引けた。含みを持たせた言い方をして、ごまかすことで精いっぱいだった。

 それでも、園田は「えー、行こうよー」と軽く口を尖らせている。どう角が立たない言い方をすればいいか、神原はアルコールで酔いつつある頭を回した。

「いや、俺だって当然気になってはいるよ。でも、半年先がどうなってるかなんて、誰にも分からないわけじゃんか。もしかしたら目が回るほど忙しくなってるかもしれねぇし」

「うん。まあそうなってくれてたら嬉しいけど、それでも私は恵末ちゃんたちの武道館には行くつもりだよ。今からその日スケジュール空けられないか、今度八千代さんに話してみよっかな」

 園田にとってショートランチの武道館は、他の多くのことよりも優先されることなのだろう。好きなバンドのライブを楽しみにする気持ちは神原もよく分かるから、いくらそれが同期で先を行くショートランチのライブだったとしても、咎めることはしなかった。ただ「そうだな」と、色のない相槌が出る。

 その瞬間、隣のテーブルから大きな笑い声が聞こえた。平井が口を大きく開けて笑っていて、無邪気なその姿は神原の心に芽生えていた棘に、確かに触れていた。


(続く)


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