【平成の思い出】昭和末期生まれによる長崎屋新津店の存在証明 fromオタク【新潟市秋葉区】
ベルシティ新津=長崎屋新津店とは
先日、Twitter(X)の監視中にこちらの投稿を目にしました。
きっと日本中で繰り広げられた、地方のショッピングモールの栄華と衰退。諸行無常の響きを纏うこちらの四コマを拝見して、私は私自身にとっての『にぎわいシティ』を思い起こさずにはいられませんでした。
それは『ベルシティ新津』。かつての『長崎屋新津店』。
新潟市秋葉区……否、新津市において1984年に開店したこの商業施設は、長崎屋の撤退に伴い2009年9月27日に長崎屋としての活動を終えました。しかし元々食品コーナー担当として活動していた『にいつフードセンター』やオンリーワンの老舗カフェ『軽食喫茶ウインズ』、全国区の強豪『Seria』といった非長崎屋テナントは命脈を保ちます。そして長崎屋の抜け殻部分に『クスリのコダマ』などの新テナントを迎え入れたりアーケードゲーム・キッズライドなどを充填したりして、同年11月12日にベルシティ新津としてリニューアルします。
多分『鈴木組』という新津の建築業者さんが運営となったから“ベル”なんじゃないかな。
その後は内容物の変化がありつつも同じような使用感を保って営業を続けていたのですが(クスリのコダマがシームレスにココカラファインと化していき、アブブちゃんがハブられていくなど……)、2023年春には2階(※2階建ての建物です)の結構な面積を占めていた服飾テナント『ポマリ』が撤退。後には何も入らず、フロアの半分以上が虚無の空間となりました。
私はこの辺から『ヤバみ』を感じ始めました。実際に住民の間ではベルシティ新津が潰れるんじゃないかという噂も流れ始めたっぽいです(母情報。私は井戸端会議コミュニティに所属していないため)。
私はこちらのテナント、マッサージ店『ごくらく整体』を愛用していたのですが(本題から逸れますが、こちらのスタッフ様にはマッサージと関係ない件に関しても色々と親切にしていただき、厚く感謝しています)、そこのスタッフ様に噂について尋ねても当然ノーコメント。まぁ守秘義務がない訳がないし、聞くだけ無駄なのは承知してましたがね。
ですが同年8月、案の定なお知らせが。
宣言通り、2023年10月31日をもってベルシティ新津は閉館、今度こそ完全なるもぬけの殻となって眠りにつきました。
上記の『ごくらく整体』など一部のテナントは新津商店街などの箱舟に乗って脱出し、この記事を書いている今も営業中です。
ちなみに、長崎屋だった当時の姿はこちらのサイト様に記録されています。
こちらのサイト様は文字通り、2000年紀(というか世紀末付近以降)の新潟のスーパーに関する全てが記されており、新潟県民の皆様に大いにお勧めのページです。この記事を執筆するにあたっても非常に参考にさせていただきました。
ここまでペタペタ貼ってきた通り、長崎屋新津店=ベルシティ新津に関しては多くの有力なインターネット活動家(言い方……)の皆様が記録をつけています。
ならば私がわざわざうろ覚え・資料なし状態でこんな記事を書くのはなぜか。
それは個人的な思い出を書き残して、あわよくば皆様にシェアするためです。同郷だったり、同年代(以上)だったり、同趣味(漫画やアニメやゲーム)だったり……そうでなくてもちょっとだけレトロになってしまった時間域に興味がある方へ向けて。
何度もTwitter上の名文句にフリーライディングして恐縮ですが、こんな意見を目にしました。
インターネットの情報の地平線の向こう側。
私の記憶の中におぼろげに残っている、情報の地平線の向こう側を少しだけ書き記し、今のインターネットに残していきたいと思ったからです。
でないと私の記憶や命とともに証拠が消えていってしまうから。
いずれnoteが情報の地平線の向こうに消える日が来ても(そうならないようマジで頼みますよ!)、この記事をお読みになった方の記憶に何かしら情報の欠片を残すことができれば、長崎屋新津店の存在証明はそこで生き続ける訳です。
『ファンシー絵みやげ』『平成レトロ』保護活動で有名な山下メロさんが仰った“消えてしまう文化への危機感”。この方の着目点、活動は個人的にとても有意義で美しいものだと感じています。
比べるのもおこがましいくらいスケールが違いすぎるし、そもそも意義も方向性も違いますが、あくまで私個人の手が届く範囲において、私が体験した文化を記録したいと思います。
そんな訳で、ここからは『かつて長崎屋新津店で買ったもの、主に90年代オタク本』と『閉店間際のベルシティ新津内部写真』を主に綴っていこうと思います。
長崎屋新津店で買ったもの(主に本)、あったものの思い出(平成レトロをお求めの方はこちらから!)
