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江戸使節団のデジタル追跡 パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅 最終話

5.サムライたちが教えてくれたこと

江戸の遣米使節団とパナマ地峡の物語が幕を閉じる
 1860年4月21日、コスタリカ沖でポーハタン号が発見されました。乗っていたのは、江戸から派遣された70数名の遣米使節たち。そして、そこから始まった「デジタル追跡の旅」は、4月28日にカリブ海で彼らを見送り、物語は終わりを告げます。最後に、1860年4月30日のLa estrella de Panamá紙の記事には、「Que tengan un feliz viaje! (よい旅を!)」と彼らにエールが送られていました。
 
 私が1992年にパナマ日本人学校の6年生担任となって以来、持ち続けてきた一つの目標。「歴史上記録に残る初めてのパナマと日本の異文化の出会い    その旅の詳細を解明する」という夢が、ついに終わりに近づいています。
 

Los SAMURAIs en el Túnel del Tiempo


 2024年、IT技術の進化とともに、私の旅は新たなフェーズへと突入しました。AIやインターネットを駆使することで、まるで時空を超えるかのような発見の旅が続いたのです。しかし、この成果は単にテクノロジーの発展によるものだけではありません。Facebookで出会ったアマチュア鉄道研究家のSr. Nodier García氏との交流、私のパナマでの3年間の経験、さらには当時の文献や写真が良好に保管されていたことなど、多くの幸運が重なった結果です。実は、私自身の趣味である「写真」と「鉄道」も、大いに役立ちました。皆さんはどう思いますか?「勘ピューター」もIT技術の一部と言えるのではないでしょうか?


 さて、これまでの旅では語られなかった、サムライたちのユニークなエピソードを二つご紹介しましょう。
 
エピソード1: サンパブロ駅での豪華な食事
 サムライたちは、サンパブロ駅で少し早い昼食をとりました。パナマ側の記事によると、彼らは豪華な食事でもてなされたそうですが、実際のところ、サムライたちは車酔いやジャングルの蒸し暑さで食欲がわかなかったようです。日記には「オレンジのしぼり汁に砂糖と氷を加えた飲み物がとても美味しく、帰国後も話題にするほどだった」と書かれています。さらに、「ブドウ酒に氷を入れて飲むと清涼感があり、喉の渇きが癒えた」との記述もあります。サムライたちも、現代の私たちと同じように、暑さの中で冷たい飲み物を楽しんでいたのだと思うと、彼らの人間味を感じます。
 
  それにしても、驚くべきは「氷の塊」があったこと。調べてみると、この時代、蒸気機関による製氷方法がすでに実用化されていたようです。映画好きの方なら「バック・トゥ・ザ・フューチャーⅢ」でドク博士が氷を作るシーンを思い出すかもしれませんが、サンパブロ駅でも同じように「氷」が作られていたのですね!



ポルトベーロで出会った カリブの子どもたち 本人撮影:1993年

エピソード2: ポルトベーロでの危険な沐浴

ポルトベーロ 本人撮影:1993年

 サムライたちは、カリブ海への航海に向けて、軍艦の給水のためにポルトベーロに立ち寄りました。長い船旅と列車の移動を経て、彼らが真水を見ると、自然と「入浴」と「洗濯」を思いついたのです。しかし、飲用水だったため使用は許されず、彼らは海岸で河口の水に浸かることに。ところが、アメリカ人たちは猛獣が出る危険があると警告し、股下や深靴を貸し、小銃を持って警護までしてくれたといいます。
 
 使節団の中には、真水をあきらめて海で泳ぐ者もいました。ある者が岩場で二尺(約60cm)のウナギを見つけ、捕まえようとすると、アメリカ人が「それは海蛇だ!」と驚き、彼らを制止したという日記が残っています。ポルトベーロの自然は、江戸の河口とはまったく異なり、サバイバル感あふれる体験だったのでしょう。ちなみに、私の息子たちもポルトベーロで実際に海蛇を目撃していますので、このエピソードは確かな話でしょう。
 

帰国後のサムライたち
 今回の「デジタル追跡の旅」は、パナマ地峡横断に焦点を当てましたが、彼らの地球一周の旅については他の資料に譲りたいと思います。遣米使節団は1860年11月9日に横浜に帰還しましたが、その間、江戸では歴史的な大事件が起こっていました。そう、「桜田門外の変」です(1860年3月24日)。この頃、彼らが乗るポーハタン号は嵐の太平洋を越えてハワイを目指していたのです。
 
 彼らが帰国すると、日本はさらに激動の渦中にありました。尊皇攘夷運動、薩長同盟、大政奉還、そして戊辰戦争から明治維新へと、時代の大波に巻き込まれていったのです。
 
 もしこれがIT時代であれば、彼らは「帰国報告会」をパワーポイントで発表し、その後は「社内昇進」というレールを歩んだのかもしれません。しかし、万延元年遣米使節団の記録は、静かに歴史の舞台から姿を消していきました。
 
 例えば、従者として旅に参加し、様々なスケッチや記録を残した木村鉄太は、帰国からわずか2年後の1862年に34歳の若さでこの世を去りました。彼らの成果については、日米修好通商条約の批准書交換という「不平等条約」の側面が強調されがちです。しかし、彼らが異国で見聞きした経験やその記録は、日本の歴史において大きな影響を及ぼしました。決してネガティブなものではなく、むしろ非常に「ポジティブ!」な功績と言えるでしょう。
 
