映画『100日間のシンプルライフ』を見て、大切なことを学んだ
おはようございます!
皆さん、あけましておめでとうございます。
少し、投稿に間が空いてしまいました。
書こうと思っていても中々多忙な日々を送っていまして、ようやく年末年始休となり、少し時間が作れたので、久々に投稿しようと思います。
私の状態はというと、強迫性の症状、特に物に対する不完全恐怖が未だ強く症状として出ています。
いつも出ては葛藤して・・・という日々を送っています。
頭では理解できているのに・・・中々改善できない。
そんな日々です。
特に車やダウンなど、今まで高額を支払った物に関しては特にこの不完全恐怖が著名に出てきます。
傷つけたくない。汚したくない。ほつれを出したくない。
もしそれらがついたら全部取り替えたくなる、直したくなる。
でも直せない。むしろ直そうと思って何かを行うと物の状態が悪化する。
それを繰り返していると、今度は物を使うこと(高額な車やダウン)が怖くなる。
また傷がつくんじゃないか、汚れてしまうのではないか、ほつれが生じてしまうのではないか・・・。
そんな負のスパイラルに陥ってしまいます。
そんなことと格闘していくのに疲れてしまったというのが正直なところ。
そんなタイミングで前々から気になっていた一つの映画を見たいと思った。
それが、『100日間のシンプルライフ』という映画だ。
この映画の内容に関しては、実際に見てもらえたらと思うので、ここでは割愛しますね。
この映画を見て、大切なことに気づいたので、ここでまとめたいと思います。
まず、僕にとって『幸せな人生』って何だろうと。
それを考えた時、僕の中での答えは、
『目の前の人と幸せな時間を共有し、笑顔で過ごすこと』
というシンプルな答えだった。
逆に不幸せな状態は何だろうと。
それは、
『人ではなく、物に捉われ続けて大切なものに意識を傾けられずに日々過ごし続けること』
だった。
僕にとって『物』は幸せになるためのツールではない。
僕にとっての『物』は不幸せになるためのツールになっている。
そう気づいた。
自分の人生が終わる時、果たして物に対して想いを馳せるだろうか。
確かに本当に大切な物であれば脳裏によぎるかもしれない。
でも、それには『物』だけでなく、必ず『人』との思い出がセットになっているだろう。
そしてそれだけ思い出となっている物であれば、きっとボロボロだけど大切に扱ってきた物だろう。
だからこそ、様々な人生における記憶、歴史、思い出が染み付いているはずだから。
そこに汚いとか傷がついているとかそういうことは全然重要じゃない。
物にだって『命』がある。
人もそうだけど、完璧な物なんてこの世に存在しない。
不完全だからこそ、一緒にいる。
それは家族、友達、会社の仲間もそうだ。
物だってきっとそう。
今、僕にこの強迫性障害を通してこう問いかけられていると思う。
『あなたにとって人生で大事にしたいことって何?』
それに対する僕なりの答えはこうだ。
『人生は物でできていない』
けど、
『物は人生において幸せのサポートをしてくれる存在』
だと僕は思う。
だからこそ、僕が人生において大事にしたいことは、
『本当に大切にしたい人と幸せの時間を共有していくこと』
そのために物が存在してくれている。
物にだって命がある。
だからこそ全ての物に感謝してどんなに傷がついたとしてもそれに愛着を持ち、人との思い出の一部にしていく。
物が幸せを運んでくれるのか、それとも逆になるのか。
今こそ、自分自身で選択するときだ。
そう胸に刻んで、人と物にこれからも向き合い続けていきたいと思う。
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『人生はいまここにしかない』
『成功を求めるのではなく、誠実さを求めよ』
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