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働き方を考えている。

働き方を考えている。
最近傾倒し始めている社会学や経済学の方面。

 そもそもなぜ私は働くのか。

 働かないとお金を得られないのか。

 なぜお金を稼ぐのか。

 そもそもなぜお金に価値がある?

 価値があるのはお金なのか?

なんてことを遡っていくと、産業革命の頃、資本主義経済システムが世界に広まっていったところにまでさかのぼった。もっと遡れそうではあるが。

資本主義経済システムなんて、数十年前は社会主義経済システムと拮抗していたし、有史以来続く…という類のものではない。最近のほんの100年200年くらいの話で。

どのシステムが良い悪いというのは評価できないけど、今のシステムが未来永劫続くものではないだろう、と予測するのは難くない。

いくつか考えるトピックがあるのでまとめておく。

・産業革命と資本主義経済システムの関係
(プロテスタンティズムの倫理はおそらく一要因だろう。また、植民地と支配国の関係)

・自分が買いたいと思うモノやサービスを提供したい。
現在の資本主義システムにおいては、売上ばかりに目が行き、それ以外の要因を排除して人を酷使し、働かせる雰囲気がある。
そんな働き方って今後も通用する?
疲弊した人たちが販売しているものやサービス、ほしいか??
また、自分の仕事に意義を見出して働いてる人の雇用形態が契約社員で、来年から仕事が無いなんてどうなんだろう。

・現代貨幣理論
誰かの負債は誰かの資産。
消費税増税はインフレ時の経済政策であり、デフレ時代の今にやる政策ではない。愚策。
万年筆マネー。銀行は、預金者から預かったお金のプールから貸し出しているわけではない。銀行は自分がいくら持っているか、ではなく、借り手の返済能力のみに依存したかたちで借り手の預金残高に“記入”することができる。
税金の役割は物価調整など。詳しくは中野剛志や三橋貴明氏の著書や動画を。
確かに今までの社会通念から外れた理論だと言われる話であることは想像できるが、話を聞いている分には確からしいように思う。

・反グローバリズム
グローバル化、自由化っていい事!って思っていたけど、そうでもない視点があった。イギリスの産業革命時の資本を持ってる国とそうでない国の二極化が進みそう。
国として自立した強い国(抽象的な表現しかできないが)であれば自由化の波にもうまく乗れるのだろうが、弱い国は植民地化しそうな気もしてくる。
まだ知見が少なく議論ができないが。

・技術時代の労働の変容
現在読んでいる本「世界経済の中の日本 ポストフォーディズムの時代」にも書いてある。これは1988年、30年くらい前に書かれた本であるが、技術革新と労働者の関わりに関する記述は現在にも通じているなぁと感じた。

技術革新があったら労働の内容は本来見直すべきものである、と。

今までは全人格を投入していた職業という概念が、ロボットに代わることで人間は補助的業務を延々と繰り返すことに。

全人格を投入できない単調な仕事に身を投じる危険性(心身への悪影響)が指摘されていた。

もともと、新しい機器による労働作業の方式が職場にとり入れられてゆくさいに、どのくらいの速度や精度で仕事をこなせるようになるのか、とくに持続的で反復的な労働作業について、当初は労使双方とも定かでないのが普通である。(中略)現在のように、労働者の立場が弱められ、労働組合が十分機能していない状況の中では、FA(ファクトリーオートメーション)やOA(オフィスオートメーション)による作業方式の切替えは、はじめから労働作業をそれこそめいっぱいの強度と精度でこなす方向を強制するものとなりやすい。ことに従来ある程度の時間のゆとりを要したそれぞれの労働作業の上での判断や情報処理が、いたるところで自動的機器にゆだねられ、作業の内容にある種の人間的なすきまがなくなっている。
『世界経済の中の日本 ポスト・フォーディズムの時代』伊藤誠(1988)
p.162から引用

ていうか、資本主義経済システムの中にありながら30年以上成長しない日本とは一体…
もはや成長の仕方を忘れているに違いない。自分も成長って何?って感じだし。

右派とか左派とか新自由主義、リベラルとか単語はまだよく分からないけど、なんか古典的な本を遡ったりすると、既に先人たちが似たようなことを論じており、それらを今読んでみるといろんなものの見方ができるような気がする。

よい週末を。

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移行前のキムラ
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