長崎屋の思い出・総論
私の長崎屋新津店の記憶はジェラートから始まります。
正面入り口から入ると、右手にはにいつフードセンター(いわゆる普通の食品売り場)、左手にはフードコートのジェラート売り場。
我々一家が長崎屋に来る目的はほぼ食料品の調達にありました。
ジェラートはどれくらいの頻度で買ってもらったかは記憶になく、何味を頼んだかも同じく記憶の彼方ですが(チョコ……かな?)三角っぽいジェラート盛りの輪郭は何故だか覚えています。
ここはベルシティ新津化してからもしばらくはフードコート(HAPPYハッピー)でしたが、いつからか骨董品売り場に変化していきました。
長崎屋だった頃、1階には宝石売り場もありましたし、ファンシーショップが入っていた時期もありました。
丸屋本店(ケーキ屋)、お茶の紫香園は当時からベルシティ新津の最期まで、和菓子店の羽入(ケンミンショーでも紹介された黒あん白あんゴマのモノクロ三色だんごのお店)も完全閉店の少し前までは営業していました。
そして2階。
喫茶ウインズは常にそこにあり、その横、最後にはカーブス新津店となっていた場所には『レストラン おあしす』がありました。親の好みもあり、ウインズよりもおあしすを多く利用していました。偏食が今以上に酷かった私はハンバーグばかり頼んでいたのかな? ここはちょっと記憶が曖昧ですが、はっきりと覚えているのはオレンジジュースです。四角い氷、その中央のへこみにハマったオレンジ色。それをも吸い尽くしたかった。そして親に意地汚いと注意されました。
そして蕎麦屋。こちらはおあしすよりも長く残っていたはずです。
他には、少なくともCD屋、あるいはレコード屋……と言うのか。とにかく音楽系メディアのお店がありました。
そこではビデオ(ではないかも。とにかく映像メディア)も取り扱っていたのか、見知らぬアニメのポスターが貼られていました。
記憶に焼き付いている一枚は『変身シーンっぽい』もの。セーラームーンに脳と嗜好を焼かれた幼女であった私は、そのアニメポスターの変身シーンっぽい空気感に引き付けられました。
そして長らく、添えられていた『神が許したTバック』というキャッチコピーとともに記憶に焼き付いていました。
このポスターは私に「私が認識している範囲外にもアニメは存在する」ことを教え、その後の二次元オタク物品探求心の育成に寄与したような気がします。
後年、このアニメの手掛かりを求めて検索したところ『臀撃おしおき娘ゴータマン』という作品だと同定できました。
CD(レコード)ショップっぽいお店の思い出がお色気アニメのポスターであるあたり、幼少時の私の音楽への関心のなさが見て取れるかと思います。
私にとっての長崎屋2階の最大のお目当ては本屋でした。
と言っておきながら自信がなく恐縮ですが、店名は鈴木書店、だったと思います。
2階の奥、先述のごくらく整体が入居していた位置にありました。同程度の面積の文具・ファンシーグッズ売り場と融合する(内部で通路が繋がっている)感じで存在していました。
色々な、色々な本……主に漫画雑誌や単行本、アニメ・ゲームの関連書籍をこの『長崎屋の本屋』で買いました。
ここからは“多分ここで買った本”について紹介していきます。
買った本①小学館ミニレディー百科・学研ひみつシリーズ他
昭和から(おそらく)平成初期にかけて展開された小学館の児童書シリーズ、ミニレディー百科。検索していただけるとお分かりかと思いますが、女児の心をくすぐる幅広いシリーズ展開がされていました。
しかし、私の心を掴んで親に買わせたのは占い・オカルト関係。
ファッションとか、手芸や料理のスキルとか……そっちの方向性の児童書はあると認識すらしていなかったんじゃないかな。
