「アイドル的存在」と「アイドルという職業」の区別

※以前も書いたらしいけど全く記憶にはない「アイドル」という言葉について、今はこんな感じに思ってますという文章です。

「アイドル的存在」だった人たちの多くがやっていた職業のことを、いつしか「アイドル」と呼ぶようになったので色々ややこしくなってるんじゃないかなと最近よく考える。

というのも、大谷翔平のように「アイドル的存在」といえるが、職業は野球選手みたなケースも沢山存在するからだ。歌舞伎界、ミュージカル界のようなショービズの世界からスポーツの世界まで津々浦々、将棋界にすらアイドルは存在する。

そして「アイドル的存在」でも「アイドルという職業」でも、同じように「アイドルとしての理想」が求めれられがちである。最近の理想はもっぱら模範的な人間といったところ。品行方正、俗に言う「いい人」であれというもの。

和田彩花さんのように、「アイドルという職業」に対して労働環境を改善したり言葉の意味を拡張しようというとするのはとても興味深いし、そういう世界になればいいとは常々思っている。

ただ問題の半分くらいは「アイドル的存在」に求められていることからの脱却でもあるので、なかなか難しそうだとも思う。「職業として」改善していきたい中に、そこにビジネスとしても取り込まれている「理想像として」という異なる視点が入り混じってしまっているからのように思う。

アイドルについて議論を交わされる時、同じ言葉なのに各々が思う「アイドル」を軸に話すので、すれ違っているなと感じる場面が多い。こうなったらもう一つ言葉を作った方がスッキリしそうでもあるけど、そう簡単にはいかない。影響力がある誰かが言い出さなければそう簡単に定着はしない。

こう考えたのは、数年前から「アイドル」を職業として語られている(志願すれば誰でもなれるというもの)ことへの違和感がずっとあったからに他ならない。

歌手やダンサーにはそれなりに練習すればなんとかなれる可能性はあると思う。職業としてプロになることはどの分野でもできる。ただその人が「アイドルかどうか」は見てる人が決めるんじゃなかったのか、ということである。「私はアイドルです」は「アイドルという職業です」の意味なのか、「アイドル的存在です」という意味なのか。もちろん後者を言ってるのはなかなか変なので誰しもが思いつくことでは無いだろうけど、言葉は同じなのでとてもややこしい。

もちろん人間が抱く理想像なので、ある程度偏るのはわかる(いわゆる年齢の問題もここに起因してくるように思える)。理想の人物像が近ければ、やる方すらもそれを目指し、次第に職業化していくのがこの世の仕組みではあるので自然なことに思えるが、あまりにもビジネスすぎるのではと正直思ってしまう。

なにはともあれこの言葉のすれ違いをなくすことがアイドルをひとつ進めることになりそうな気がするし、別にそんなことでも無い気もする。言葉の意味は変容していくのがこの世の常なのでこれからも気にしていきたいところ。今のところここまでです。

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