全てのエンタメはストーリーを消費するということだった
よく映画みたいな人生というけれど、実際は映画が人生みたいになっている。というか、そうでないと人間にとって理解できないのでそうなっているのだと思う。
やっぱり人間は人間しか愛せなくて、人間以外のものには人格(性格)を与えて擬人化することで愛するなど工夫をしている。動物やぬいぐるみに話しかける、などはそう言った類のものである。人間なので、相手も擬似的に人間的なものに置き換えなければ応対できない。
そんなこんなで人間が毎日やっていることといえば、人生だと思う。朝起きて会社や学校へ行き夜帰ってきて寝る。1日でもこれだけのことがあるが、長いスパンで見ればもっといろんなことがあり、そしていつか死ぬ。書き出してみればそれは確実にストーリーになっている。
一番身近、というか人間の主な活動が人生なので、娯楽も「人生みたいなもの」になっている。先ほど述べたように、人間は人間しか理解できないからである。
他人の人生だろうが見るだけ、知るだけで擬似体験をする。実は全てのエンタメがそうなっている。全てのエンタメがそういうふうに出来ているのか、そういうものしかエンタメとして楽しめないから残っていないのか?もちろん両方関係がありそうである。
解りやすいものでは映画やドラマは言われなくてもわかるくらいストーリーを追っていくこと自体が目的となっているエンタメである。あっと驚く展開が消費にはもってこいである。
漫画や小説などもストーリーを追うものである。特に漫画は想像力がなくても受け取りやすいので入りやすいエンタメとも言える。
音楽も人気があるものはストーリーを含むものが多い。松任谷由実、さだまさしなどストーリーテラーは昔から存在していたし、BUMP OF CHICKENが広く知れ渡ったのも「k」のフラッシュ映像だったりする。近年ではYOASOBIが言わずもがなである。
コントや漫才もストーリーを追いながら裏切ったり緊張と緩和を仕掛けていくものである。そこから映画を撮ったり脚本家になったりとストーリーを軸に仕事ができるのも自然に感じる。
バラエティですら、この先一体どうなってしまうのか?というストーリーが描かれている。たとえフリートークであろうと、そもそもトークがオチに向かって走るストーリーなのでここでもストーリーからは逃れられない。
トークがストーリーなので、もちろんラジオもストーリーになる。トークの内容だけではなく企画やラジオパーソナリティがどう売れていくかというドキュメンタリー要素もあるストーリーである。
ドキュメンタリーといえばオーディション番組も誰が受かるのかまでのストーリーである。誰かが必ず落選するという世の中でもっとも残酷な消費対象にも思える。
絵画や現代アートもストーリーである。まず制作した背景を聞いてしまえばそれはストーリーの消費が始まり、たとえ自分で意図を想像したとしてもそれすら(架空の)ストーリーを消費していることになる。
そしてニュースですら、ストーリーである。どのような経緯で事件が起こったのか、それを確認している時点でストーリーとして消費してしまっている。現実ですら、ストーリーなのだ。
つまるところストーリーだらけ、自分というキャストを降りられないという現実もあるからか、作り話でもしっかり感情移入できちゃうのかもしれない。自分のストーリーも少しでも良いものになれば良いなと思う。