正直、どれを長崎屋で買ったかは定かではないし、他の本屋でも買っていると思うのですが、一つ『これは長崎屋で買った!』という記憶が付随している本があります。『わたしの心霊体験』です。
あからさまにオカルトでホラーな表紙&タイトルからか、母に「本当にこれでいいの?」と念押しされました。「いいの!」とゴリ押しし、この本を抱えて長崎屋のエスカレーターを下った……そんな記憶があります。
幽霊目撃談に加え『霊感度チェック』などの項目があったと思いますが、いつからかこの本を見失ってしまったので、内容の記憶は曖昧です。ただ、物理的にぱっくり割れるほど何度も読み返しました。
私の性格上、この本は絶対に自分の意思では捨てないので、本の整理の時に見つけられないほど奥深くにしまったか、母の仕事の関係で貸した(そして母の職場に寄付したも同然の状態になり返ってこなかった)児童書にこれを含めていたかのどちらかかなと思います。
発見できたら追記するかもしれません。
長崎屋で買ったかは覚えていないのですが、私の性癖形成に大いに影響したシリーズ作品についても紹介させてください。『ヒミツの魔女っ子入門』。
魔女と呼ばれた人物の伝承、魔女のトレーニング(今にして思えば完全にヨガ)、各種おまじないなどを網羅した作品です。
私はこの本を心の拠り所として、ファイアーボール的な魔法を撃てると信じて(当時の私の知識データベース的には『魔法騎士レイアース的な魔法』かな! 『魔法陣グルグル』もハマっていたけど、何故かククリちゃんのグルグルは習得できると思っていなかった。血筋が関係していると理解したからかな)ヨガのポーズに取り組んでいました。持続時間も体勢もあっまあまだったから(※本が悪いのではなく、私の体力と根性と想定がしょぼいという意味合いです)全然無意味な強度だったけどね!
ミニレディー百科だけでなく、〇〇のひみつといったオカルト・科学系の解説児童書もいくつか愛読していました。所持していた記憶があるのはこちら。
買った本②ゲームの攻略本・4コママンガ劇場
項目を立てて置いて何ですが、長崎屋では攻略本はあまり買わなかったかもしれません。
攻略本・ゲーム関連本については思い出深いものも色々あるので、いずれ別で記事を書くかもしれません。
新潟伊勢丹の上階にかつてあった書店はゲーム攻略本が立ち読みできたな(シュリンクや紐がかかっていなかった)。
とりあえず、長崎屋の思い出と結びついている攻略本を一つ。
これです! 初代ドラクエモンスターズは色々と移植も出ましたが、正真正銘、最初のゲームボーイ版の攻略本。
この上巻を購入し、側に置いてゲームを進めました。下巻や更にその先の攻略本シリーズも長崎屋の本屋に置いてあり、見かけるたびに欲しい衝動に駆られて……でも買わなかった、と記憶しています。そうこうしているうちに初代DQMの季節は過ぎてしまいました。
長崎屋の記憶とはズレますが、ゲーム関連書籍といえばこれも語っておきたい。
エニックスのポケモン4コママンガ劇場です。小学館じゃないんですよ!?
当時の、公式の世界観ブランディングも、そしてそれ以上に受け取り手のパブリックイメージも固まり切っていなかった、当時にしか出せない空気感がこのシリーズには詰まっていると思います。作者さんによって世界観――設定も空気感も全然違うし、ポケモンが普通に人語を話す設定が多い。
長崎屋で買った記憶があり、なおかつ『買って良かった!』と今でも心から思っているゲーム関連書籍はこちら。
『最新ポケットゲームコレクション』。1998年時点の“最新”です。
たまごっち各種シリーズ+コラボ派生品(ドラえもんっち、玉緒っち……)、デジモン、ポケットピカチュウ……だけじゃない!
