御三家呼ばれてちやほやブイブイ言わせてた高校時代〜ホモサピエンスに入るカオス
山
田
北
人
おー中心で半分に折れて対称!!
(よく見て厳密には真対称じゃねーっ!)
(だいたい対称はもう対称)
やまだほくとです。
名前だけでも覚えてくださいね!
今回は
・モテたって話
・サピエンス全史人類の歴史
この2つの話しを繋げる。カオス模様は変わりません。
モテ期というのは誰にでもある
人生の中で3回ある
そんな話を聞いたことがないか。
わいほくとは
ある
そしてこの話はモテ期の振り切った自慢話しになる。。キモい自慢話も振り切れば割とニヤれる。
募るところ結論はモテ期自慢
モテたいって?ふぅー。全くしゃーねな、男ってのはみ………………………………
中学生の時は4クラスあり150人弱男子半分とすると75人。わいは中学2年生の後期から容姿の重要さに気がつき始めた。75人中2位か3位だったらしい。ちなみに3本の指に入るやつぁ友達同士で内誰もがぶっちぎり1位だと認める奴は一緒に家を借りて住んでいたまで仲がいい。そいつは結婚して子供がいて会社代表取締役社長。かたやわいは自営業で独身。つっつれー。まぁ、とにかく中学時代は3本の指に入っていた。
高校生へ進学し、まだ垢抜けないイモっぽいながらも、都内の高校の第一志望に合格する。日本の高校では珍しく、髪もピアスも自由な高校。女子はメイク含めてバチクソ自由。だが、女子は偏差値70を超え、推薦の場合中学の内申点は満点45中44以上。つまり、オール5か、オール5内1つ4という人間じゃないレベル。男子はそこまで難易度は高くないが41とかだったかな?わいの内申は、、
35(億)w
逆立ちしても内申推薦入学はムギっ。ひたすら勉強して一般受験で合格しました。
脱線。
高校は7クラスあり、300人弱。男子は半分150人くらい。イモほくとは眉毛も少し太め、頑張って茶髪にしました‼︎みたいな明らかなるイモ野郎な風貌。先輩方を見るとイっケイケ‼︎ぐっまっ眩しー‼︎なうぃーぜ‼︎‼︎
人生で楽しかった時期のGOLDEN AGEはこの辺りで特に中3後期から高1がわいのGOLDEN AGEだった。プリクラを見てると高校入学後少しずつ時間が経ち夏場には多分結構イケてた。ギリ間に合ったべ。
んで今この年齢になると逆に憐れになるのであーる。過去、モテたとか栄光とかいうくだらない結果だけが記憶として残っているから。
最近はかなり回復したが、会社辞めたての時は感情がそれはれは悲観的になりすぎ、もっとくだらない事を思ってしまう。もし別人の顔面に生まれてたらおれには価値がなさすぐる。そう、ネガティブナルシストというもう意味のわからない優勝クラスな野郎だった。
だから、この際振り切ってしまうことにした。
モテたなぁとか勉強できたなぁとかは、結果であって努力したにしても過去。"視覚"という感覚器官は凄まじく優秀で、人間は視覚から得る情報は自分で意識的している以上に大きい。
イケメンはイケてるお面。ルックスと言われるから見た目でやはり視覚。
高校1年の夏、実はすでに人生のモテ期の1回は中3で気付かないうちにきてて、彼女もいた。大都会の高校に入って以降、周りから比べられて自分の顔が恵まれていたことに気がつく。
高校3年生になった時にとある単語を耳にした。
【 御三家 】
年代的に自分の親世代のカッコいい人気のある芸能人を御三家と呼ばれてて、もしかしたら今の10代は単語聞いたことすらないかも。
四天王?の三人版みたいな感じ
ONE PIECEでいう
赤イヌ黄ザル青キジ
の強さパラメーターでなく顔面パラメーター
通っていた高校は自由な校風が売りで男子も垢抜けており、男女共ルックス偏差値は高く中でも特にイケメン3人を御三家と呼ぶらしい。
オーマイゴッドファーザーありがとう。
自慢を振り切ってしまうことにしたんだパパ。
