【映画一日これ一本】第1回 エミネムってすっごーい
人生は短いのに年1000本以上公開され続ける映画。毎日新しく1本見ても生きてるうちに見終わらないのでは?と気付いたので『同じ映画は二度と見ない』というルールのもとあらゆる手段で実行していくことに。この連載では映画を見て考えてみたこととその日あたりに思っていたことについて気ままに書いていきます。
こちらはあるいるnoteの共同マガジン「エンターテイメント研究会」にて連載しています。連載単体のマガジンはこちら
アガサ・クリスティー ねじれた家
映画におけるモノローグはなかなかむず痒い。回想であったりそれ自体がメタ視点になっている場合は受け入れられるが、自分語りのようなものはどう見ていいか解らない(中に入っていけない)ので困ってしまう。おそらく人生を覗き見しているつもりなので、思っていることまで聴こえてくることに違和感があるのかもしれない。
これが小説だと割と普通に受け取ることができる。自分=主人公のつもりで読み進めていく(視点がそれしかない)ので、行動原理を自分で自分に説明することは自然に受け取れるし、そのまま内面的成長も表現できる。(むしろそうでないと誰に感情移入すればいいか解らないと思う。)
映画は映像表現なのでセリフではなく表情や態度など演技で表現することができるものだと思う。「ホントはこう思っているがひた隠している」演技などは映像でしかできないし、受け取り方を限定しない(わかるひとにはわかる)ものにすることで商品ではなく作品という立ち位置を守っている気がする。
正しく伝えるべきなポスターやテレビ番組等は文字情報が多く、受け手に委ねられている音楽や絵画などは文字情報がほとんどない。消費と干渉の境界線がそこにはあって、限定される情報のない物の方が余白があり敷居が高く感じる。理解しなくて良い物(ただなんか良いなぁと思えるもの)に触れる機会がある方が豊かな人生を送れそうだが、そうしたことを逆手に取り「よく解らない物を良いという自分」を演じてしまう場合もある。そうなってくると芸術も消費されているので難しい。
それはさておき、クラシックな推理小説は結構シンプルで、単純に言えばあっと驚くトリックと犯人にたどり着くまでが描かれるものが多い。現代の映画はもっと入り組んでいて、何段階も展開が折り重なる複雑さを持つものが多い。そうでなければつまらないと言われてしまうほど、目が肥えているのだと思う。
あっと驚かせるのが醍醐味だとすれば、自ずと怪しそうな人は犯人ではないし味方っぽい人は怪しく見え、だんだん解ってしまうかも。でもそんなあらすじを追うだけの人生で果たして良いのだろうか?このシンプルさに物足りなさを感じたらさあ大変、娯楽も決して楽じゃないなという一本。
8 Mile
ラップといえば「韻を踏む」というイメージが持たれがちだが、そもそも英語圏における「歌詞」が「韻を踏んでいるもの」だと知ったのはわりと最近のこと。それまでは「ラップだけが韻を踏むもの」という独自の文化なのだと勝手に思い込んでいた、というか特に考えることもなかった。日本の歌詞は韻を踏むことがルールでというわけではないので、その不自然さも含めてなんとなく受け入れていたのかもしれない。
もともと韻を踏むものである英語圏の歌詞が、時代を経てより細かいリズムかつ言葉遊びを格段に増やすのはとても自然に思う。突然変異というよりは純粋な継承と進化なので今も広く大衆に受け入れられているもの納得できる。日本ではそのラップという発展した段階を珍しく「正しく」取り入れたので、違和感が大きかったり記号化され敬遠されるものだったのかもしれない。最初から韻を踏まない方が自然に広まった可能性もあるが、そこに「日本語で韻を踏む」という挑戦があったことで日本語における歌詞とメロディーに進化があったのような気がする。まるで音楽の世直し、先人はやはり偉大である。
そんな話をしたりしなかったりするラジオで、「エミネムの何がすごいのか?」という話に。答えは「とにかく韻を踏みまくってる」とのこと。なんでも徹底的に踏まれているらしく、あっけなくてわかりやすい理由だなと思った。やはりすごいものはわかりやすい、MCバトル日本一とかDJバトル世界一なども伝わりやすい。「オンリーワンもその分野のナンバーワンなんだよ」って誰かが言ってたように、とにかく一番を目指すのは大切なことに思える。
そんなエミネムと実力を知っている仲間たち、ややこしい家族と都合よく現れる恋人候補による特に大きなことは起きない日常系ムービー。短期間なので主人公も仲間たちも特に成長するわけでもなくありのままのトラブルが起きるそこで暮らしている気分になれる作品。不可解なヒロインも含め、もうちょっと見せて欲しいと思える一本。
劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜
空気が読めてしまうと、必要以上にその場しのぎがをしまう場合がよくある。それをなんとも思わない(むしろそうしたい)人にとってはなんてことないかもしれないが、それをみっともないと思っている場合はなかなか辛い。最善(うまく収めるもの)のルートは光って見えているが、心の中では最良(自分と周りのためになる)のルートを選びたいと思っている。どちらを選んでもリスクがあり、それが解っていながら選ばなければならないのだ。このようにいわゆる不器用な人だけが辛いという単純な話ではなく、誰しもが生きづらさを別の観点から感じていると思う。
