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江戸使節団のデジタル追跡 パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅  第一話       



はじめに

趣味の歴史研究の発表に入る前に、まずは歴史クイズで頭をほぐしてみましょう。
 
レベル1
Q1: 江戸時代末期、万延元年(1860年)に太平洋を渡ってサンフランシスコに到着した「咸臨丸」の代表的な乗組員を三名挙げてください。

A1: 勝海舟(艦長)、福沢諭吉、ジョン万次郎(通訳)など
 
レベル2
Q2: 江戸時代末期のペリー提督来港に端を発して、日米間で1854年に結ばれた初めての条約は「日米和親条約」です。これに続く1858年に結ばれた条約は何でしょう?

A2: 「日米修好通商条約」
 
レベル3
Q3: 「日米修好通商条約」がアメリカ艦隊の旗艦で調印されました。その艦船の名前は何でしょう?

A3: ポーハタン号
 
レベル4
Q4: 「日米修好通商条約」の批准書の交換のため、1860年にポーハタン号に乗りワシントンに赴いた日本の使節団の名称と人数を答えてください。

A4: 万延元年遣米使節団 77名
 
レベル5
Q5: 「万延元年遣米使節団」が1860年2月13日に出発し、同年11月9日に品川沖に帰着するまでに経由した主な地名を挙げてください。

A5: 横浜、(太平洋)ハワイ、サンフランシスコ、パナマ、(大西洋)キューバ、ワシントン、ニューヨーク、アンゴラ、喜望峰、(インド洋)ジャカルタ、品川…等
 
いかがでしたか?私は1991年に在外教育施設派遣教員としてパナマ日本人学校に派遣されるまで、レベル2程度の知識しか持ち合わせていませんでした。1991年4月から94年3月までの3年間の派遣期間中に小学部6年生の担任となり、児童に社会科も教えました。 当時の教科書では1〜2学期が日本史分野、3学期が公民分野でしたが、日本人学校であったため、日本の教科書を使って指導しました。
 
「せっかく日本の歴史を勉強するなら、パナマと日本の歴史の接点も教えてみたい。」というのは、教師として自然な思いでした。地球のほぼ裏側に位置するパナマと日本の歴史的接点、最初は「パナマ運河かな?」と思いましたが、実はサムライたちは遥か昔にパナマ地峡を鉄道で横断していたのです。この発見が、私の歴史教育に対する探究心をさらに駆り立てました。
 
そして、30数年後の2024年、ITの進化と共に私の趣味の研究が新たな局面を迎えました。AIやインターネットを駆使した歴史研究は、まるで時空を超える旅のように、新たな発見へと導いてくれました。「江戸使節団のデジタル追跡」のスタートです。
 
1.江戸使節団のデジタル追跡ツール登場
パナマ日本人学校での2年目、1992年に小学部6年担任として校外学習に出かけました。当時使用した機材は、一眼レフフィルムカメラ、コンパクトフィルムカメラ、8mmビデオカメラ、日本語ワープロ(記録媒体はフロッピーディスク)、スライド映写機、ビデオプロジェクター、VHS再生ビデオデッキ、アナログTVなど。今思うと隔世の感がありますね。
 
これらの機器を駆使して、この年の学習発表会では「パナマにやってきたサムライたち(1860年)¡Mira, llego Samurái!」というタイトルで児童による研究発表を無事に終えました。ただし、私には公式記録に残っているパナマと日本の歴史的接点の詳細をさらに掘り起こしたいという気持ちがありましたが、当時は不十分でした。
 
具体的には、パナマにある「La estrella de Panamá社」の1860年4月30日発行のバックナンバーに掲載されていた遣米使節団の記事を児童と一緒に閲覧できなかったのです。この記事には遣米使節団に関する貴重な情報が含まれており、研究において重要な手がかりになると考えていました。日本帰国直前に「La estrella de Panamá社」から閲覧許可の連絡を受け、記事の閲覧と写真撮影が実現しましたが、パナマではこれらの記録を分析する時間がなく、帰国後も資料はお蔵入りしてしまいました。
 
しかし、30数年後に再びこれらの資料にスポットライトが当たりました。以下のツールを活用し、デジタル追跡が始まります。
 
・フィルムスキャナー
・レタッチソフト
・オンラインOCR機能
・AI翻訳機能(日本語⇔スペイン語)
・デジタルカメラの活用
・インターネット環境の充実
・各検索エンジンの活用
・Google Maps、Google Earthの活用
・Facebookで知り合ったパナマ人のアマチュア歴史研究者との出会いと情報交換
・遣米使節団が記録した中古書籍のネット購入
 
これらのツールを駆使して、江戸使節団のパナマでの足跡や当時の歴史的接点について、以下のように詳細に解明していきました。

               第二話に続きます。

2.La estrella de Panamá社の1860年4月30日の記事の読み込みと翻訳作業   


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