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「東京日和」荒木陽子 荒木経惟
大半が写真なので一瞬で読了。
一瞬で号泣。
アラーキーといえばヌードを撮ってる鬼才のイメージしかなくて
女性モデルの虐待告発のニュースも記憶に新しい
クレイジーな芸術的なヌードを撮るカメラマンで
割とサイコな、芸術に魂を売った、というか
血も涙もない怖い系の人、と思ってたんだけど
この本には、生前の陽子さんとの仲睦まじい様子が写真と陽子さんのエッセイが綴られていて
陽子さんのエッセイにもアラーキーの撮った写真にも愛情が溢れている
こんなに温かい写真も撮るんだな、と思う
写真には撮る人の気持ちが写りこむ、と私は感じているんだけど
例えば交際したての彼氏が撮ってくれた写真は
何割り増しかで可愛く写っていて驚く事が何度かあった
自撮りで調整したのとはまた違う良さがある
恋をしてくれている彼の目に写る、ある種の補正がそのまま写りこむ
撮られる方はリラックスして良い表情をしているし
撮る方も、相手の一番かわいく見える表情、瞬間を捕まえようとする
友達や知り合いに撮ってもらった写真とは全く違うと思うし
昔何度かプロのカメラマンさんに撮ってもらえる機会があったが
仲の良さや愛情度で写りが全然違った
なんというか、少し口説いてくるような人の方が興味を持ってくれているのか
とても綺麗にかわいく、別人のように写っているし
そうでないときは自撮りの方がいいなぁなんて思ったりする事がある
上手なカメラマンは綺麗に撮る為に、わざと口説きモードに入ってるんだろう
カンパニー松尾のハメ撮りと同じく
被写体をその気にさせていい表情をさせる
自分もその気になっていい表情を探す
少し話が脱線したが、この本にある陽子さんの写真にはそういう愛情が、アラーキーの愛しさ溢れる眼差しが感じられた
そんな愛情いっぱいの一章のあと、陽子さんが亡くなったあとの二章では
アラーキーの手書きの日記が綴られていて
かなり癖のある字で読めない箇所もあったのだけど
毎日書かれる手書きの「ヨーコ」の字にひたひたとした哀しみが伝わる
まだ知り合いが亡くなった事がない私は体感したことないけれど、読んでいて痛々しさに胸がキリキリする
喪失感と、まだ受け止めきれず陽子さん宛に近況報告の手紙のような文章を書き続ける
続く三章も「廃墟で」というタイトルで
陽子さん亡き後の自宅や近所の風景写真が続く
荒れたベランダの写真が痛々しく、美しい
悲しいが、セクシーでもある
人は写っていないのに
ラストの四章では
カラーの写真で陽子さんと訪れた場所の写真と
アラーキーのコメントが続く
ここでは時折涙を浮かべ微笑みながら思い出を語るような
離別の哀しみからの再生をスタートした心境の変化を感じる
平野勝之の「監督失格」という映画にも似た
愛する人であり、ミューズである人を失うアーティストのドキュメント