「将来のための我慢」が子どもの未来を潰す
「子どもはみんな、
何かをすることの天才だ」
なんていう耳ざわりのよい表現を
僕は好まない。
何を持って天才かという
明確な定義付けもないし、
天才と呼ばれる能力を
さもとくべつであるかのように
持ち上げているのも変だも思う。
だが、あえて
「子どもはみんな〇〇である」
というなら、
「没頭する生き物」だ。
没頭する力は本来、
子ども時代に誰もが備えていたはずの
能力だからだ。
あなたにも、
そんな経験があるだろう。
石を集めたりシールを集めたり、
クレヨンで絵を描いたり、
積み木で建物をつくったりなど
大人にとってはちっとも面白くないことを、
延々とやり続けている。
(僕の息子も同じだ。)
物心ついてから
さまざまな娯楽を知ってからも、
没頭するものはあったと思う。
ゲームやマンガ、アイドル、
カラオケ、スポーツや楽器、
ダンスや演劇…
誰もが一つやふたつは、
没頭を経験してきたはず。
だからこそ
「没頭力こそが天才の証だ!」
なんてことを言うつもりもない。
かつて僕らが過ごした没頭の経験は、
幼い時代の特別な思い出ではなく、
人にとって通常モードなのだ。
没頭するのが人は当たり前だ!
誰だって、好きなこと、
楽しいことをいつまでも
やり続けるようにできている。
言い換えれば、
「遊ぶ」ことこそが、
人間の本能なのだ。
しかし、ほとんどの人たちは
大人になっていくにつれて、
あれもこれもわらなくてはいかなくなり、
遊び続ける力をどんどん忘れていってしまう。
なぜだろう?
答えはシンプル。
親や、学校が遊びに没頭する力を
奪っているのだから。
遊びに夢中になって、
部屋を汚したりご飯に遅くなったりするのを、
親はなんとか自分の思い通りにしたがる。
もちろん、命に関わるような
危険な行為はとめなければいけない。
しかし、ほとんどの親は
ケガの分別が自分でも
できるようになった年齢の子どもにも
「これをしてはダメ」
「あれをしてはダメ」
という、
禁止の鎖をグルグル巻にして、
子どもを縛りつけている。
「我慢するのは、将来いい生活をするため」
と言いくるめ、遊びを停止するように誘導する。
そうするうちに、大半の子どもは
「やりたいことに夢中になるのは悪いことだ」
と思い込んでしまうだろう。
そして、義務教育システムの
禁止の波状攻撃で仕上げられれば、
没頭力を失った
「成績・個性ともにオールB」の
子どもが完成する。
家庭でまず親が子どものやる気を奪い、
その奪う役目を学校が引き継ぎ、
強化する場所になってしまっている。
学校に通うようになってから、
すきなこと、楽しいことだけをやっていて、
1度も大人に叱られたことのない人はいないだろう。
大人が寄ってたかって、
子どもの没頭力を奪いつくそうとしてるのだ。
つまり、みんな横並びで
一斉に「オールB人間になろう!」と
呼びかけているようなもの。
そんな窮屈な環境が普通になってる一方、
「天才」と言われるような存在が
特別扱いされているのが日本の教育の実態だ。
国民のほぼ全員が異論を唱えず、
大人しく従っているのとが
僕には信じがたい。
僕自身、
「自分はいびつな環境でも
頑張って成果を出てきたから、
これからの子どもも同じように苦労すべき」
とは、口が裂けても言いたくない。
すべての子どもは学ぶ権利と同様に、
没頭する権利を奪われてはならない。
空気を読まずに、自己主張ができて、
子どもたちご没頭力をフルに発揮できる
教育環境こそ必要だ。
僕はシングルマザーで育ち、
子どもの頃から親には「好きなことをやれ」
と言われて育ってきた。
だからこそ教師が仕掛けてきた
「〇〇してはダメだ!」の
禁止の鎖をぶち壊してきた。
小学生からずっと毎日遊んでいた
1個上の先輩がいた。
ずっと仲良しだったから、
敬語なんか使わずにタメ口だ。
それが中学にあがると
「タメ口はダメだ!」と先生に言われた。
先輩がいうならまだしも、
なぜ先生に言われなければいけない?
と思った。
もちろん従わなった。
だって年齢は1個うえでも親友だったのだから。
そして意味のわからない校則が
いくつも存在していたのもあり、
最終的には、僕はやりたくなかったのに、
みんなの推薦で生徒会長に選ばれ、
意味の分からない校則を変えるために戦い、
卒業するころにはそれを変更した。
どれだけ大人たちから
言葉巧みに禁止をおしつけられても、
言い分の論理が破綻しているところを見抜き、
断固として拒否してきた。
もちろん論理が通っているのなら従おう。
でも、論理がまちがっているものには、
絶対に従わない。
なんで髪は耳にかかってはダメなの?
なんで暑い日に上着を脱いだらダメなの?
なんで整髪料をつけちゃダメなの?
このような校則とひたすら戦い変えてきた。
自分の思考による決断をもとに
行動する意志を養うのが、
本来の教育ではないだろうか。
子どもの没頭を奪う大人が減れば、
やりたいことが見つからない…
なんていう自分探しで迷う人も減るだろう。
社会に出て、
自分にはもつ没頭力がない…
と嘆いている人も、
絶対諦めないでほしい。
大人に奪われた過去があろうとも、
没頭力は人に標準装備されているのだ。
それは、決して枯渇しない。
小さなきっかけで、
必ず再起動するはず。
そんな小さなきっかけのトリガーとなるのが、
僕がやっている自分の可能性に没頭する
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言い忘れたが、
僕たちは自分の可能性を信じる人、
自分のやりたいこと没頭する人しか
受け入れたくない。
あなたが没頭力なんていらないと思うなら…
どうか申し込まないでほしい。
今日も読んでくれてありがとう。
ー柳岡亮
PS.
忘れないでください。
僕らは、僕らが目指す成功まで
あとチャレンジ1回のところまで
きてるということを。
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