 彼らが目の当たりにしたのは、蒸気機関車、レール、活版印刷による新聞、製氷技術、パナマとアスピンウォール(現コロン市)の電信技術、給水ポンプなど、産業革命の成果でした。さらに、大航海時代の羅針盤による航行技術もその背景にありました。
 
 特に注目すべき人物は、小栗忠順です。彼は帰国後、造船所の建設やフランス語伝習所の設立、日本初の株式会社である兵庫商社の創立、軍の近代化、大砲製造のための滝野川反射炉の建設、ガス灯設置、郵便制度や鉄道、新聞発行の提案など、幕末にかけて数々の功績を残しました。そして、明治維新後も彼らの先進的な精神は日本の発展に受け継がれていきます。
 
 その象徴的な出来事の一つが、1860年にパナマ地峡鉄道を通過してからわずか12年後、1872年に新橋と横浜の間に鉄道が開通したことです。
 
 

サムライたちからのメッセージ
 カリブ海沖からのサムライたちのメッセージ、どうでしたか?
サムライたちの旅は、IT時代に生きる私たちに、たくさんのことを教えてくれたように思います。海外で見聞を広めようとする「チャレンジ精神」「異文化を積極的に理解し、それを、自分で一度かみ砕いて、受け入れる広い視野」「自他共に、人や文化、歴史を尊重する態度」「柔軟な心」「グローバルな思考」「行動力」「自然科学に対する理解」「行動力」「好奇心」「コミュニケーション能力」等、私自身も、これからの足跡を辿る旅の中で多くのことを学びました。
 
 奇しくも、2024年10月12日は「パナマ日本人学校創立50周年記念日」です。この節目にあたり、あの校舎に集まったすべての児童・生徒、保護者の皆さま、現地スタッフ、派遣教職員、日本人会、そして日本大使館の方々に、心からの感謝の意を表したいと思います。そして、この物語をここで締めくくります。

 追伸:1992年度小学部卒業生の3人へ。これで、6年生による研究発表「パナマにやってきたサムライたち (1860年)  ¡Mira, llego Samurái! (Part Ⅱ)」を終わるよ。あの時も頑張ったね!お疲れさま!
 
 最後に、この2枚の資料をぜひご覧ください。

1860年 パナマと日本の文化が初めて遭遇した地点付近(画面右側)
撮影:本人 1993年
現在のパナマと日本の異文化遭遇地点

  パナマ・日本両国の協力によって建設された「マリスコス(魚)市場」
なんという奇遇でしょうか? いや、必然だったのかも?

最後までお読みいただきありがとうございました。

パナマと日本の友好関係が永遠に続くことを願って。また、お会いしましょう。
Espero que la amistad entre Panamá y Japón dure para siempre. Hasta pronto.
 
Quisiera expresar mi más sincero agradecimiento a la Sr. Nodier García

                          松下 明  MATSUSHITA Akira

付記
 
研究協力者:Colaboradores en la investigación:
Sr. Nodier García
 
出典:Fuente:
小栗忠順の従者 佐藤藤七の記録「渡海日記」© 東善寺
小栗忠順の従者の記録 名主佐藤藤七の世界一周 © 東善寺
小栗忠順の従者 通訳 木村鉄太の記録「航米記」© 青潮社
万延元年遣米使節団 副使 村垣範正 「遣米使節日記 復刻版」© 日米協会 
万延元年の遣米使節団 宮永 孝 ©講談社
山本厚子「パナマから消えた日本人」 ©山手書房社
La estrella de Panamá社
 
画像提供:Imagen cortesía:
El sitio de la Biblioteca Rodolfo Chiari de la Autoridad del Canal de Panamá
Lic. Mickey Sánchez
Sr. Eardweard Muybridge
Sr. Theodore da Sabla

もくじ
 
 はじめに (第一話)
1.江戸使節団のデジタル追跡ツール登場 (第一話)
2.La estrella de Panamá社の1860年4月30日の記事の読み込みと翻訳作業     
                             (第二話)
3.Google Earthを利用して江戸使節団の足跡をマッピングする 
                             (第三話)
4.パナマ地峡鉄道 アマチュア研究者との情報交換から
                    (Facebookの活用)(第四話)
  ①    パナマ地峡鉄道の旅 パナマ上陸 旧パナマ駅へ
                  (Facebookの出番です) (第四話)
  ②    パナマ地峡鉄道の旅 驚愕の蒸気機関車 (Facebookの活用)
                             (第五話)
  ③    パナマ地峡鉄道の旅 湖の底に沈んだサンパブロ駅
                   (Google Earthも使って)(第六話)
  ④    パナマ地峡鉄道の旅 アスピンウオール駅到着    (第七話)

5.サムライたちが教えてくれたこと            (最終話)
  ・江戸の遣米使節団とパナマ地峡の物語が幕を閉じる
  ・エピソード1: サンパブロ駅での豪華な食事
  ・エピソード2: ポルトベーロでの危険な沐浴
  ・帰国後のサムライたち
  ・サムライたちからのメッセージ
  ・付記

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