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昭和 風雲サバイバーが見た 集団予防接種 昭和100年

私は「昭和 風雲サバイバー」である。(会員番号30番)

時は今、昭和100年。 (会員番号は、現在100番まで登録済)
戦後の復興期から高度経済成長を経て、数々の社会変革を乗り越えてきた、まさに「サバイバー」である。私たちは、困難な時代を経て、強さを身につけてきた。古き良き昭和の文化と現代の価値観を融合させた「ハイブリッド」な存在であり、柔軟な思考と適応力が私の特徴である。

しかし、近頃こんな私にも弱点が・・・。それは「視界のエレガンス」。かつての鋭い眼力が失われ、細かな文字が見えづらくなってしまった。動物で例えるなら、「風に立つ気弱なライオン」である。強さを持ちながらも、時には不安を抱えている。

それでも、私たちの豊富な経験と知恵は、今の社会にとって貴重な資源であると信じている。この願いには、私たちの力強さと多様性、そして未来への希望が込められている。これからも、挑戦を続け、進化し続ける「昭和 風雲サバイバー30号」として、道を切り開いていきたいと思っている!

昭和100年の思い 集団予防接種と情報収集能力

私は「昭和の風雲サバイバー30号」として、予防接種の変遷を実際に体験してきました。

小学生の頃、給食が終わると楽しみな昼休みが始まるはずでした。しかし、ある日それが全く違うものになる時がありました。学年全員が体育館に集められ、列を作って白衣を着たお医者さんから注射を受けるという、子どもにとっては大きな試練の時間が訪れるのです。これは「集団予防接種」と呼ばれるもので、年に数回、学校行事のように行われていました。

その日は、朝から憂鬱な気分でした。親の承諾書を持って登校するところから始まります。担任の先生に「紙を忘れました」と言うわけにもいかず、連絡帳に挟んで提出するしか選択肢はありません。

仮に「紙を忘れてしまいました。」と、担任の先生にウソを言ったとしても、保健室の先生からこう告げられるのが目に見えています。
「〇〇君、今度お母さんと一緒に隣の〇〇小学校に行って注射を受けてね。連絡帳に書いておくからね!」
実際、友だちが家に帰って叱られた挙句、翌日隣の小学校で注射を受けるという二重の洗礼を受けたのを私は知っていたからです。

体育館では、子どもながらに「情報収集」が重要なスキルとなりました。各列の長さはどうか、お医者さんの雰囲気や表情はどうか、注射を受けた友だちが腕を押さえながら出てくる様子などを観察し、「どの列が一番痛くないか」という切実なテーマに全力で向き合っていたのです。

まず、注射を終えた隣のクラスの友だちに聞き取り調査を開始します。
「痛かった?」
しかし、この時に気をつけなければならないのは、ドラえもんでいうジャイアンのようなタイプの友だちに聞いてはいけないということです。彼は強がって正確な情報を提供してくれません。「全然、痛くないぞ!」と言うだけでしょう。逆にのび太君のような友だちに聞いても痛みのレベルが判断できません。

もちろん、子どもだった私の情報網には限界があり、結局どの列に並んでも痛い思いをするのですが、それでも努力すること自体が重要だったのです。

振り返ってみると、この「集団予防接種」は社会全体の健康を守るための取り組みであり、昭和ならではの教育や共同体意識の象徴だったと思います。時代が進むにつれ制度が見直され、現在では学校での集団接種は廃止されています。それでも、あの経験を通じて学んだ「情報収集の大切さ」や「状況に応じた柔軟な対応力」は、私にとって今でも生きた教訓です。

令和の時代に入り、私はコロナワクチン接種を6回受けました。使い捨て注射器が用いられ、秩序だった環境で行われる接種は、昭和の「集団予防接種」とは大きく異なります。それでも変わらないのは、自分で判断し、積極的に情報を集めて、自己責任で行動することの重要性です。

このブログでは、昭和を振り返りながら、単なる懐古にとどまらず、そこから得た教訓を令和という現代に活かす視点を大切にしています。過去を批判的かつ共感的に見つめることで、未来の指針を見つけたいと思っています。

未来の医学に、あなたは何を期待しますか?

新しい技術や知識が生まれる中で、私たちはそれをどのように受け入れ、活かしていくべきでしょうか。これからも過去の経験を糧にし、新たな可能性を探っていきます。

いかがでしたでしょうか?最後までお付き合いいただき、心より感謝申し上げます。
これからも「昭和 風雲サバイバー」としての旅は続きます。次回の冒険もお楽しみに!


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