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江戸使節団のデジタル追跡 パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅 第五話

②  パナマ地峡鉄道の旅 驚愕の蒸気機関車 (Facebookの活用)

 パナマ地峡鉄道は、1855年に開通しています。ちなみに、アメリカ合衆国内での大陸横断鉄道の開通は、1869年のことです。アメリカの広大な大地、1861年~1865年の南北戦争の勃発等の事情を考えると、1869年の開通は致しかたないことなのかもしれません。どちらにしても、1849年のカリフオルニアでのいわゆる“ゴールドラッシュ”に力を発揮したのは、パナマ地峡鉄道でしょう。黄金を夢見る猛者たちが地峡鉄道を使って、パナマから海路でカリフオルニアに向かって旅を続けたということは、容易に想像出来ますね。

さて、今回は、「鉄道オタク」の視点からパナマ地峡鉄道を見ることにしましよう。
 
江戸の使節団員がパナマでスケッチした二枚の絵をご覧ください。。


絵:佐藤藤七


絵:木村鉄太

次に、パナマ市在住のSr. Nodier Garcia氏が発見してくれた二枚の写真をご覧いただきます。

1868年 パナマ鉄道151号機関車「ノース・アメリカ」の写真
Panama Railroad Company Annual Report - 1884"8-9ページより
同じ機関車がポートランド社によって組み立てられた工場の外で撮影された写真

日本・パナマの蒸気機関車の画像を比較してみると、細部はそれぞれ微妙に異なっていますが、いわゆる4-4-0の車輪配置で、2軸先輪・2軸動輪・従軸0で構成されています。テンダー(蒸気機関車等が使用する燃料や水を積載した車両。「炭水車」)も付いています。年代から推測して、このタイプの蒸気機関車が使節団一行を乗せた客車を牽引したと、二人の意見は一致しました。読者のみなさまは、どのように思われますか?
 
 次に、当時のレールについて調べて見ました。

 遣米使節団 副使 村垣範正 「遣米使節日記 復刻版」によると蒸気車の下にある鉄の棒の断面をこのように記録していました。


(不鮮明ですがお許しください)

一方、A New Railroad for Panama - After the Diggingの関連サイトでは、

 これらのことから、第四話で1992年にパナマ歴史博物館で実際に児童といっしょに見たレールは、江戸の使節団が乗車した年代のレールであることが、ある程度高い精度で推測できます。

逆U字型レール 1853年~1869年

ここで、蒸気車に乗ったサムライたちに目を向けてみましょう。
雷のような轟音の車内。驚愕の旅だったようです。しかし、遣米使節団 副使 村垣範正は、車窓からの風景を見て「殺風景」と切り捨てました。彼らの日記を詳しく読んでみます。
 
まず、小栗忠順の従者 佐藤藤七の記録「渡海日記」より
 
蒸気車の制は其理蒸気船に同じ第一の車は蒸気機関に関して一人にて火を焼けば八輪蒸気の力にて転ずれば後の車これに従い走る其疾こと風の如し
第二の車は薪或石炭を載むのみ 第三の車は食水糧荷物を載す 第四より第八迄は人を載す 車中長さ七間斗横九尺余(客車の長さ13m 幅2m27cm) 左右窓の下に曲祿(椅子)を繋ぐ双べ一車毎に二十四 車毎に八輪車と車を繋ぐに鉄の錠を以て結び付 車道は輪の乗る処鉄の棒を橫たへ下に材を以て是を受く其輪の當る処纔(わずか)にして甚だ危うし
朝五半時(午前8時)に車に乗じ直に蒸気を発す其速なること車下の草樹を見分けることか能ず
 
 次に、使節団 副使 村垣淡路守範正の日誌より
 
まず、一番先に発つ車に蒸気を仕かけて黒烟を発し機関運転して車の四輪をめぐらす。御者ひとり機関の覆いたる上に在り。次に順々七、八車をつなぎたり。蒸気に近きは烟かかり、音もかしましけくば極の後にあるを上席とするよし。ゆえに蒸気に次たる車には荷物を積み。その次に軽輩のもの。次に家司、下司など乗りて、終の車におのれ等、はた謁見以上の下司まで乗りたり・・・(つまり、「グリーン車両」は最後尾の車両だったようです。)
 
