【私の90年代 vol.4】 久保田健一さん(自営業)
濃淡があるわけではく、すべて濃厚な10年間でした。
阪神・淡路大震災やオウム真理教事件など、社会的に大きな変化があった時代でしたが、私は自分自身のリアルを追求していたため、社会性はなかったですね。テレビもほとんど見てなかったし。
90年代に関して、1つキーワードを挙げるとすれば、やはり「クルマ」ですね。
最初のきっかけは、高校3年生のときに、友達に誘われて埋立地へ行き、ドリフトを見たことです。当時はF1ブームでしたが、テレビの中のF1レースよりも、目の前のドリフトの方が刺激的でした。それから埋立地に通い詰めました。
免許を取った翌日、すぐに埋立地を走ったのですが、ドリフトに失敗して制御不能になり、最後はクルマが空を飛びました。幸い、体は大丈夫だったのですが、恐怖心を植え付けられ、もう埋立地には行きたくないと思いました。
ただ、すぐに友人に「リハビリしよう」と現場に引きずられて行きました。震えながら事故の分析をしました。もっとも、1カ月後には、初心者マークを付けたクルマでありながらも、サイドブレーキを引いて、ドリフトをガンガンしていました。
そのうちに、友人らと3台のクルマでトリプルドリフトをするようになり、その界隈ではちょっとした有名人になりました。強面のヤンキーに「にいちゃん、フェリー埠頭で走ってるよね」と街中で話しかけられることも多かったです(笑)。そのころにはギャラリー含めて、多い日には500台くらいがお台場に集まっていました。
その後、ドリフトをやめ、サーキットもあまり行かなくなった時期から、今の妻と付き合い始めたので、週末はもっぱらドライブデートでした。
印象に残っているのは、93年に三浦半島へ行ったときのことです。
名物のマグロを食べるつもりだったのですが、飲食店の呼び込みのお兄さんが「だまされたと思って、蛤を食べていってよ!」と言うんです。
「ここでとれる蛤なんですか?」
「いや、大洗(茨城県)。知り合いが上等なものを送ってくれたんだよ」
せっかく三浦半島まで来たのに、大洗の蛤かよ……と思ったのですが、あまりにも熱心に勧めてくるため、諦めて店に入りました。
それから28年経ったいまでも断言できます。このときの蛤は、これまで食べたあらゆる貝類の中で、一番おいしかったです。妻と二人ですごい勢いで食べましたよ。本当においしいものは、その場所、その瞬間でしか味わえないものなのだと実感しました。
私にとって90年代のカラーは「レインボー」
毎年違う感覚で生きていたため、その年、その年の色がありました。愛車の色もさまざまでした。クルマは激安のものを毎年買い替えていたんです。1年で3万キロくらい走っては乗りつぶしていましたから。
だから、この10年を振り返ってみると、7色が順番に並んでいる感じがします。90年代は本当に自由にやらせてもらったんだなと、いま改めて思います。
【取材後記】久保田健一さんから当時のエピソードを聞いたとき、漫画「頭文字D」みたいな世界だなと思ったのですが、久保田さん曰く「頭文字Dの連載は1995年に始まったので、僕らのほうが先ですね」とのこと(笑)。埋立地と峠の違いはあれど、クルマ好きが大挙して押し寄せる聖地があることを、改めて思い知りました。
あと、個人的には、98年にECサイトの原型のようなものを自前で構築し、商売に生かしていたという話が興味深かったです。まだダイアルアップ接続が主流の時代に、全国のユーザーとどんな交流が生まれていたのか気になります。(伏見学)