確かに見た目にはかなり気を使ってたので努力の面もある。思春期にモテた。ということは諸刃の剣でプラスに考えると自信や自己肯定感に繋がり良い。反面、マイナスに考えるとエグい。
何を考えても悲観的にしか考えられない時なんてマジで吐きそうになる。メンタル面に不衛生で、良いことは何一つないのにネガティブな人間は悪いところばかり考えてしまい顕著に現れ、潜在意識から自分はダメなんだと無意識に刷り込まれる。
これを心理学用語ではエフィカシーといい、セルフエフィカシー自己肯定感。エフィカシーが低いと、どうせおれなんて。と無意識に自分で自分の評価をして自己否定をする。日本では昔から謙遜を美徳とされてきて、セルフエフィカシーが他国に比べて低いらしい。
自尊心と自信
プライドと誇り
かなり紙一重だけど、捉え方ひとつで良くも悪くもなる。つまり、いいから根拠のない自信を持て‼︎となる。
だからね、振り切ってしまうことにしました。
御三家と呼ばれてた時はクソモテた。
モテ期だった
高校時代には見た目に気を使っていて、努力したところを認められた時はやっぱり素直に嬉しい。ナルシストって表現は一般的にイメージが悪いけど自信を持ってる人って言い換えるとたちまちポジティブなイメージになるから不思議。
自信を持ってる人ってどこか余裕があって魅力的。褒めるとまず謙遜するでなく「ありがとうございます」から入ってくる。
つっつえー。
年上からイケメンだなって褒めてもらうことに慣れてくると、いやいや〜って謙遜するのももうめんどくさかったので、
「あざっす」
に変えた。かなり言われ、当時はなんか捻りたいなぁくらい余裕を持ってた。経験として言えることは、自信があって堂々としてるとさらに良い効果の循環作用がおきる。
最後に
『サピエンス全史』
という本をご存知でしょうか。ノア・ハラリという考古学や生物学に長けたスーパー天才が現代にはおり、ハラリの近年のヒットセラー著書が『サピエンス全史』。
もちろん解釈は読み手によりますがぼくが読んで感じたのは、AIの台頭で今後人間や国家という今までの形、くびきが外れていく中、人類はどうなっていくのか。その答えを見出すために我々人類は自分たち人類という種をまずは理解する必要がある。SF話ではなく真剣に未来を考えるための本。そう感じました。
サピエンス全史の中では、人類の進化の過程に触れ、人類はネアンデルタールタール人の進化ではなくホモサピエンスという生物が進化した形である。と結論づけています。
ネアンデルタールとホモサピエンスの違いを例えるならば、
・馬とシマウマ
・トラとチーター
・チンパンジーとゴリラ
のように種そのものが違う別々の生き物。似て非なる生物です。
ただし、犬の種類がチワワとプードル交配合するように、人間も黄色人種や、白人や黒人のように人種としては違うけど、ネアンデルタールとホモサピエンスも交配合の文化が稀にあったものの、今我々人類はホモサピエンスの末裔となる。ネアンデルタールは滅んでおり、ホモサピエンスにが生存競争で生き残り今に至ります。オーストラリア等の国のDNAには更に別の人種のDNAがコンマ数%混じってて遺伝子を研究しています。
論点はネアンデルタールも種としてはめちゃくちゃ似てるのに、なぜサピエンスとして生き残れたのか。決定的な理由に、サピエンスは虚構。つまり嘘を作り信じ込むことにスーパー長けた生物。と著者のハラリは書いています。
お金や国、宗教や職種。これらは定義付けをしたに過ぎず、本質的な意味を持たない。作り上げた虚構に定義をつけて意味を持たせる、本気で信じてその虚構を中心にして生きている。
結構無理矢理感出てますが、心理学のエフィカシーも思い込む自信、サピエンスの虚構に通ずるものがあると感じ、確かにハッとさせられました。
https://twitter.com/YamadaH0/status/1145261248155508736?s=20