忘れられない物語~魔法騎士レイアース~
魔法騎士レイアースってご存知でしょうか?
私が小学生の頃ものすごくハマった漫画であり、今でもとても印象に残っている大好きなCLAMPさんの作品です。
その中に出てくるエメロード姫の選択がとても切なくて‥
虹視力Rの視点も交えて、感想文を書かせていただきます。
自分だけの幸せを願うことはいけないことなのか??
物語の舞台は異世界のセフィーロという、意志の力が全てを決定する不思議な世界。
3人の少女が異世界に召喚されて、攫われた姫を救い出すために、敵と戦いながら成長し、ラスボスのザガートを倒す、
一見よくあるストーリーなのですが、、、
なんと、これ最後にどんでん返しとなり、
主人公3人の少女は、「こんなのって、こんなのってないよー」と泣きながら元の世界(東京)に戻ることになるのです。
嘘でしょ!??
小学生が読む漫画(当時なかよしに連載)でこんな悲劇的な話ありなの!??と
今でも盛大に突っ込んでしまいます💦
そう、ラスボス倒してめでたしめでたしでは無いのです。
何故なら、エメロード姫は、攫われた訳ではなかったから。
自分の幸せ、自分と愛する人だけの幸せの願ってしまう自分をどうしても許すことが出来ず、
自らを罰するように水牢に入っていただけだったから。
(アニメと漫画では若干解釈が異なります。)
自分の本当の気持ちを極限まで抑え込み、自分を追い詰め、
エメロード姫が自分で決めた切なすぎる選択が、沢山の人を苦しめ涙させる結果となるのですね。
(エメロード姫は、虹視力®でいう体液バランス冬夏さんかなと思います。とても誠実で優しい思いやり溢れる性質がとても犠牲的な方に傾いてしまっているのが切ない。)
エメロード姫の全ての人の幸せを願う博愛と慈愛の精神はとても素晴らしいし、儚げな姿もとても好きなのですが、
エメロード姫にとっては、全ての人(国の人)は、自分か守ってあげる、幸せにして「あげなければならない」人達だったのだと思います。
まずは、世界の平和を維持し安定させる「役目」が先で、自分自身の幸せは後のあと。
そんな姿を見た神官ザガートは、エメロード姫に幸せになって欲しい、もっと自由になって欲しい思いがあったのですが‥
エメロード姫は、自分だけが幸せになること、自分の愛する人だけの幸せを願ってしまう自分を許せず、
結果的には「悲劇」を生むことになってしまうのでした。
エメロード姫自身が、
自分が幸せになることで幸せを感じる人たちがいるってことが、理解できていたらまた違う結末だっと思うのですが‥💦
このように一人の「個」としての幸せか、世界の「多数」幸せかを問う物語って色々あって、
例えば、新海誠監督の「天気の子」では、一人の少女の命を犠牲(人身御供)で、
日本の天候全てが安定することがわかっているとき、どちらを選ぶのかというテーマがありました。
(この結末も結構驚きましたが)
エメロード姫は、作品の中でセフィーロという世界を支える「柱」と呼ばれていますが、
支え手という意味では、人身御供に近いかも‥と今なら思ってしまいます。
悲劇で終わる第一部ですが、魔法騎士レイアース2もありまして、
ここでは、きちんと未来に希望が持てる形で完結します☆
意志の力が全てを決める世界セフィーロの「柱制度」の是非、
一人の人が全てを支え、変えて、選べてしまうことの是非、
子供向け少女漫画と侮ることなかれ!是非読んでみていただきたい作品です(◡ ω ◡)
でも、どんな悲劇的な作品も、「自分の幸せが他の人の幸せにも繋がる」という高い視点と
「人には人の幸せがあり、私が幸せにしてあげなくても自分で幸せになっていける人たち」という高い視点が掛け合わさったら、
回避できるのかもしれないなと思うのでした。
自分を幸せに出来るのは自分だけなので、自分の幸せを他の誰かに譲ったりしないでくださいね♡
お読みいただきありがとうございました✨