回顧録:撮り鉄 2024 失敗から学ぶ ~やくも大作戦~
恐ろしい計画
自称「撮り鉄 経歴だけは50年」の私が、昨年の春に心に決めていたこと。それは、6月14日で運用が終了する旧型やくも(国鉄色&緑色)の撮影です。そう、私の頭の中には、上りの緑色やくも号と下りの国鉄色やくも号が、線路上で離合する瞬間を一枚の写真に収めるという、恐ろしい計画があったのです!
運行ダイヤでは、2024年6月14日までの偶数日の13:31頃、安来駅と米子駅間の門下踏切付近がその舞台。しかし、結果的にこの撮影は失敗に終わりました。私の理想の写真は、頭の中では完璧でしたが…。
こんな感じ…。
理屈では、可能?
撮り鉄の皆さん、こんな写真を撮るのがどれほど難しいか、想像できますよね?ここからは少し理屈っぽくなりますが、お付き合いください。
JRの運行ダイヤの正確性をもってしても、安来駅を定時に出発した「上りの緑色やくも号」と、米子駅を定時に出発した「下りの国鉄色やくも号」が、いつも、同じ地点で離合するのはほぼ不可能です。
ちなみに、安来駅と米子駅の距離は約25.3㎞。秒速19.44 m/s~27.78 m/sで走る列車が、1秒間に20m以上も移動するんですから!しかも、列車のスピードは常に一定ではなく、乗客の乗り降りで数秒発車が遅れることもあります。運転手さんは、まるで魔法のように速度を調整して、次の駅に時間通りに到着するのです。天候や車両の重量など、様々な条件も影響します。
必ず、毎回安来・米子間のどこかで離合しているのですが、私のカメラの前での離合はやはり不可能。
こんな条件下で写真を撮ろうなんて、普通の人には理解できないでしょうね。
地元の私は10回以上、三脚とカメラを持って出かけました。そのたびに、他の「撮り鉄」の方と出会いました。ソロ撮影なんてありえない!県外からの方や、なんと北海道から来た方もいました。毎回お目にかかる地元の方もいて、まるで「撮り鉄のオフ会」状態。
ニュースでは「撮り鉄のマナーの悪さ」が取り上げられていますが、私はそんな人々には会ったことがありません。逆に、隣の撮影ポイントで場所取りの喧嘩が起こっていたので、居心地が悪く、ここに移動してきたという方もいました。
結果は「失敗」の連続。どちらかの列車が15秒程度遅れることもあれば、大幅に遅れて踏切がいったん開いてしまうこともありました。「またか…」と、シャッターを押す気持ちにもならないときもありました。しかし、踏切の音と列車の轟音が聞こえ出すと、「撮り鉄」の血がいつも騒ぎ出すのです。
そして 最終日
いつの間にか、ついに最終日がやってきました。結果的に、両車両の離合の瞬間は目撃しましたが、なんとその場所は私のカメラの真反対!しかも、超至近距離での離合。カメラを向ける前に、列車は遮断機の向こう側に…。あぁ、残念…。
この日、この踏切でスタンバイしていた「撮り鉄」は、総勢3名。私以外の2名は、見事にこの2両の顔をフレームに収め、成功を収めました。地元の青年と、京都からこのために来た青年でした。
やくも通過後、二人の写真をみんなで確認しました。アングルは異なりますが、大成功!
私の不成功よりも、その2人と一緒に喜びを分かち合えたことが、何よりのハッピーな瞬間でした。「撮ったぞ~~~っ!やった~~っ!」。世代を超えた「撮り鉄」の喜びを共有できたのです。
その最大の理由は、列車通過前の15分間、3人で「撮り鉄オタク話」をしながら親しくおだやかな会話を楽しんだからだと思います。お互いの失敗談や成功談を笑い合い、まるで家族のような温かい雰囲気が漂っていました。
そして、私は知ったのです。チャレンジする楽しさを…。「撮る」ことに意味があることを…。
この歳になって、青年たちとこの喜びを共有できたことが、失敗による最大の成果と喜びです。
まるで甲子園で負けた高校球児のような気持ちを味わえました。
失敗を恐れず、また次の挑戦に向かって進む勇気が、私の心に新たな風を吹き込んでくれました。
このような、あまり意味のない私のブログに、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
感謝の言葉しか ございません。