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Re:ゼロから始まる派遣生活!

どうも、現役派遣社員のキヨです。

今日は、題名にもある通り、私が異世界に転生されて、何度死を経験しても生き返ってきた話をしたいと思います。

・・・すいません、ふざけすぎました(笑)

というわけで、勝手ながら本題に入っていきたいと思います。

私は、プロフィールにも最初の挨拶にも書いていますが、現在は派遣社員として働く者です。

現在の日本において、派遣社員の立場は弱者であることは、皆さんも理解しているところだと思います。

そんなことはないという人がいるかもしれませんが、私は人材アドバイザーとして派遣会社側の人間でもあったし、現に派遣社員という当事者として感じていることなので、割と正しいのかなと思っています。

ではなぜ私が、派遣社員として働いているのか。今日はそんな派遣社員となった一つのきっかけについて書いていきたいと思います。

初めて書いた記事は自己紹介の記事で、その記事の中にも少し書いたのですが、私の20代の社会人生活は、他人から見れば順調で、少しうらやましく思ってもらえるくらいのキャリアはあったかもしれない。

それでも今、派遣として働くのには20代に経験した大きな失敗によって、一度死にかけたことがあったからかもしれません。

順調なスタートを切った新入社員時代

私は、大学を卒業後にリゾートホテルを展開する会社に入社しました。

私の学生時代は就職氷河期と呼ばれる時代で、そのことを考えると就職できたこと自体が、何よりうれしかったことを覚えています。

そして、新入社員研修を約1か月、同期と共に過ごしました。

この研修では、会社の基礎知識や、接客業としてのマナーはもちろん、会社の将来を担うための、向上心と成果を上げるための競争心を強く植え付けられたことを今でも覚えています。

当然、社会人として出世やお金に興味がなかったわけではなかった私は、社会人になったという自覚と共に、会社の為に働き、その評価として出世したり、お金がもらえるのだから必死に他の同期に負けないぐらい頑張ろうと強く思ったのでした。

そうした経験をした中で、配属先も決まり、ついに現場での仕事に入っていきました。

現場では、最初のころは失敗もありましたが、周りの先輩やパートの方々に支えられて、楽しく働いていました。

そんな順調なスタートを切って、とにかくがむしゃらに何事にも挑戦しメキメキと成長していった私は、どんどん仕事の中心に入っていったのです。

すると、入社した時に目指していた出世の道が少しづつ見えてきたのです。

出世を目指す中で生まれた危険なマインド

そんな、順調な日々を過ごしていた私ですが、求められる仕事が増えるにつれて、仕事量も増えていきました。

書き忘れていましたが、最初はホテルの中でも中核を担うフロント課に配属され、お客様を最初にお出迎えする仕事をこなしながら、レストランや清掃スタッフなどに、お客様の情報をいち早く伝えたり、当日の現場の仕事をこなしながら、その業務が落ち着いた頃に、翌日以降の予約のチェックや、団体受け入れの準備を毎日のようにこなしていました。

それに加えて、新入社員の指導やアルバイトスタッフの指導など、中心に入っていけたからこそ与えられた仕事も多くなっていったのです。

正直、この時はつらいという感情よりも、純粋に自分の能力が評価されている気がして嬉しかったのを今でも鮮明に覚えています。

そんな中で、周りや上司の信頼を勝ち取り、2年目が終わり、3年目入ろうとした頃に、大きなチャンスが訪れたのです。

それは、レストラン部門に異動し、店舗の現場責任者としての異動でした。

レストランは3店舗ありそのうちの1店舗を任せていただくことができたのです。

正直・・・飛び跳ねて喜びましたよ(笑)

他の2店舗の責任者は係長として役職があり、その人たちと同じ立場になることができたので本当にうれしかった。

しかし、会社のルールがあり、新卒の社員は5年間自動昇給がある代わりに、役職が上がることはできないというものでした。

そのため、役職が上がることはないが、自動昇給が解除されるまでの準備期間だと思って頑張ってほしいと、当時の総支配人に言われたました。

将来の出世が約束された気がして、むしろ頑張ろうと思う気持ちが増していくのを感じました。

それと同時に、この期間にミスや失敗をしたら、出世ができなくなるのではと感じ、自分に対してミスや失敗を許さない感情が芽生えたのもこの時だったのかもしれません。

それでも、目の前に出世が見えたことのほうが輝いて見えて、そこに向かって必死に走ることを決めました。

本当は、向き合わなくてはいけない感情に目を背けていることに気づきもせずに。

走り続けた先には残酷な結末

店舗責任者としての業務は、売り上げの管理や人員の確保、人材育成など、今までとは比べ物にならないぐらいに増えていきました。

そんな業務に対して責任感を持ち、明るい未来を信じて走り続けました。

そんな中で、失敗することも、もちろんありました。

人が辞めれば、代わりに自分が出勤する日数を増やしたり、売り上げが落ちれば、人員を削って自分が出勤する回数を増やしたり、すべてを自分自身に失敗の穴埋めをさせたのです。

