プロ奢贈与研究レポート5通を提出して、思った事。
目次
0.私が提出した5通のレポート
1.そもそもなぜプロ奢コミニティーに参加している理由について
1.プロ奢という人間の観察、オンラインサロンがどういったものか経験する為。
(オンラインサロンについては、その概念の考案者の岡田斗司夫の「ぼくたちの洗脳社会」↓(全編無料公開なので誰でも読めます)について全部読んだぐらいの知識と、
数年前に一月万冊というサロンみたいなのに参加したぐらいの知見しかなかった。) 2、以前所属していたサロンで得た気付き↓
⚪︎利点、福祉的意味合い。あとは自分の自我では得られないものが得られる。(視点、知見、経験、情報源等)
⚪︎欠点 サロン内の目標、目的が自分の目標、目的に知らない内になってしまっている。親しみを多いに感じていたので、取り込まれてしまった。文字優位な人間は言語的拘束されやすい事に気がついた。
⚪︎限界 結局サロンは集まってくる人次第だなと思った。
プロ奢サロンは…
2.プロ奢コミニティーについて…
数年以内にプロ奢サロンは潰れるか、少数の意識高い系の人間達が支部みたいなのを作ってそう。もう出来ているのか…
プロ奢の妖怪村(妖怪コミニティー)完成形とは?今はまだ中間地点ぐらいなのか?謎…またはプロ奢サロン出身者を色々な界隈、業界に活躍すれば、プロ奢は、フィクサ的な存在になるのかなと。とはいっても現状は秘密基地みたいな遊び場(良質な砂場?)でしかないが…。
私にできるのは何かと考えたらば、構成員達の意識の底上げ、自己肯定感を上げまくるか、良質な何かを教えるぐらいなのかも?そこでの私の立ち位置は。あえて黒子に徹するか、積極的に交流するかの二択ぐらいかと今現在思っている。どちらにしろ精神的にしんどそうだし…あとアニメ視聴時間も減りそうで嫌だ…
3.プロ奢贈与研究所一般公開レポートについて…
プロ奢贈与研究所のレポートは全部で22通。(私は5通)私いれて18人しか書いていない。プロ奢のツイーターのフォロー数は約10万、noteは確か1万もいるのにもかからずに。意識的にユーザーが少なく、サイレントユーザーが非常に多いようだが、これはインターネットで遊ぶという行為がマイナー遊びな為か?
プロ奢贈与研究所のレポートを全体的にみて、贈与というスキルについて悪い視点がない事に気がついた。
まず、贈与とは、色々な性能、役割があり、贈与といういわば一種のスキルを習得でき使用できると、多分抽象度が高いレベル的に言うと、全ての人間的な営みに応用が出来たり
抽象度が低いレベルでに言うと組織での立ち回りや人間関係で身の振り方について苦悩しなくなると思われる。
簡単にいうと他者を自分の欲する方向性に誘導、人間関係のマネジメント(平たく言うと洗脳)する事がいともたやすくできるようになるのではないかと思われる。
詳しい性質や機能については、プロ奢贈与研レポートに譲る。
贈与スキルは文学・世俗的な言葉ならば、処世術、人心掌握、交際術というものに近いものではないかと思われる。
世俗で生きたり、人間的な営み世間をする上では必要だが、古代ギリシャの哲学者ディオニソスみたいに樽の中で獣と一緒に暮らす生き方をしたりすれば全く持って必要ない。そういったような否定的な視点がなかったが?
4.プロ奢サロンの利用規約について…
完全アフレコとか書かれていたが、一般公開された、プロ奢研究研レポートでそれは潰れたのではないかと思われる。プロ奢か、プロ奢コミニティーの幹部の方々(ゆーさん、伊予柑さん、白紙さん等)の許可があれば情報は外に簡単に漏れそう。または、一般公開するnoteに上手くバレないように忍び混ませれば流出は可能かと。
5.5通のレポートで言語化が曖昧だったものを再度言語化
1.「深夜になんだかよくない感覚になったについて」
なんだか良くない感覚とは→
興奮してハイになってどこか遠くいって、帰って来れなくなるものでは思ったではないかと思われる。感情に溺れてしまい、我を忘れてしまうのでは恐れ。
2.「先んじて、noteカンパするのは非常に有利だと思った」
→先んじてカンパする事が有利なのは、記憶に非常に鮮明で強烈な印象を残す為。あとはこじ付け的かもしれないが、カンパした人が次に別の人間にカンパされたときに最初のカンパされた記憶は大抵再び思い起こされる、そして、やがて歳をとると記憶は曖昧な朧げなものとなる。その朧げな記憶を知り合いや友達、または家族が出来、子供や孫に話す時に誇張されたり、尾鰭がついたりして、神話、物語性を帯びた生き物にみたいなものになるのではないかと思われる。
3.自分の恥ずかしい部分が抉られる
→多分自分の化粧されてない素の部分をインターネット空間に出していることへの戸惑い感?羞恥心みたいな感情ではないかと思われる。
4.野良猫にツナ缶をあげて、非常に幸せな気持ちになった。→幸せな気持ちになったのは単に猫好きな為。猫が食べているところを想像したため非常に幸福感に満たされた。あとは人間だけへの贈与ばかりすると世俗的なものや、人間的な関係性などに囚われるのではないかとなってしまうのでは思った。それが通用しないか動物ならばどうなるかと思ってやってみた。
5.予想外の私への贈与については、
最初の印象は予想外だったので驚いた、noteの内容を具体的に褒めて自己肯定感/自尊心を上げたり、noteのネタを考えたりしたお陰ではと思うようになった。
何故、noteで具体的に褒めるかと言うと、金銭的なカンパだけだと、金額が多いか時期が良い場合は印象に残りやすいが、結構金持ちや時期が良くない場合は通用しない、しかし文章をしっかり読み、感想を書けば(抽象度を上げて問題点を指摘すれば尚良いかも?)どんな階層、階級の人間にも響く。読んで感想を書くことで、相手は自分の書いたものを読まれた気持ちよさや、しっかり読み込みんだ誠意に心打たれるのではないかと思う。自分を肯定された様な気持ちに浸れる。贈与の威力を上げるには贈与を何重にも階層的にした方がよいという事。
6.私のレポートに対する反響
たかだが200程度のカンパ(サポート)程度でここまで反響が来るとは想定外だった…私はレポートの体裁を蔑にしたので、批判コメントが大量に送られてくると予想したが、杞憂であった。どうやらは私は自分自身を過小評価していた事に気付かされた。自ら実験して、それを文章にする事自体が当たり前にすごい事らしかったのは盲点だった。
7.最後に…
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ここまで私の実験的な文章を、読んでくれて、ありがとうです。d( ̄  ̄)
それでは、次の機会にまた会いました。👋
後で返信します。