やがて蒸気も盛んになれば、今や走り出んと、かねて目もくるめるように聞きしかば、如何あらんと船とはかわりて案じけるうち、凄まじき車の音して走り出たり。直ちに人家をはなれて次第に早くなれば、車の轟音雷の鳴りはためく如く、左右を見れば、三、四尺の間(90cm~120cmの窓)は、草木もしまのように見えて見とまらず。七、八尺先(約2m~2.5m先)を見れば、さのみ目のまわる程のことなく、馬の走りを乗るが如し。更に咄も聞こえず殺風景のものなり・・・と、記されています。
 
 村垣淡路守が「殺風景」と表現した理由を、3年間パナマに在住した私の経験と重ね合わせて考えてみました。
 サムライたちは日本の自然に慣れ親しんで育ちました。 日本は四季がはっきりとあり、美しい山々、渓谷、田畑、そして寺社仏閣が点在する景観が正しくあります。湿地帯、熱帯ジャングルの風景や慣れない暑さや湿気は、今まで経験したことのない異質なものであり、騒々しい車内でも、単調で変化に乏しい風景と感じたのではないでしょうか。 


しかし、私たち「鉄道オタク」にとっては、時空を越えて一度は、乗ってみたい列車の旅です。テレビ番組「世界の車窓」に、ぜひ取り上げて欲しいものです。
 
とはいえ、初めて汽車に乗った驚愕の様子がよく表れている日誌ですね。正装のサムライたちの驚く顔が目に見えるようです。それにしても、彼らの観察力と好奇心には感服させられます。
 
 冒頭で紹介した二人のスケッチ画には、かなりの情報量が詰まっていました。蒸気機関車の仕組み、車両編成、貨物車、二等客車からグリーン車までの並び順、客車のサイズや定員数まで把握できたのです。実際に途中で休憩したサンパブロ駅までは、パナマ市から見送りの要人やパナマの役人たちも乗車していたという記述もあるので、これだけの客車が必要だったのでしょう。

 ようやく、パナマ地峡鉄道の旅も途中のサンパブロ駅近くにやって来ました。我々も、ここで少し休憩しましょう。今回はここまで。

 我々のデジタル追跡の旅は、さらに第六話に続きます。

③ パナマ地峡鉄道の旅 湖の底に沈んだサンパブロ駅
     (Google Earthも使って)

もくじ
 
 はじめに (第一話)
1.江戸使節団のデジタル追跡ツール登場 (第一話)
2.La estrella de Panamá社の1860年4月30日の記事の読み込みと翻訳作業     
                             (第二話)
3.Google Earthを利用して江戸使節団の足跡をマッピングする 
                             (第三話)
4.パナマ地峡鉄道 アマチュア研究者との情報交換から
                    (Facebookの活用)(第四話)
  ①    パナマ地峡鉄道の旅 パナマ上陸 旧パナマ駅へ
                  (Facebookの出番です) (第四話)
  ②    パナマ地峡鉄道の旅 驚愕の蒸気機関車 (Facebookの活用)
                             (第五話)
  ③    パナマ地峡鉄道の旅 湖の底に沈んだサンパブロ駅
                   (Google Earthも使って)(第六話)
  ④    パナマ地峡鉄道の旅 アスピンウオール駅到着    (第七話)

5.サムライたちが教えてくれたこと            (最終話)
  ・江戸の遣米使節団とパナマ地峡の物語が幕を閉じる
  ・エピソード1: サンパブロ駅での豪華な食事
  ・エピソード2: ポルトベーロでの危険な沐浴
  ・帰国後のサムライたち
  ・サムライたちからのメッセージ
  ・付記

付記
 
研究協力者:Colaboradores en la investigación:
Sr. Nodier García
 
出典:Fuente:
小栗忠順の従者 佐藤藤七の記録「渡海日記」© 東善寺
小栗忠順の従者の記録 名主佐藤藤七の世界一周 © 東善寺
小栗忠順の従者 通訳 木村鉄太の記録「航米記」© 青潮社
万延元年遣米使節団 副使 村垣範正 「遣米使節日記 復刻版」© 日米協会 
万延元年の遣米使節団 宮永 孝 ©講談社
山本厚子「パナマから消えた日本人」 ©山手書房社
La estrella de Panamá社
 
画像提供:Imagen cortesía:
El sitio de la Biblioteca Rodolfo Chiari de la Autoridad del Canal de Panamá
Lic. Mickey Sánchez
Sr. Eardweard Muybridge
Sr. Theodore da Sabla

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