なぜかというと、失敗したことで周りの人に対して迷惑をかけることが許せない自分がいたのです。

その根底には、周りではなく自分に課すことによって帳消しになる気がしていたのです。

こうして、すべてを一人で抱えてしまう状況を自ら作っていたのです。

ミスや失敗を周りに見つかってしまうと、評価に影響が出るかもしれないと常に思うようにいつの間にかなってしまっていたのです。

それでも、自動昇給の期間が終わる日まで私は、常にストレスを抱えながら、睡眠時間を削りながら、耐え抜いたと思えた入社5年目の1月に、人事担当の方が訪れてこう告げられました。

【来月から、○○県のホテルに異動をしてもらうことが社内で決まった。】

あって早々に多少の雑談をして、言われた一言だった。そして、話はこれだけでした。

多分、ほかにも色々と話していたのだろうけど、何を話したのか全く覚えていない。

ただ一つだけ確実に覚えていることがあります。昇進の話は一切していなかったことだけは明確に覚えています。

そして、少し冷静になって考えているときに、総支配人に呼ばれ、今回の異動に関して話すことができたので、自分から言うのは少し身が引けたが思い切って聞いてみた。

【今回の異動は、昇進も込みでの異動と捉えてよろしいのでしょうか?】

総支配人は、言葉を選び濁しながら、話した答えはこうだった

【もちろん、今回の異動は前向きな異動であって、その可能性はこの先、十分にあり得る】

???

【ただ、異動してすぐに係長というわけにもいかないというのが会社の判断で、異動後の状況を見てという事になると思う。だから、今まで通りの持ち前のやる気をもって頑張ってきてくれ】

この言葉を聞いて、またやる気をもって頑張ろう・・・と思うことはもうできませんでした。

そんな体力は、私には残っていなかったのです。むしろ、これまでにかなり無理をしてきた代償を清算する時が訪れるきっかけになったのです。

感情はなくなり、頑張る気力が沸き上がってこない。必死に駆け抜けてきたこの時間は少しずつ気抜けしていくのを感じ、感情がなくなっているので、多分ですけど今まで自分を支えてきたであろうアドレナリンがなくなって、一気に体の至る所がダメになっていることを感じました。

そして、一番に違和感を感じたのは【目】でした。

目がずっと痙攣を起こしていたのです。その後、眼科に行くも違う病院を紹介され、精神科に通院することになりました。

そんな状況で、異動することはできないと判断した私は、異動を断り退職する道を選びました。

ここから得た教訓

こんな私の過去を書いているだけの記事なのに、ここまで読んで頂いた方がいるのであれば、本当にありがとうございます。

そして最後に、こんな反面教師な私が言うのも変な話だとは思うんですが、この出来事から得られた教訓は、

【やる気は行動の原動力にもなるが、同時に自分を壊すものにもなる】

という事です。

もちろん、やる気をもって働いたり何かをするという事はとてもいいことだと思います。

しかし、その反面、頑張りすぎたり夢中になりすぎると、減速することもブレーキをかけることもできない状況を作ってしまう可能性もあります。

私は、未熟が故に、その方法がわからず自ら間違った方向に進んでいってしまいました。

だからこそ、もし会社という組織において、上にいる立場の人が見てくれているのであれば、そんなやる気のある部下を見て、時にブレーキをかけてあげることも考えていただければ、ちょっと嬉しいですね。

正直、会社を恨んだこともありました。

自分は悪くないと言い聞かせることしかできませんでした。

本当に愚かな反面教師です。

しかし、私は一度死んで、蘇り、成長することはできません。

だからこそ、そんな経験をした私は、給料は一向に上がらないけど(笑)昇給や出世を考えることもない、20代の私からしては考えられない、派遣社員という名の異世界に足を踏み入れたのかもしれません。

ただ、【それだけの物語】です。

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