今検索しても情報を集めるのが難しそうな、歴史の狭間、情報の地平線の向こうに消えた『ポケットゲーム』の情報が沢山。
『ドラゴンクエストあるくんです』『てくてくエンジェル』はキャラ一覧も乗ってたな。この二作は所持していなかったけど、この本を読んで『条件が厳しくて、自分がやったらこの子にはできないかな……(万歩計ゲームなので)』などと想定エアプをしていました。
こちらのサイト様が詳しい情報を挙げています。
買った本その③アニメ系雑誌(アニメディア・ファンロード・ぱふ等)
アニメージュ、ニュータイプ、アニメディア。
今も続くアニメ雑誌の大御所です。
『新潟でやっていないアニメ』に興味を向けたばかりであった小学校高学年の私が選んだのは『アニメディア』でした。
あくまで当時(1998年頃)の印象ですが、アニメディアが一番ライトでポップな感じがして、読んでいて楽しかった――馴染める感じがしたためです。
逆に言うと、当時の他二誌はより『お兄さんのもの』感、言論の場・アニメ学術誌という感じがしたのですね。
最初に買ったアニメディアは1998年7月号。劇場版・機動戦艦ナデシコのルリちゃんが表紙でした。
以降、10日……いや1日遅れて11日か、その辺になると本屋を覗く習慣が身に付きました。
やがて、アニメディア以外のサブカル系雑誌にも手を出すようになりました。それが添付写真にある、投稿主体雑誌『ファンロード』と漫画情報誌『ぱふ』です。
ぱふの漫画レビューで出会った作品は数多いです。この雑誌がなければきっと今も知らなかった、そして今もずっと大好きな作品があります。
ファンロードは『シュミの特集』を始めとした多様な定番コーナーを備え、物によっては二次元の範囲に収まらないテーマでした。
好きな作品の特集や推す投稿はニヤニヤしながら読めたし、そうでなくても様々な形の、様々な事象への『好き!』が溢れている紙面は、門外漢のテーマであっても楽しく読めました。
雑誌には独自の文化、むしろ社会が形成されていると私に認識させてくれたのはファンロードだと考えています。
大学在学中だったか、雑誌はどれも自然に読まなくなってしまいました(休刊したものも……)が、アニメ雑誌は私に色々なエンタメの世界を学ばせてくれた存在でした。
……ふぅ。
あらかた思い出のハイライトを語ったところで、約30年後の世界に行きましょう。
時が止まるゲームコーナー、そして最期の姿
ここからは2023年8月から10月にかけて、ベルシティ新津とのお別れを意識して撮った店内写真の記録です。
ベルシティ新津として再始動するにあたり、色々なゲーム筐体が空きスペースに入居しましたが、これ……恐らくは設置以降ほぼ更新されていません。
細々とした変更や撤去はあるだろうし、クレーンゲームの中身は更新されてきましたが(それでも流行から半歩遅れる感=回転率の悪さは何となく感じましたが)、大雑把な印象はほとんど変わっていません。
つべこべ言わずにこちらをご覧ください。
これは閉館のその瞬間まで現役で在り続けた『太鼓の達人』です。太古の反応が悪くなっていました。
この記事をご覧のお客様に『ライダー暦』に通じた方はおられますか?
類似概念である、より連続性が高く長い『スーパー戦隊暦』も有用ですが、この写真の読み解きに使うのはライダー暦の方です。
何年に、どんな仮面ライダー作品を放送していたかの暦。
幟に『W-B-X』の文字が躍っていますね? 2009年~2010年に放送された『仮面ライダーW』の主題歌です。
つまりはそういうことです。
この子たちもずーっと居ますね。
ゲーム機以外も貼っていきましょうか。
結びの思い出
これまで書いてきたのは長崎屋で思い起こされる個人の、趣味に根付いた記憶。
それとは異なる色をした、長崎屋に関する特別な記憶も最後に書いておきます。
中学1年生の体育祭の練習の記憶です。
放課後、というか夜に体育祭の応援練習をした時期があったんですよ。
それが思いっきり校外、具体的には長崎屋と新津図書館の狭間にある川辺……新津川の遊歩道でやったんです。近くにはマンションもあります。
それ、良かったの?
良くありませんでした。周辺住民の方からクレームが入ったようで、川辺で練習したのはその1年のみでした。
リーダー格上級生の嗜好なのかな、THE HIGH-LOWS『日曜日よりの使者』『No.1』が応援歌に使われていたはず。当時の自分は全く知らなかった曲。
いつもは長崎屋に行かない時間、いつもは一緒に長崎屋にいない人と、長崎屋の側で、初めての曲、初めてのダンスを練習する。
練習前に長崎屋のファンシーショップなどのテナントを眺め、にいつフードセンターで飲み物を買う。
その非日常的な数日間の夜が、ぼんやりと胸に居残っています。
詳細な記憶は忘れてしまったものの、イレギュラーな暑い夜の空気、輪郭を失った残り香だけが、20年以上経った今も切なさを呼び起こします。
もう、次の世代の子は長崎屋……ベルシティ新津との思い出を紡ぐことはできません。
だからここに、一人のおばちゃんの思い出を書き残しておきます。
ありがとう、ベルシティ新津。
ありがとう、長崎屋新津店。