【フォロワー減ったらどうする?】
SNSや個人コンテンツを発信する上で「どれだけの人に見守られているか」の指標となるフォロワー数。
私がこうしたコンテンツ発信に参加する前は、世に言う「イイねを気にする若者」揶揄する側だったのだが、なかなかどうして…いざやって見ると結果に左右される自分に気付く。(嘲笑ってごめんよ)
これから綴ることは上記のSNSや個人コンテンツについてのことでなく、私が個人的に行っている現在の仕事でのことである。
仕事の詳細は伏すが所謂サービス業というジャンルで、ここでも自身の評価の指標として【お気に入り】というものがある。私のサービスに期待してくれたり、満足をしてくれたり、お客様のご要望に近しい条件だった場合に【お気に入り】をしてくださる仕組みだ。
私はこの仕事を始め半年にも満たないキャリアである。
正直、この【お気に入り】という数字にどれだけの力があり、どれだけの数を獲得するとすごいのか!ということに頓着がない。何も軽んじてる訳ではなく、今は仕事に慣れる為にとにかく場数が必要だと考えていて、自分でも自分のサービスの可能性を発揮できていないのに、人からの評価などに右往左往できないのだ。
しかし、サービスの中で【新規お気に入り】が確定すると、親切にこちらまでDMが届く仕組みとなっている。そしてタイトルには【現在○人】という数字まで記載してくれる。
これまでこうしたDMには「ほーそうですがございますか、ありがとうございます」というように気軽にそのメールを拝受していた。日を繰り返す事にこの【お気に入り】の数字も増えるのだが、DMが届くたびに「あー、ありがとうございまう」と言わんばかりに特に気には留めていなかった。
しかし、ふと気付いてしまった。
昨晩届いたDMに
「おめでとうございます!お気に入り50人目です」
とあった。
「ほう50人か…」
そして、今朝届いたDMで
「おめでとうございます!お気に入り49人目です」
ん?
減っとるやん。
「49って、1人増えたことを報告するメールだから、事実2人減っているやん!」
ということなのだ。
これは傷付くという訳でないのだが
やはり目に留まるのだ、減っている方が。
本当に人間の脳みそや感情の作りは複雑だ。
なーんで今日までの仮に登録頂いた50人は特に何にも感じないのに
減った2名に対しては目に留まるのか。
ということだ。
ちょうど読んでいた【受験脳の作り方】 著:池谷裕二 にこんなことが書いてあった。脳は生死に関わる内容を記憶するよう進化してきた。勉強や日常生活の暗記よりも落石が落ちてくる!地面が揺らいでいる!この川は流れが早い!といったような命に関わる情報をストックし、危機を回避し生命を存続してきたという。
嬉しい記憶であれば
「〇〇な方法で獲物を取れて嬉しかった」と記憶に残せば、次回また同じような境遇(成功体験)を作ろうとする。それが生命の存続に関わるからだ。
悲しい記憶であれば
「危険な場所で怪我をして痛かった」この経験に対し、次は同じことをしない!というように学習機能が発展し、危機を回避する。
かなり簡潔だが。
私の【お気に入り】の数が減ったことに目が留まったことも、もしかすると間接的に自分の評価(見込み客)が減ることで収入が減る=死ということを本能が感じたのかも知れない。
複雑過ぎるだろノーミソ。
…
このnoteもそうだが、各SNSでのフォロワー数諸々…。
1人の2人の人数増減で一喜一憂するのではなく、万とか億とかそういう位にいけば下1〜2桁は表示されなくなるから、そういう次元に自分を昇華したいと思う。
それでもこの瞬間、この記事に、私にフォローしてくれている人にはとても感謝です。日々ありがとうございます!!
最後に最近好きな言葉を
「足りない物に目を向けると今ある物に気付かない」
だそうです。
ファイティングゴリラ