なぞなぞ 「誕生日が毎日来て欲しい」と願う子ども。 その願いが叶った90日後に死にました。 なんで? 子ども「…なんで?わからない」 私「人は年齢を重ねるとどうなる?」 子ども「んー」 私「じゃあ君がたくさん歳を取るとどうなるかな?」 子ども「大きくなる!大人になる!」 … 私は「死」という言葉を誘導したつもりだが、その子に概念はなかった。大人と子どもの持つ時間感覚が異なることを痛感する。
人と仲良くすることが苦手な人は多い。もちろん人と「仲良くする」ことが絶対ではないので無理に頑張る必要もない。 しかし、子どもの中には人とすぐに関係を築けてしまう子がいる。 その傾向を挙げてみた。 ①歩み寄る。 その心に必ず興味や好意抱いて歩み寄る。単純な好奇心だ。 ②相手の行動を見守る。 相手の行動を熱心に見て側で邪魔しないように、時に邪魔になりながら見守る。 ③相手に尋ねる 興味や好意が前提にあるが、相手の行動に「なんで?すごいね?」と肯定的な言葉を伝えられる。そ
赤コーンとコーンバーで仕切られる噴水広場。 【注意】 ・ここはプールではありません! ・水遊びは禁止です! ・オムツを履いて入水しないでください! と張り紙が貼られていた。 その噴水広場の中を オムツを履き まるでプールで遊ぶかのようにジャバジャバと音を立てて遊ぶ親子がいた。 … 夏だと思いました。
子どもと一緒に歩いていると ご高齢の方から声を掛けられることがある。 「あなたとお子様の姿を見ていたら、幼少期を思い出したの。私も昔は父(母)にー」とお話くださる。 そう語る表情は恍惚としつつ 目には涙を浮べる。 美しい心なのだと思う。 自身の子育ての話ではなく60年以上前【幼少期の思い出】なのだから不思議に思うが… いつか私も思い出し、どこぞの親子に声を掛けたくなるのかも知れない。
ゆらゆら揺れるツタを見て そう驚く子ども。
子どもの靴下が左右違っていた。 「おいおい、そりゃないよー」と笑い合う。 その後 帰宅したらこれだった。
子どもと関わっていると 手にしていた物をバシッと 奪い取ることがある。 「奪い取る」表現は悪いが されると乱暴な印象を受ける。 だからと言って、乳幼児の場合や 遊びなどで興奮してるシーンに 大人の礼節を伝える必要もない。 … そんなことを考えながら 思い出したことがある 私が小学2年生の頃 漢字テストを先生から返された際 ちょっとしたイタズラ心と ちょっとしたカッコつけと ちょっとした好奇心で 相手がどんな反応をするか 意図的なんだけど深く考えず 衝動なんだけど意
水色のボトルを使っていたが、 好みではないので その上から黒を塗装した。 無難な色に落ち着き 気に入っていたのだが 子ども達からは不評だった。 月日の中で自然と黒の塗装が剥げてきた。 元の水色が顔を覗かせる。 「へぇー結構水色が目覚めてきたね!」 詩的な言葉をいただいた。
東京に駄菓子屋は多い。 下町や商店街というのも生きてる。 東京一極集中の恩恵とも言える。 それはいい。 恐らくは40〜50年はやっているだろう 駄菓子屋に入った。 「懐かしい…」 とは感じたものの 30代の私ですら直撃世代ではない。 それもいい。 私は仕事上 「お手玉くださーい」 と店員さんに尋ねた。 その横から同年代の親子が 「コマとメンコくださーい!!」 と入ってきた。 … ここは令和か? 大型ショッピングモール、ネット販売が席巻するのはいいのだが… こ
小学校の廊下 自分の好奇心に一切曇りのない子ども達 「これでもかっ!!」というくらい 廊下を走りに走る。 先の危険など想像せず 湧き出るエネルギーに躊躇がない。 そんな勢いの中 男女が廊下を走ってきた 2人の肩が今にも触れそうだっ と心配した矢先 バチンっ!!! 双方の足が引っかかり 前方に激しく倒れてしまう。 急いで先生が駆け寄ると 悶え混じりの声で 「〇〇が押した…」と 発達としての自己中心性だが、 こうした双方の誤解や認識により 捻じ曲がった事実は多いのだ
住宅地を歩いていると築年数が様々な建物が混在しており「それぞれの時代」に流行ったデザインなのだとわかる。 1つの区域に「先日できたのかな?」と思うような新築の民家もあれば、長期にわたりその土地を見てきたであろう老築化した民家がある。 「古い家は壊されて、そこに新しい家が建つの」と子どもの言葉、こうした言葉やその景色を見ていると「ここに古くから住んできた人の景色の変化」についてどんなことを感じられていたのかを思う。 今その役目を終えんと取り壊される家、いつかこの家にも「こ
「ポケモンは架空の生き物だから悪いことをしないんだ!」と子どもが教えてくれた。 「…じゃあ現実の生き物で悪いことするのはどんな動物なの?」と尋ねると 「人間!」 と答えてくれた。 理由は環境を破壊し、緑や動物の棲家を奪うからだそうだ。 とても皮肉で的を射ている。
ギョッと目を疑うのは その目合い形である。 ガブリと体に噛みついたのは 捕食ではなく【求愛の証】だそうだ。 なかなかお目にかかれないこの光景は 地域のふれあい広場でのことだった。
「お母さんは起こると怖いんだ」とお子様。 「えーお母さんって怒ることあるの?想像できないよ。と私。 子「うん、普通に怒るよ!」 私「どんな風に?」 子「僕の頭を指輪の固い部分で叩くよ!」 … 暗器の使い手でした。
テレビや漫画や映画などで 「この豚野郎!!」と 相手を侮辱するシーンがある。 なぜブタなのか? わかるようで、わからない。 …驚くのは 意外にも子ども達が怒ったり喧嘩する際に 「このブタ!」 「バカブタ野郎!」 などと【ブタ】を使って罵ることだ。 これはもう 「ニワトリが先か、タマゴが先か」 の世界だと思う。
セロトニン 「子どもは風の子元気な子!」とはよく言う。 外遊びの有無はともかく、日中に日光を一定時間浴びることで自律神経を始め体内の各機能が整う。 これを意識し冬場にも外で日光浴をと誘うのだが、一切全く!外へ出てはくれない子どもがいた。(学校生活では毎日外へ出てる) 「いくらなんでも少しくらい…」 と焦りつつ冬を越え、春が来た。 「ねー早く外行こうよ!」 と誘ってくれるのはその子からだ。 「子どもは風の子であり、自然の子」 草木のように春に咲く。