本作の主人公はどこにも属さず、それでいて人当たりもよく深追いしないさっぱり永世中立国な印象。内に秘めていたり感情を吐露するのが単純に下手など本人なりの葛藤はあるが、外から見ればうまくやっているようにも見えるし、そう見えても仕方ないことも自覚している。この絶妙な感じも妙にリアルであり、このような些細な積み重ねで日常はどうにでも変化していくよなと思う。自分たちが普通に生きてる現実だって同じようなドラマが起こっているけど、別の角度から見るとなにも起きていないようにも見える。たいしたことのない大問題で人生は構成されているように思う。
全力を出し切ることは結構難しく、自分の限界を他人と比べた時大したことないと思ってしまえばそれは頑張っているとは言い切れないと考える人もいる。自分が嫌だと思っていることが、他人も嫌だと思っているとは限らない。料理が面倒だと思っている人もいれば、料理が好きな人もいる。試合で活躍するためだけに練習をする人もいれば、練習の時点から達成感を感じながら楽しめる人もいる。
全ては自分の物差しだけで判断してはいけないし、自分を守るために個人的なトラウマを押し付けてしまう方が相手に迷惑をかけてしまうこともある。自分はこうだけど、君はどう?という視点が改めて必要なんだなと考えることが自然とできる作品。またこの世界を覗かせて欲しいな〜と切に願う一本。
プレデター2
恐怖とは、大体が解らないことに直面したときに感じるものだと思う。暗闇が怖いのは見えない=何がいるか解らないから、外国人が怖いのは何を言っているのか分からないから、急にキレる人が怖いのは何を考えてるか予測できないから、サメやゴキブリが怖いのはどこからいつ現れるか解らないから、死ぬのが怖いのは死んだらどうなるか解らないからなどなど。世の中は恐怖で溢れているけど、知ることができるものは結構解決できたりする。
プレデターの一番の恐怖は強さや醜さではなくやっぱり動機。あんな理由で攻撃されたらひとたまりもないけど、同じようなことがプレデターでなくても現実世界にもあるような気がする。話の通じない相手も理解できない思考回路の人もどこにでもいて、人間は普通にプレデターだよなと改めて思う。
よく「相手の気持ちになって」と言われるが、実際はなかなか難しい。毎朝起きて「死にたい」と思っている人の気持ちを朝日を浴び「今日も頑張るぞ」と心から言いながら起きているやつに解るわけがない(むしろ解るなんて言ってはいけない思う)。解っていないのに解ったふりをする人は沢山いるし、それが優しさだと勘違いしている人もいる中、正直に『他人のことなんてわかんねぇよ』という態度で臨むので東野幸治はサイコパスと言われるのかもしれない。でも解らないということ示した上で、相手がどうしてそうやって考えるのかと歩み寄ることが一番の優しさではないだろうか?【解らない=怖い】で片付けることなく、どういうことですか?とできるだけ理解しようとする。共感はできないが、思考の階段を理解する。それが本当の優しさなのではといつも思っている。東野幸治、とても尊敬に値する人物である。
静かに絡み合う脚本により主人公の動機付けなど必然性を感じる中、プレデターの動機だけは1作目同様荒唐無稽でこのアンバランスさがとても小気味よかった。だいたい理解した最後の表情が恐怖からの解放を物語っているような気もする(解決したのかは置いておいて)。爆発のし方、街の色合いなど冒頭はまるっきりリーサルウエポンの世界観だな〜と思ったらダニー・グローヴァーが出てきて面白かった。サーモグラフィーなどあの時代にしかない空気をしっかり味わえる一本。
いまのことコラム
8/5に日本の宝こと石原夏織の新作がリリースされてからはおはようからおやすみまで無限にループする日々。人間的に魅力があるのはもちろんのこと、声優という枠では収まりきらないほど全力でアイドル、しかもダンスボーカルという最も険しい道をいつでも完璧に仕上げているプロ的な凄さ、そして楽曲派にありがちな「こう見られたい」というハスりや下心も皆無。決してファンを置いていかず誰でも聴けるかつ貪欲に新たな表現に挑戦し続ける姿に素晴らしいと思わざるを得ないのである。
過去全曲と共に抜け目のない仕上がりと声優の良さ全開で抜群の歌唱を披露しつつ、ライブではハロプロをルーツとした激しいダンスでいわゆるK-POPアイドルのような完璧さに近いアイドル像を体現。それでいて日本的な楽曲と本人の抜けの良さに親しみを感じずにはいられないというまさに沼からの沼。キャリさんの底抜けの明るさと安心感に今日も生かされながら、ラジオまでを聴いてしまえばもう抜け出すことはできないのであった…(つづく)
<本日のおすすめ>
「石原夏織のCarry up!?」
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アーカイブ:文化放送超A&G YouTubeチャンネル 水曜12:00公開
「小松未可子・石原夏織のFUN'S PROJECT LAB」
文化放送 毎週日曜 22:30-23:00
石原夏織『Water Drop』
8/5CD・配信リリース(各種サブスクは9/4〜)